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“超強硬派”ジョン・ボルトンは危険な存在か 下

綿密に計画し成果を追求するしたかな交渉者。北朝鮮の非核化にらみその手腕に注目せよ

川端清隆 福岡女学院大学特命教授(元アフガン和平担当国連政務官)

「極右のアジテーター」にあらず

 「“超強硬派”ジョン・ボルトンは危険な存在か 上」では、国連大使の頃のボルトンが、いかに巧みに布石を打ち、国連安保理で、史上初めて対北非難決議と制裁決議を相次いで採択するという成果をあげたかについて述べた。彼はしたたかな外交的手腕を駆使して、頑(かたく)なに北朝鮮を擁護する中国を追い込む原動力となり、今日の「圧力と対話政策」の基礎を築いたのである。

 本稿では、交渉者としてのボルトンを振り返り、そこから見て取れる強みと危うさについて検証してみたい。

 国連安保理での外交を見る限り、ボルトンは噂されるような好戦的な扇動者でも極右のアジテーターでもない。むしろ彼は、綿密に計画して具体的な成果を追求する、地に足のついたプロの交渉者といえる。安保理審議の節目ごとに、ボルトンは中国が将来の制裁決議案に反対しづらいように布石を打って、迅速な決議採択への道を着実にひらいていった。中国との制裁決議を審議するのに数カ月を要し、結果的に小出しの制裁強化に甘んじることになったオバマ政権下の安保理外交とは、大きな違いである。

 ボルトンはまた、成果を出すためには粘り強く交渉する一方で、必要とあれば妥協も辞さない、現実主義者としての側面も随所で見せた。その交渉の手法は柔軟で、相手を徹底的に論破する強面(こわもて)の一面と、先述したように非公式協議で北朝鮮に関する風刺画を配るというくだけた一面とを、ときどきの状況に合わせて巧妙に使い分けた。

危うさと同居する「揺るぎない歴史観」

米国連代表部でインタビューに答えるジョン・ボルトン国連大使=2006年1月31日米国連代表部でインタビューに答えるジョン・ボルトン国連大使=2006年1月31日

 そんなボルトンの強みの一つは、北朝鮮の核・ミサイル開発がもたらす脅威を的確に定義したうえで、国連憲章上の安保理の責任を法律家の視点で明晰(めいせき)に訴えるという、緻密(ちみつ)な理論に裏付けられた交渉力である。ボルトンの交渉力を支えているのは、危うさと同居する、彼なりの揺るぎない歴史観かもしれない。

 ボルトンの歴史観の一端は、以下に紹介する安保理審議の中にも垣間見ることができる。

 安保理が北朝鮮の核実験予告への対応を審議していた最中、ロシアが唐突に「米朝協議の必要性を議長声明に含めれば」と提案した。提案を米国外交への干渉ととらえたボルトンは、日ごろの冷静さをかなぐり捨てて激しく反応した。彼は、米国がなぜ直接交渉に応じられないかは周知のことであり、「六カ国協議の場で北朝鮮との直接協議は(非公式に)行われている」と指摘したうえで、ロシア案は「真剣な提案とは到底言えない」と切って捨てた。そのうえでボルトンは、「そのような(無責任な)態度こそ、米国が恐れたことだ」と口を極めて痛烈に非難した。

 思わぬ激しい反応に驚いたロシアは、提案は「冗談にすぎない」として直ちに撤回したが、憤懣(ふんまん)やるかたないボルトンは攻撃の手を緩めなかった。彼は相手を睨(にら)みつけながら、「いったい何人のロシア兵が朝鮮で殺されたのか」とロシア大使に詰め寄ったうえで、「歴史は存在している。まさにその場所(朝鮮半島)で」とたたみかけ、朝鮮戦争での米軍の犠牲にまで言及した。

 さすがに見かねた安保理議長が割って入り、議論の本筋から外れた応酬に終止符を打った。

 ロシアとの論戦のエピソードは、自らの信念に一徹で安易な妥協を排するボルトンの強みと、必要以上に相手を追い込む危うさとを、同時に露呈しているといえよう。

北朝鮮から譲歩を引き出すカード?

 トランプ政権はホワイトハウスを中心に、金正恩・朝鮮労働党委員長との首脳会談の準備を進めているといわれる。交渉の準備や達成するべき目標の設定に、安全保障担当補佐官を務めるボルトンが主要な役割を果たすことは間違いない。

 ボルトンは国務省次官時代から、北朝鮮の「完全かつ検証可能な核放棄」の必要性を訴えており、その主張に揺らぎはない。現に国連大使時代には、安保理で中国やロシアの反対を押し切り、北朝鮮に対する史上初の非難決議や制裁決議の採択に成功した。

 そんなボルトンを北朝鮮政策の中心に据えることにより、トランプ政権は世界に、北朝鮮の核放棄を本気で狙っているとの印象を焼き付けた。

 仮にトランプが米朝会談を単なる「政治ショー」として利用するつもりなら、ボルトンの起用は百害あって一利なしといえよう。

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