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ポール・モーリアを奏でたのはモランボン楽団か

米朝首脳会談の記録映像に懐かしい軽音楽が流れた理由を深読みする

市川速水 朝日新聞編集委員

「モランボン楽団」による新年祝賀公演に出演した女性たち=平壌、2013年1月(朝鮮通信)

北朝鮮がBGMで流した軽音楽 

 北朝鮮の朝鮮中央テレビが金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長のシンガポール訪問を伝える記録映像を流したのは2018年6月14日、歴史的な米朝首脳会談の2日後のことだった。

 トランプ大統領と対等あるいは見下したように編集された約40分の映像やナレーション。そのBGMでポール・モーリアなど西側の音楽がふんだんに使われた。

 古い軽音楽のヒット曲がなぜ流れたのか、臆測を呼んでいる。日本の民放の情報番組では「アメリカとの文化交流を始めるのに(国民を)慣れさせるものではないか」「40年前にはやった曲を今なぜ流すのか分からない」などと違和感を口にするコメンテーターもいた。

 実際に映像を見てみると、金正恩氏が選りすぐりの女性を集めて創設した「モランボン(牡丹峰)楽団」のアレンジ・演奏が大半を占めていると推測できる。

「モランボン楽団」による新年祝賀公演に出演した女性たち=平壌、2013年1月(朝鮮通信)

「シバの女王」「恋は水色」「薔薇色のメヌエット」

 シンガポール到着時には、マーライオンの風景とともにレイモン・ルフェーブルやポール・モーリアの演奏で一世を風靡した「シバの女王」が切なく流れる。ホテル到着時には、ポール・モーリアの代表曲「恋は水色」。首脳会談前夜にシンガポールの夜景を楽しんでいる時には軽快な「薔薇色のメヌエット」。オリジナル曲より若干、テンポが速いのが特徴だ。

 ポール・モーリアだけではない。アメリカのカントリー風、ジャズ風の曲も織り交ぜられている。民族的な古典音楽を含め、全体的に「何でもあり」の構成になっている。ユーチューブにいくつかモランボン楽団の動画があるが、選曲も音色も酷似している。

 これらがモランボン楽団によるものだとすれば、いくつか腑に落ちるところがある。

 モランボン楽団は、金正恩氏が第一書記に上り詰めた2012年に自ら結成した。メンバーは正恩氏自身が選んだとされ、弦楽器、ピアノ、シンセサイザー、ギター、ベース、パーカッションなどから構成される。

 舞台ではノースリーブ、ミニスカート姿で動きも華やかな女性らが人目を引くが、楽団には10人前後の作曲家や、歌・パフォーマンスの指導者がいる。スタッフには男性も含まれる。音を外したり弾き間違えたりすれば、即刻レギュラーから外されたり除名になったりするとも噂される。極度の緊張の中でも笑顔をふりまかなければならないという、ある意味、恐ろしいテクニック集団といえるだろう。

 結成直後には、金正恩氏も観覧した公演がテレビに映し出され、その中でアメリカ映画「ロッキー」のテーマ曲や欧米のポピュラー音楽が登場した。朝鮮中央放送はこの時、正恩氏の言葉を紹介している。「外国のものも、良いものは大胆に受け入れ、我々のものにすべきだ」。これは、正恩氏の父・金正日(キム・ジョンイル)時代に始まる電子楽団の思想を受け継ぐことを表明したものだ。

「モランボン楽団」の公演を李雪主夫人と共に鑑賞する金正恩氏=平壌、2014年3月(朝鮮通信)

北朝鮮最強の音楽軍団「古今東西、何でもこなせる」

 モランボン楽団の音づくりの特徴の一つは、電子ピアノやシンセサイザーの多用。元々、モランボン楽団は1980年代、金正日氏が主導して芸術団から分離して試験的に創られた「ポチョンボ(普天堡)電子楽団」が前身といわれている。朝鮮式の壮大な民族音楽や民謡調の歌に加え、世界最先端のメロディーや楽器を採り入れ、欧米のポップスも一流の演奏ができなければならない、音楽のジャンルや国境を崩す使命を与えたといわれる。

ポール・モーリア・オーケストラの日本初公演=1969年11月11日、東京・渋谷公会堂で  

 南北朝鮮交流の時にしばしば歌われる「パンガプスムニダ」(うれしいです)や、「口笛」(フィパラム)などの名曲を次々と生み出し、北朝鮮最強の音楽軍団といわれてきた。今のモランボンと同様に、優しいシンセサイザーの音に特徴が見られた。

 ポール・モーリアなど軽音楽オーケストラが世界的に活躍した理由の一つも、チェンバロ風の電子音やクラシックのリズムをポップスに仕立てた管弦楽器の心地よさだった。モランボン楽団と曲調がぴったり合う。ポール・モーリアのヒット曲のライブステージは、本家を上回る技術の出来栄えだという評判もある。

 キーボードなど鍵盤楽器は、世界的に使われている日本のコルグやローランド、ヤマハを全部そろえているといわれ、アメリカ製の高価なギターもある。製造国にこだわる様子もない。

 「偉業」をたたえる映像の一見脈絡のないBGMの数々は「ポール・モーリアなどの西側の音楽を国民に知ってもらう」ことではなく、「モランボン楽団が古今東西、何でもこなせる楽団であることをアピールする」のが目的だったのではないか。

「微笑み外交」の先遣隊に

 この推測を補強するヒントがいくつかある。

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