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バカンスは「権利」ではなく「義務」

「バカンス天国」フランス。国際式典を欠席したマクロン大統領への批判も一部どまり

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

観光船が行き来するセーヌ川。夏になると外国人観光客でいっぱいに=2018年7月2日。観光船が行き来するセーヌ川。夏になると外国人観光客でいっぱいに=2018年7月2日

パリを脱出するフランス人

 8月のパリは、フランス人がこぞってバカンスに出発する。5週間の有給休暇は、実は「権利」ではなく「義務」。消化しないと労働省から厳しいお咎(とがめ)めがくるからだ。かわってパリの街を闊歩(かっぽ)するのは、世界中からやってくる観光客たちだ。

 日本だけではなく、今夏はフランスも全土が酷暑に見舞われ、パリでも37度を記録。石造りのフランスのアパートは外からの暑気を避けるために窓を閉めるので、観光客が足を踏み入れない住宅街などは、人の気配がまったくしなくなる。

アミアンの記念式典に欠席したマクロン

 「外交的失敗」。8月8日にフランス北中部にあるアミアンのノートルダム大寺院でおこなわれた「アミアンの戦闘100周年記念式典」に欠席したマクロン大統領とフィリップ首相に対し、一部の関係者からそんな批判の声があがった。

 第1次世界大戦中の1918年8月8日は、連合軍が同地での戦闘で初めてドイツ軍に優勢になった画期的な日。まさに、大戦の勝利をおさめるきっかけになった記念すべき日である。ウイリアム王子とメイ首相が出席したイギリスをはじめ、連合軍側のアメリカ、オーストラリア、カナダの駐仏大使ら、敗戦国ドイツからもガウク前大統領が出席し、約3200人が参加して盛大な式典がおこなわれた。

 ところが、フランスからは、パルリ軍事相が在郷軍人閣外相とともに出席しただけ。大統領も首相もバカンス中で欠席した。アミアンはマクロン大統領の生地にもかかわらずだ。

お手本を示す大統領や政府

 フランス政府は8月3日の閣議を最後に、2週間のバカンスに入っていた。マクロン大統領は南仏ブレガンソンの大統領府別邸に、ブリジット夫人と2人で逗留中。首相の滞在先は秘密だ。

 閣僚らは、「いざ」という時に即、出勤対応できる「場所」にいることだけを条件に、各自がそれぞれバカンス満喫している。アミアンの式典欠席に対する批判も一部にとどまり、大統領は時々、外出しては地元民から熱烈歓迎を受けている。

 7月14日の革命記念日が過ぎると、TVニュースでも週末の高速道路の渋滞ぶりが主要テーマだ。書類関係の仕事などは6月までにすべてすませておかないと、「バカンス」のために役所などはどこも開店休業中。9月中旬のバカンスあけを待たなければ、何もできない。

 冒頭でも書いたように、フランスでは「有給休暇」は「権利」というより「義務」だ。消化をしていない従業員がいると、年度末に労働省から雇用主に対して、「取らせるように」と厳しい催促がくる。雇用主は有給休暇を買い上げて働かせることも可能だが、これにも限度がある。その意味で、大統領以下、政府が率先して手本を示しているとも言える。

夏場に働くのは「管理職」だけ

 ただ、「管理職」にはこの「義務」はない。だから、極端な話、夏場に働いているのは管理職だけということになる。実際、政府も5週間のところを2週間で切り上げている。

 週末も同様だ。バカンス期間中の土曜の夕方に文化相にインタビューしたことがある。バカンス前に秘書から通知のあった日時がバカンス中の土曜だったので、何度も確認すると、「この日!」と秘書は最後は怒り気味の返答。「当日は表門は閉まっているから、裏の通用口から入れ」と付け加えた。

 当日、言われた通りに通用口で手続きをすませて入ると、屋内は省電なのか、電灯が消してあって薄暗い。誰もいないガランとして長い廊下を通って大臣室に辿(たど)りついたが、もちろん、秘書はいない。出てきた大臣は日焼けしていたが、「選挙区から戻ったところ」と、書類の山を前に忙しそうだった。

 TV局勤務の友人は「有給休暇を取ったことがない」という。週末に多い行事ものの取材で土日出勤するため代休がたまり、2、3週間分の休暇が代休で取れてしまうという。有給休暇分は限度額まで支給してもらい、これをバカンス費用に充てるというわけだ。

人民戦線政府以来の「バカンス天国」

ビーチリゾートに衣替えしたセーヌ河畔の自動車道路=2010年7月20日、パリ ビーチリゾートに衣替えしたセーヌ河畔の自動車道路=2010年7月20日、パリ

 フランスで「バカンス天国」、つまり有給休暇が開始したのは1936年の人民戦線政府時代だ。それ以前は、富裕層だけの特権だったが、時の首相レオン・ブルムが「健康のため」と就任前から「バカンス有用説」を唱え、2週間の有給休暇を実現した。

 その後、有給休暇という画期的な制度は当然ながら国民に支持され、政府にとっては一種の国民懐柔策にもなった。アルジェリア戦争の真っ最中の1956年に3週間、68年5月革命直後の69年に4週間、そして81年の初のミッテラン社会党大統領誕生時に5週間に延長された。

 さすがに、これ以上は長すぎるとあって、その後の政府は延長を実施していない。とはいえ、「経済が停滞する」「国際競争に勝てない」との批判もどこ吹く風。今や国際情勢の方が、この「バカンス有用説」に傾きはじめている。

経済的に困難な子供が対象のバカンス計画も

 国連世界観光機関(UNWTO)は「バカンス」の定義を「連続4泊以上」と規定しているが、実はフランスでも実際にバカンスに出発できる人は50数㌫と、過半数を少々上回るだけとの統計がある。経済的理由のほか、4日も家を空けられたない農業などの職業上の理由、あるいは身体に障碍(しょうがい)がある、老齢である、病気を持っているなど健康上の理由もある。

 そんなか、経済的に困難な家庭の児童などを対象にした、「バカンス」の計画も立てられている。子供にとってはバカンスは「権利」だが、大人にとっては子供にバカンスを取らせる「義務」があるというわけだ。

 かくして、バカンス中の地下鉄などで聞こえてくるのは、英語、中国語、韓国語、日本語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、あと何語か不明な言葉といった外国語ばかり。フランス語などめったに聞かれない。なにしろフランスは、観光客が年間8900万人(2018年度予測)と、数年前から人口(約6600万人)を突破している観光大国。「スリにご用心」の地下鉄内の案内のアナウンスも、英語、中国語、日本語だ。

まだまだクーラーなしが多いフランス

 閣僚のバカンス先は即時、出勤体制が取れる「場所」に限るという規定は、2003年夏の酷暑以来だ。この夏、老齢者など弱者を中心に、約1500人が「熱中病」などで死去したにもかかわらず、バカンス中の保健相が行方不明で、ようやくバカンス先でテレビ取材に応じた際、真っ黒に日焼けし、ポロシャツ姿だったので非難轟々(ごうごう)。バカンス明けに即、更迭された。

 それまではクーラーがなくても過ごせたフランスも、03年以後、夏場になると、「クーラーあります」という貼り紙をするレストランやタクシーが目立つようになった。ただ、パリなど大都会ではクーラーが当たり前になりつつあるが、それ以外ではまだまだクーラーなしが多い。

 保健センターがテレビで流す「熱中症対策」は、「昼間は(暑気の流入を防ぐために)窓を閉めよ」「水を飲め」「顔など体に水分を与えよ」「激し運動は控えよ」「食事は十分に取れ」「アルコールは控えよ」などだ。

フランスのバカンスシーズン。留守宅をねらう空き巣を警戒する騎馬警備隊=2001年8月8日、パリフランスのバカンスシーズン。留守宅をねらう空き巣を警戒する騎馬警備隊=2001年8月8日、パリ

世界中がバカンスを「義務」化すれば……

 私が住んでいるアパートもクーラーはなく、こうした「対策」を実行している。幸い、1900年代初期に建てられた古いアパートのため石造りで、鉄筋コンクリートより暑気を防ぎやすい。石の壁の厚さが約20㌢。気温が下がる朝晩に急いで窓を開けて冷気を入れ、気温の上がる日中は窓を閉めるというわけだ。

 8月のパリは、観光地以外は静かだ。旅行者がやって来ない裏通りなどは、車もめったに入って来ない。バカンスに出発して留守なのか、暑気防止なのかアパートも窓を閉め切ったまま。これでフランスの経済状態は安泰かと少々心配になるが、今やフランス並みにバカンスを「権利」として享受するようになった各国からの観光客が、そのツケを支払うということになれば万々歳だ。

 そのうち、世界中がバカンスを「義務」化すれば、どうなるのか――。統計社会学者のエマニュエル・トッドにでも、そのうち聞いてみよう。