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「小泉進次郎」という脱げない着ぐるみ

自民党総裁選の土壇場まで彼は態度表明しなかった。その胸中とは――

三輪さち子 朝日新聞記者

自民党総裁選を終え、記者の質問に答える小泉進次郎氏=2018年9月20日、東京・永田町の自民党本部

沈黙

 今回の自民党総裁選で安倍晋三首相や石破茂元幹事長の言動よりも注目されたのは、小泉進次郎氏がどちらに投票するかであった。

 彼は「真実を語ろうとすればするほど伝わらないことがある」とけむに巻き続けたが、9月20日の投開票日になってようやく石破氏に票を投じることを明らかにした。「違う意見を押さえつけるのではなくて、違う声を強みに変えていく。そんな自民党でなければならない」と理由を語った。

 アベノミクスによる金融緩和の出口、財政赤字、政治の信頼の失墜…。進次郎氏は安倍政権に危機感を抱いている。安倍首相に投票することはあり得ない。私はそう思っていた。

 一方で、石破氏を強く支持しているわけでもなかった。彼がもっと早く支持表明していれば、党員票はさらに石破氏に流れたであろう。党員投票が締め切られた後、投開票日になって石破支持を表明したのは、事実上の中立宣言といえた。

 なぜもっと早く表明しなかったのと問われ、進次郎氏は「(自分が)バッターボックスに立っていないのに、テレビカメラがネクストバッターズサークルやベンチを映しているのはおかしいでしょ」と答えた。永田町の常識だけで勝敗が決まり、国民がしらけ切っているこの総裁選で、あえて「安倍か、石破か」と答えても、政治家としての自分の価値を無駄に消費するだけだと判断したのだろう。

 彼は2020年東京五輪後の「ポスト安倍時代」を見据えている。

 私は2013年、進次郎氏が台湾を訪問した時に同行取材して以来、時に間近に、今は遠く離れたところから、彼を見てきた。彼がいま何を考え、これからどんな道を描いているのか。すこし引いた視点で分析してみたい。

意地

 進次郎氏の原点は、父・純一郎氏を首相に押し上げた国民の熱気である。

 2001年4月。横浜駅西口に当時、大学生だった進次郎氏はいた。総裁選の街頭演説をしていたのは、父・純一郎氏。3度目の立候補。最大派閥の領袖、橋本龍太郎氏を破った総裁選だ。

 のちに、出身大学のインタビュー記事で、進次郎氏はこう語っている。

「私たち家族さえも負けると思っていました。それがあの熱狂。横浜駅西口で、足の踏み場もないほどの人に囲まれた自分の父の姿を見、結果、永田町の数の論理ではなく、国民の力で永田町の常識は変わることを肌で感じたことは、やはり大きかった」

 私が進次郎氏の訪台に同行したのは2013年、彼が自民党青年局長だったときだった。彼の関心は当時、震災の復興や原発事故への対応にあった。何のために政治家になったのか、という具体的なビジョンはあまり見えてこなかった。

 それでも、印象的だった言葉がある。

 東日本大震災後、進次郎氏は毎月、青年局のメンバーを連れて被災地を訪問していた。それは必ずしも好意的に受け止められたわけではなかった。権限のない立場で入ってきて、何か意味があるのかと批判的な意見もあった。

 なぜ被災地の訪問を続けているのか。私の問いに、彼はこう答えた。

「だって悔しいじゃないですか。政治が、政治家が信頼されないって。メディアだってそう、民主主義のために絶対に必要だという自負をもってやっている。僕らだってそうですよ。それなのに信頼されない。期待もされない。その状況を見返したいでしょ」

 ああ、意地なんだ、と私は妙に納得した。初当選の選挙で、自民党は下野した。彼自身も世襲を批判されながら国会議員になった。そうした中で口にした「悔しい」だった。政治家としては粗削りだったが、負けず嫌いで意地っ張り。人間らしさを感じた。

引退表明した講演会で支持者と握手する小泉純一郎元首相。左が緊張した面持ちの進次郎氏=2008年9月27日、神奈川県横須賀市

重荷

 この後、進次郎氏は安倍政権下で復興政務官として初めて政府の役職に就き、党の農林部会長、筆頭副幹事長となった。同時に、自分と同世代の議員たちと、将来の政策を練りつつあった。

 このころから将来を担う政治家としての自覚が芽生えたように思う。アベノミクスは「時間稼ぎ」という認識を強く持っていたし、2020年東京五輪後の日本経済への危機感も持ち始めていた。今のうちに社会保障で痛みを伴う政策を打たなければ、その先は相当困難になると思い定めているようだった。

 安倍政権の中枢を担う麻生太郎副総理、二階俊博幹事長、菅義偉官房長官はいずれも高齢だ。各種世論調査で、進次郎氏は、ポスト安倍として名の挙がる石破氏、岸田文雄政務調査会長をしのぐ期待を集めていた。

 安倍政権が積み残した内政・外交の様々な問題のツケは、必ず自分に回ってくる。いまのうちからその処方箋を用意しておかなければ、自分一人の肩にそれらの課題がのしかかり、失敗すればあっという間に世間から見放され、押しつぶされてしまう。

 そんな重荷を背負い始めたように、私には見えた。

沖縄県知事選の応援で並んで街頭演説をする菅義偉官房長官と小泉進次郎氏=2018年9月16日、那覇市

どちらの爪をはぐか

 村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』にはこんな場面がある。

登場人物のアカは、新人教育のセミナーで受講生にこう話す。今から、君の手の爪、もしくは足の爪をペンチではがす。それはもう決まっている。しかし、どちらの爪を選ぶかは自由だ。10秒以内に決められなければ両方はぐ――。受講生は8秒ぐらいでどちらかを選ぶ。なぜそちらを選んだかと聞けば、「どちらもたぶん同じくらい痛いと思います。でもどちらか選ばなくちゃならないから」と答える。アカは「本物の人生にようこそ」と語る。

 進次郎氏は2013年8月の講演の最後に、この場面を持ち出した。

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