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リベラルが安倍政権から学ぶべきこと

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

 ああいうかたちで、4月末に新潟県知事を辞めた現在の私が、他人に何かを言う資格がないことは、私自身がよく分かっておりますし、「物言えば唇寒し」で、それ自体、非常に気がひけることです。

 しかし、私は生まれてこの方、自民党に所属していた時ですら、「リベラル」を自認してきました。「リベラル」ということさえはばかられるような現在の政治状況を眼前にし、そうした状況を作ってしまった責任の一端を負うものとして、野党統一候補として新潟県知事に当選した時から、短いながらの地方政治を実際に体験する中でずっと考えてきた「リベラル復権の鍵」について、一言お伝えしたいと思い、恐縮ながら筆を取りました。

保守とリベラルは鏡に映った右左

初閣議を終え、記念撮影のために階段を下りる第4次安倍改造内閣の閣僚ら=2018年10月2日初閣議を終え、記念撮影のために階段を下りる第4次安倍改造内閣の閣僚ら=2018年10月2日

 「我こそはリベラル」と思う方の多くは、おそらく安倍政権を嫌いでしょう。しかし、好き嫌いはともかくとして、政治、特に小選挙区制で選挙に勝つこと、を考えた場合、安倍政権がとっている政治戦略は、極めて有効かつ合理的に見えます。

 これも大変恐縮な言い方なのですが、自民党(2005年の郵政解散選挙、2009年の政権交代選挙で、私は自民党公認として民主党の田中真紀子氏と選挙を戦っています)と、野党陣営(2012年の衆院選、2013年の参院選を日本維新の会で戦ったのち,維新の党と民主党の合流により2016年から民進党に所属しました)の双方に属したものとして、私は「保守とリベラルは鏡に映った右左」であり、リベラルの側が安倍政権のとっている政治戦略を左右逆転した「鏡像」として参考にすることこそが、リベラル復権戦略の鍵であると思っています。

安倍政権の政治戦略の三つのポイント

 それでは、安倍政権の政治戦略の特徴は何でしょうか。私はポイントは三つあると思います。それは、
1.極端な右派への「戦略的寛容」
2.中道左派政策の取り込み
3.中道を越えた左派への「戦略的批判」
です。

 議論の前提としてまず最初に確認すべきは、「小選挙区における勝利」は過半数、すなわち半数以上の票をとらなければならないという事実です。

図
 考えてみれば当たり前なのですが、右ならば右全部+中道左をとらなければ過半数になりませんし、左ならば左全部+中道右をとらなければ過半数になりません。そして、中道右であれ中道左であれ、実はそここそが最大のボリュームゾーンに当たるのです。

 この様なことを言うと、「最近日本人は右傾化しているから、右は政策的に中道左をとらなくても過半数をとれる」という人がいるかもしれません。しかし、私は肌感覚として、日本人はけっして右傾化しておらず、むしろリベラルな価値観の方が主流になっているように思います(最近様々な「パワハラ」体質が明るみに出ているのはその証左ではないでしょうか)。従って、議論の第二の前提として、の横軸の右-左は、政策においても人口においても、ほぼ等分されていると考えていいと思います。

 では、安倍政権のとっている「極端な右派への戦略的寛容」とは何でしょうか?

 これは誰とは言いませんが、昨今話題を振りまいている「極端な右派的言論」を繰り返す国会議員や識者の主張を正面からは認めないけれど、だからといって声高に非難もしないことです。

 このような安倍政権の態度は、そうしたいからそうしているのか、戦略的にそうしているのかは不明ですし、本当に人権にもとるような言論については、ぜひ政権自らが正面切って批判していただきたいとは思います。が、しかし、いずれにせよこの態度は、純粋に政治戦略上は極めて有効な作戦だろうと思います。

「過半数」を取るために必要な戦略的寛容

 なにせ小選挙区では「過半数」を取ることが必須で、そのためには右なら右を、左なら左をとりこぼしてはいけません。右であれ左であれ、あまりに極端な主張はどうせ実現しませんし、極端な右の主張であれば、放っておいても左の人が、極端な左の主張であれば右の人が、いやというほど批判してくれます。

 そもそも、極端とはいえ、方向性としては同じ右、同じ左である以上、共感するところもあるわけですから、なにもわざわざ自分で批判する事はない。限度を超えなければ黙っていて、少なくとも離反させないということは、政治戦略上、極めて重要なことなのです。

 また、これは選挙をすると分かるのですが(私は自民党側でも野党側でも選挙をしたことがあります)、「極端な主張をする人」というのは、その信念ゆえに、それこそ中庸な常識人では想像もできないような集中力を発揮して選挙活動にいそしんでくれます。こういった方々を離反させることは、一生懸命やってくる人がいなくなるという意味でも、あるいは反動でものすごいネガティブキャンペーンをされてしまうという意味でも、プラスになりません。

 繰り返しますが、あまりにも極端な場合はさておき、そうでないなら、自分のサイドの極端な主張をする“勇敢な者”に対しては、穏当な言論で良識を示しつつ、しかしあえて強く批判しないことで、その実力をいかんなく発揮していただくことが、重要であろうと思います。

 なぜかリベラルの人は、自分の右隣り、左隣りのリベラルを叩いて存在感を示そうとする傾向があるように見えます。それは百害あって一利なし。自派の主張については、多少自分の意見と異なっていても、よほど極端でない限り、あえて自分からは批判しないという態度が、鏡像として安倍政権から学ぶべきことだろうと思います。

「中道右」の政策をリベラルはタブー視するな

「すべての女性が輝く社会づくり本部」の会合であいさつする安倍晋三首相(右から2人目)=2017年6月6日6日「すべての女性が輝く社会づくり本部」の会合であいさつする安倍晋三首相(右から2人目)=2017年6月6日6日

 次に、ここがより重要な点ですが、安倍政権はおそらくかなり意識的に「中道左」の戦略を取りこんでいます。それが言葉通りに実現しているか否かはまた別論として、「女性活躍社会」「働き方改革」は明らかに中道左の政策ですし、それがアベノミクスの効果か否かはさておいて、ともかくも「雇用の改善」が実現し、それを大々的に喧伝(けんでん)していることは、おそらく中道左の人に大きく響いています。

 リベラルが政策の中核にリベラルな政策をすえるのはもちろん当然なのですが、過半数を取るためには、鏡に映した左側、つまり「中道右」の政策を打ち出し、その支持を得ることが必須になります。

 それでは「中道右」の政策とは何でしょうか。それは中間層をターゲットとした競争的教育政策(お子さんの教育に熱心な中間層はかなりなボリュームだと思います)であり、一般市民が恩恵を受ける生活密着型の公共事業であり(大型公共事業はいやでも身近な公園や道路を綺麗で便利で使い勝手を良くしてほしいと思っている中間層はかなりいます)、そしておそらくリベラルが最も避けている、一定の労働市場の流動性を実現する公平・公正な競争的労働政策だろうと思います(キャリアアップできる柔軟で公平公正な労働市場を求める中間層もかなりなボリュームで存在すると思います)。

 これらの政策をタブー視せず、「中間層の利益」という軸足を決して踏み外すことなく(ここを「富裕層の利益」にしてしまったら、それはもうリベラルではありません)、しかし「保護」一辺倒ではなく、多くの人にチャンスが与えられ、通常の努力が通常の成果を生む「公平で公正な競争政策」を、「リベラルな文脈」で打ち出すことこそ、おそらくはリベラルが現在失っている中道右の支持を回復する鍵、ひいてはリベラル復権の最大の鍵だと私は思います。

批判すべきは批判せよ

 三番目の「中道を越えた左派への『戦略的批判』」は、ずばり「自らのターゲットでない層(中道左より左)は、遠慮なく批判する」ということです。安倍政権は、これもそうしたいからそうしているのか、それとも戦略的にそうしているのかは不明ですが、ご承知のように、いやというほど「左」を叩きます。

 相手の批判は、できれば穏当な範囲に留めるのが道徳的に望ましいことはもちろんですが、実のところ、批判しようがしまいが、一定より左の人は絶対に右を支持しませんし、一定より右の人は何といおうが左を支持しません。自分を絶対に支持しない人にも気を使う事が道徳的に望ましいことを否定するつもりは毛頭ないのですが、しかし選挙は戦いです。「野党は批判ばかり」などと言う批判に臆することなく、批判すべきは批判して自らのアイデンティティーを明確にし、自派の結束を図ることは必要不可欠でしょう。

 この点、特に中道左のリベラルの人に、なぜか自分を絶対支持することのない右の政策に一定の理解を示すことが、自らの見識を示すことと考えているかのような言動が散見されるのですが、それは政治戦略上は百害あって一利なし。ターゲットとする中道右派を越えた右の政策は、安倍政権を鏡像として見習って、基本的に小気味よく批判するのが、政治戦略上正しいあり方であろうと思います。

立憲民主党の枝野幸男代表(左)と国民民主党の玉木雄一郎代表。野党はリベラルの復権を図れるか立憲民主党の枝野幸男代表(左)と国民民主党の玉木雄一郎代表。野党はリベラルの復権を図れるか

最後の最後では相手をリスペクト

 ここまで、少々マキャベリ的な戦略論を述べ過ぎてしまって、それこそ、このうえ更に私の人格を疑われそうです。

 ただ、同時に私は、右であれ左であれ当然同じ日本人、同じ人間であり、矢吹丈には力石徹が、星飛雄馬には花形満が、孫悟空にはベジータが、大坂なおみさんはセリーナ・ウィリアムスさんが(これはもう国境を超えていますが)いてこそ、互いに高め合って光り輝くように、右と左が相互に競い合い、互いに高め合ってこそ、日本は強くなると思っています。

 だから、多少(相当)自分と意見が異なっても、もちろん必要な批判は批判として行ったうえで、しかし最後の最後では「戦略的寛容」を発揮して相手をリスペクトするということが、左右双方に望まれるということは、申し上げておきたいと思います。

沖縄知事選では安倍政権過半数戦略にほころび?

 ところで、9月30日の沖縄知事選挙で、野党陣営の推す玉城デニー氏が与党陣営が推す佐喜眞淳氏に勝利しました。勝利の理由は双方の戦略というよりは、玉城氏が圧倒的に強い状況だったということが大きいとは思いますが、

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