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小泉純一郎が私に託した中国への手紙

小泉首相は2001年、盧溝橋の人民抗日戦争記念館を訪れた。その背後に安倍氏がいた

冨名腰隆 朝日新聞記者 中国総局員

小泉純一郎首相と安倍官房長官(右)=2006年7月4日、都市再生本部の会議

安倍訪中、見送られた「地方視察」

 安倍晋三首相が、中国を公式訪問する。10月25~27日の日程で北京を訪れ、習近平国家主席や李克強首相と会談し、日中平和友好条約発効40周年を記念するレセプションに出席する予定だ。

 7年ぶりとなる日本の首相の公式訪問は、長く寒風が吹き込んでいた日中関係が改善に向けて本格的に動き始めたことを意味する。

 今回の訪中で、安倍首相は北京以外にも地方視察を検討していたことは関係者の間では広く知られている。改革開放の象徴である深圳、隋や唐の時代に日中友好往来の重要な窓口であった西安、脱貧困政策が成果を結び経済成長著しい内陸部の貴州など、さまざまな候補地の名が挙がっていた。

 しかし、すべて見送りとなった。複数の日中関係筋によると、問題になったのは地方視察に同行する中国側の「格」だったという。

 中国の李首相が今年5月の訪日で北海道を視察した際、安倍首相は道内の全行程に自ら同行し、新千歳空港まで見送る異例の待遇でもてなした。自らの訪中時に「返礼」を期待しての行動だったのだが、当てが外れたようである。もっとも、中国首脳クラスが外国賓客の地方視察に帯同するケースは極めてまれだ。

 日中間では1972年の日中国交正常化時、北京での交渉を終えた田中角栄首相、大平正芳外相、周恩来首相らが一緒に特別機に乗り込んで上海へ移動した事例がある。これは上海を拠点とする「四人組」ら文化大革命指導者らに外交成果を誇示する周氏のねらいがあったとされる。

 話がそれた。外交上の日程調整の裏舞台を描くことが本稿の目的ではない。

「南京訪問は?」「そりゃ無理です」

 安倍首相が中国の地方視察には行かないという今回の発表に触れ、私は今年の夏、北京から東京に一時帰国した際に日本政府高官と交わしたやりとりを思い出した。

 日本の首相が中国の地方を訪ねるとしたらどこがふさわしいかというたわいもない話題だったが、「旧満州や南京を訪れるのも悪くないのでは。国際社会の評価は高まる」という私の提案を、日本政府高官は「冗談でしょう。そりゃ無理です」と一笑に付したのだった。

 安倍首相の政治基盤を考えれば旧満州や南京を訪問するのは難しいということだが、果たしてそうだろうか。

 2016年末、安倍首相はオバマ米大統領と真珠湾訪問を果たしている。2015年には日韓の間の「トゲ」である慰安婦問題の決着にも動いた。私がそう投げかけると、日本政府高官は「第2次世界大戦後に同盟関係にまで至った日米と、政治制度や人権といった基本的な価値観で相いれない日中では全然違う」と反論した。

 いずれにせよ、現在の日本政府にはまったく想定にないことだけは彼の反応からはっきりした。

 私がこの話を持ち出したのには、理由がある。

小泉元首相、A4用紙一枚の思い

 昨年末のことだ。上海支局に赴任し、新年企画に向けた取材で奔走していた私のもとに1本の連絡が入った。「東京に戻って来た時に一杯やらないか」。小泉純一郎元首相からの誘いだった。

 私は長らく政治部記者として、永田町や霞が関を駆け回る日々を送ってきたのだが、振り出しは小泉氏の首相番記者だった。小泉内閣は5年半も続いた長期政権だ。番記者と名乗るのは、おそらく100人以上はいる。当時の私はワンオブゼムに過ぎない。

 個別に会って話ができるようになったのは、小泉氏が政界引退後、脱原発の運動に取り組むようになってからだ。2015年9月、首相退任後初めてとなるインタビューを行い、翌年には小泉氏の脱原発に懸ける思いや一連の活動を同僚記者と共に書籍化した。

 「脱原発の最新情報でも話したくなったのだろうか」。そんなことを思いつつ、私は一時帰国を利用して小泉氏に会った。

 御用達である赤坂「津やま」で向き合った小泉氏は、この日も冗舌だった。「フィンランドの核廃棄物最終処分場・オンカロの映像を見直したんだ。やっぱりあんなものを日本に作れるはずがないよ」。脱原発への変わらぬ熱意を、2時間以上、まくし立てた。

 東日本大震災の「トモダチ作戦」に参加して被曝したという元米軍兵らを支援する目的で創設した基金が予想以上に集まったこと、郵政解散時の会見直前にあった会合で少し酒を飲んでしまったが、かえって緊張がほぐれたという思い出、息子・進次郎衆院議員のこと――。

 「小泉にオフレコなし」である。いずれ機会があれば紹介したい。

 話題があちこちに飛び、そろそろ、というタイミングだったろうか。小泉氏は「そう言えばいま、中国だよな」と切り出すと、おもむろにA4用紙1枚紙を私に渡して、こう言った。

 「私は本来、日中友好論者なんだけどね。でも靖国参拝もあって、そこが伝わらなかった。これは中国への手紙のようなものだ。持っておいてくれ」

靖国参拝のこと

 紙には「小泉純一郎講演記録 靖国神社参拝についての部分」とあった。首相退任から1年も経たない2007年7月23日に鹿児島市内のホテルで語ったものだ。その「手紙」を、私はその場で一気に読み上げた。やや長いが引用する。

 私は読書が好きで、特に歴史・時代小説好きですが、もし今まで読んだ本の中で最も感銘を受けた本、感動した本を一冊挙げろといわれれば、海軍飛行予備学生の遺稿集(第十四期会編)「ああ同期の桜 かえらざる青春の手記」です。
 この本を学生時代に読んで強烈な印象、深い感銘を受けたんです。
 あの本を私は涙ながらに読んで、今までの自分の生活を振り返ると恥ずかしい思いをしました。もし私があの時代に生まれて、同じ年頃だったら当然、戦争に行きたくなくても、行かざるをえない状況にあったと思います。そのような時にあの若人のような立派な態度を私は果たしてとれるだろうか。あの本を読んでから、愚痴をこぼしたり不平・不満を言うのは恥ずかしいと思うようになりました。以来、何か苦しいことがあると、あの特攻隊員の気持ちを思い、現在の苦しい状況と、どちらがいいか考えるんです。
 いざ、死ぬために飛び立たなければならなかった特攻隊員の気持ちを思うんです。
 もっと生きていたかったでしょう。やりたいこともたくさんあったでしょう。
 そのような思いを捨てて、家族と別れ、祖国のために命を投げ出さねばならなかった特攻隊員の気持ちと比べたら今の苦労なんかなんでもないじゃないかと自分に言い聞かせながら私も頑張ってきたつもりです。
 知覧特攻平和会館を訪れて、当時の特攻隊員の写真や遺書をみて何も感じずに立ち去る人はいないでしょう。
 現在の日本の平和と繁栄は今生きている人だけで築かれたものではなく、尊い命を投げ出さなければならなかった人たちの犠牲の上に成り立っているものだということを我々は忘れてはならない。
 二度と戦争をしてはいけないという気持ちで、今まで靖国神社に参拝してきました。
 特定の人に対して靖国神社に参拝しているわけではありません。
 心ならずも家族と別れて命を捨てなければならなかった、多くの戦没者の方々に敬意と感謝の誠を捧げ、哀悼の意を表すために靖国神社に参拝しているのであります。
 私は日中友好論者であります。
 中国政府は、将来いつかきっと後悔するでしょう。
 友好国の日本国首相、しかも民主的に選ばれた首相に対して、靖国神社に参拝するかしないかを条件に首脳会談を行うか行わないか考えると言ってきた。
 私は首脳会談を拒否されても閣僚諸君は大いに中国との交流を進めてほしいと指示してきました。
 経済界も一般国民も交流を拡大し、ますます中国との友好関係を発展させるべきだと考えるからです。
 私を支援し協力してくれる国会議員や経済界の人の中にも私が総理大臣在任中は靖国参拝はするなと忠告してくれた人もいました。
 しかし私は靖国参拝の考えを説明し、もし本当に多くの国民が私の靖国参拝をいけないと批判するなら、そのような国民の総理大臣になっていたいとは思わないと言ったんです。
 ブッシュ大統領との会談の際、中国問題が話題になった時にこういう話がありました。
 小泉は中国や韓国の首脳が靖国参拝するなといっても言うことをきかないが、ブッシュ大統領が靖国参拝するなと言えば、小泉は言うことをきくだろうと思っている日本国民がいる。
 しかし私は、ブッシュ大統領、あなたが靖国神社参拝するなと言っても、私は必ず毎年参拝すると言ったらブッシュ大統領は「オレはそんなこといわない」と笑っていましたよ。
 中国政府、韓国政府も将来、日本の首相に対して「なんと大人げない、恥ずかしいことをしたんだろう」と後悔する時がくると思いますが、これから中国や韓国との関係は、ますます重要になってきます。
 様々な分野で交流を拡大し、友好関係を発展させていかなければなりません。

 その「手紙」を読み終え、私は「もう少し別のやり方はあった気がする」という思いを小泉氏に率直に伝えた。

「A級戦犯に向けた参拝ではない」とより強く訴えるべきだった

 小泉氏が続けた靖国神社参拝は、結果として日中関係を停滞させ、「政冷経熱」と言われる長く厳しい時代を作り出した。

 私は2005年10月の参拝を現地で取材したが、「よくやった」「ふざけるな」などと境内を取り囲む人々の賛否の声が飛び交う中、首相が数十人のSPに厳重に警備されながら神門から拝殿を歩く姿は、まさに異様な光景だった。

 一方で、小泉氏が現役時から明言してきたことがある。手紙にもあった「特定の人に参拝していない」という思いだ。この点を強調するのは、外交に絡むポイントであるからだろう。

 靖国神社参拝について中国や韓国が長らく問題にしてきたのは、一般兵士ではなく戦争指導者への追悼だった。A級戦犯が合祀された靖国神社を、日本国のトップである首相が参拝することは認められないと主張してきた。

「戦争指導者の責任を小泉さんは認めている。参拝はA級戦犯に向けたものではないと、より強く訴えるべきだったのではないか」

 私が問うと、小泉氏は短く答えた。

「そういう思いを強く言ってきたつもりだけどね」

 私はふと、あることを思い出して聞いてみたくなった。

「そう言えば、首相時代になぜ盧溝橋や抗日戦争記念館へ行ったのですか?」

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