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思った事をすぐ口に出す韓国の「伸びしろ」

この国では「規則ですので何ともできかねます」とは言われない

藏重優姫 韓国舞踊講師、仁荷工業専門大学語学教養学科助教授

「なぜ日本語を勉強しているの?」と仁川大学日語日文学科の学生に聞いた

5歳で韓国に来た娘は「NO」と言える 

 NOと言える韓国と言えない日本。

 素直で情緒的な韓国と秩序と配慮の日本。

 日本と韓国、足して2で割ったらちょうど良いのに。ソウルで暮らしていて、そう思うことがよくあります。

 血統主義には反対ですが、日本人の父と在日コリアンの母の間に生まれた私は、まさに日本と韓国を足して2で割った存在です。でも、私の習性は、足して2で割ったようにはいかないようです。韓国の人から見ると、私の行動や考え方は「日本」そのものだそうで、私にこう言います。

 相手を気にしてすぐに自分の考えを言わないところが日本人らしい。

 先に状況や理由を説明するところが日本人らしい。

 私の上の子どもは5歳の時に韓国に来たのですが、はっきりとNOと言えます。それも怖いくらいに。

 韓国で「イヤ!」は「シロ(싫어)!」と言います。家に遊びに来ていた友達Sちゃんが「ねえ、次、これで遊ぼう~」「これ、私も貸して~」と言うのに対し、はっきり「シロ!」と拒む娘を見て、ギョッとしたことがあります。

 でも、大丈夫です。喧嘩にはなりません。韓国では「シロ」という言葉をはっきり言うものなんです。

 私ならそういう表現は出来ません。「う~ん、今、その遊びうるさくなるから、あとでしよう」とか、「う~ん、ちょっと…これ、大切にしてるから…」とか、当たり障りなく答えるでしょう。

 娘を観察していてさらに面白いことがあります。はっきりNOというのは韓国の人に対してだけで、どうも日本の人に対してははっきりNOとは言わないのです。

 彼女は韓国語と日本語のバイリンガルですが、コミュニケーションの方法までバイリンガルのようなのです。

「配慮」が身についている日本の保育園児たち

 日本は「イヤ!」に限らず、自分の意見を言わないか、遠回しにして言うコミュニケーションの方法が一般的です。自分の意図するところを曖昧にするためか、相手側にこっちの気持ちを悟ってほしいという甘えか、自分に自信がないのか、はたまた、自分の言葉に責任を持ちたくないのか、色々考えると楽しいです。

 でも、良いように考えると、相手への配慮です。はっきり自分の気持ちを表現せず、相手の立場や気持ちを優先する。

 娘を5歳まで東京で育てましたが、そうした配慮が保育園で子どもたちの身に付いていることに驚きました。

 先生が前に立つと、子どもたちは先生を見ようとする。そこには程よい緊張が既に生まれています。先生が次に何を言うのかと耳を傾けようとする。その状態が何時間もそれなりに続いていく。これはすごい訓練です。5歳にして全体を意識する雰囲気ができ上っているのです。

 これが日本社会のスタンダード! 配慮であり秩序!

 東日本大震災の際、秩序的なところ、忍耐強いところは世界から尊敬を集めました。韓国のママ友の間でも、たまに出てくる話題です。それだけ日本の秩序的なところ、他人に配慮するところを凄いと思って気にしているのです。

歌や演技の表現力が豊かな韓国の人たち

 良くも悪くも韓国は違います。

 私が小学生に日本語を教えに行った時のことです。さっそうと教壇に立って、構えた私。心の中で「みんな~私に注目!」と思っても、ザワザワはおさまらない。私は仕方なく、口を開いて子どもたちを注目させました。

 私の思い描いていたのは「さっそうと登場する私に注目する生徒たち」だったのですが、登場するだけではダメでした。一発、注目される何かをかます事が必要なのです。

 もちろん、韓国にも私が壇上に立った時から姿勢を正し、私を見る生徒もいます。逆に日本にも、先生が前にいるのにいつまでも私語をやめない生徒もいるでしょう。でも、私の言っているのは、個人的なそれではなく、全体的なことなのです。

 小学4年の娘のクラスでも、自分の思った時にすぐ発言する子が多いです。私が大学で教えている学生たちも、慣れてくると私が話している途中ですぐに質問してきます。「最後まで話を聞け~」と思う事、しばしばです。

 韓国には歌がうまい人が多いんです。声量と表現力、度胸が違う。遠慮、恥ずかしさなんて感じません。韓国の保育園では、一人ずつ歌を歌わせたり詩を朗読させたりする授業が1か月に2、3回はあります。人前に出ることを不得意とする子どももいますが、一人で前に出て歌ったり発表したりすることは日本より日常のようです。

 韓国映画や演劇を見ていつも思うのですが、韓国の人は演技がとても上手です。真に迫った演技は得意中の得意。感情表現が豊かなのでしょう。

 思った事をすぐに口に出すところや感情に正直なところが、歌や演技の表現力の凄さに関係している。私はそう考えています。

 私たちは、娘が5歳の時に突然韓国に移住し、この子は適応できるのかと心配しました。一見大人しそうに見えるうちの子が、平気で韓国の子どもに「シロ!」と言い、気の強い韓国の子どもたちと互角に渡り合っている姿を見ると、頼もしく、感情をはっきり表現できることにほっとしました。

コスモスが咲く仁川大学のキャンパスで日本語を学ぶ学生たちと。前列左が筆者

素直な韓国は変わる時は一気に変わる

 思った事をすぐに口にする、行動に起こす。悪い面もありますが、それがあるからこそ私は韓国社会に「素直さ」を感じるんだと思います。

 ある時、車のラジオから「認識改善キャンペーン」の放送が流れてきました。それは、ある教授の次のような言葉から始まりました。

「韓国では、どうしてイタリアのスパゲティはそのままスパゲティと言い、ベトナムのフォーは韓国式に名前を変え『サルクッス(米の麵)』と言うのでしょうか」
「どうも我々は、西洋の食べ物の名前はそのまま受け入れ、アジアの食べ物は自分たちの言いやすいように名前を変える傾向にあるようです」

 韓国社会に潜む差別的な部分に優しく語りかけるように光を当てたこの教授のお話を、私は「さもありなん…」と若干上から目線で聞いていました。韓国は、自国経済への注目と投資には目覚ましいところがありますが、外国人や障がい者の人権といった社会問題に関してはまだまだ課題があると思っていたからです。

 でも、よく考えてみると、このキャンペーン放送は、毎日、同じ時間に流れます。お昼の時間帯にも聞いたことがあります。一日に何回か流れているのです。以前は「在外同胞(海外に暮らす韓国人)にも目を向けよう」とか、「障がい者と共に暮らす世の中」とかいう放送もありました。視聴者に蓄積される影響は大きいと思ったのです。

 しかも、押し付け的な口調ではなく、つい耳を傾けてしまう優しい人情のある口調。「認識改善キャンペーン」とはよく銘打ったもので、疑問や反省を自然に促せそうです。「さもありなん」は感心へと変わっていきました。

 必要だと感じたら、すぐに行動に移す韓国。結構大々的に行います。だから、何かが変わる時は一気に変わる。「認識改善キャンペーン」に似た放送は、他の放送局でも行われています。躊躇なく変わるところは、ある意味、とても素直です。

まるで違う日韓の役所の窓口

 20年ほど前にもよく似た経験をしました。韓国にIMFが来て、一時期ソウルの道路から車が消え、あんなに渋滞していたソウルの道路が空き空き状態になったのです。ガソリンを購入することは外貨の流出なので、国民は車に乗らないことで国を助けようとしたのです。

 ところが、1週間もすると車はたくさん走り出しました。私は当時、「正直だな~」と人間らしさを感じたものです。むしろ清々しいくらいに。

仁川大学の食堂で学生たちと。一番人気というトンカツうどん
 配慮・秩序の日本は「ルールを守る」ことを大切にします。みんながルールを守るから秩序が保たれるのです。

 でも、このルールを守る精神、たまに行き過ぎているところないですか。ルール自体に責任を押し付け、自分の責任は回避する、そんなところありませんか。「規則ですので…」とか「そういう決まりでして…」とかいう言葉に、一瞬イラッとするのは私だけでしょうか。

 例えば、役所の窓口。「権利」を盾にして執拗に自分の要望を主張する市民が多いからか、窓口側は「規則」を盾にして一点張りです。

 韓国の窓口は友好的です。私が何か失敗して申し訳なさそうに窓口で説明すると、まず、同情してくれます。同情しているふりかもしれませんが、すぐに「規則ですので何ともできかねます…」とは突き返されません。

 思い通りに行く時と行かない時とは半々ですが、うまくいくと「ヤッター! 良かった!」と思いながらも自分の失敗を振り返って反省します。ダメだった時も窓口の人が同情して何とか解決方法を探そうとしてくれるので、心は落ち着きます。

 ここで注意したいのは、まず、私が「申し訳ない」という態度を示すこと! はじめから私の権利を主張したり、相手側のミスを指摘したりすると、韓国の窓口でも日本のような対応になってしまうでしょう。

 人間的な感情を表わせば、相手も人間的に対応してくれる韓国の窓口。私は素直に良いなと思います。

新幹線KTXの扉は開いた

 こんな私でも、この間びっくりすることがありました。日本の新幹線に当たる韓国のKTXでの話です。

 ホームに娘たちと立っていると、ブザーが鳴り、もうすぐ発車するとばかりにKTXのドアが閉まりました。そこへ1歳くらいの赤ちゃんを抱っこしたお母さんが、猛ダッシュしてきて車掌さんに発車を待ってくれと言っています。まず新幹線(KTX)に交渉するということにビックリしましたが、エレベーターの方を必死で指さしていたので「家族が降りてくるんだな」と推測できました。

 透明のエレベーターの中に人影は見えず、まだ上の方にいるのでしょう。車掌はドアを閉めてしまいました。それでも、お母さんは諦めずドンドンと叩いています。そうしているうちに家族たちがホーム階に到着し、トランクを引っ張るおじいちゃん、大きい荷物を抱えるおばあちゃん、そして5歳くらいの子どもが走ってきました。すると「ウワーン」と鳴り始めていたエンジン音が少しずつ小さくなり、とうとうKTXのドアが開いたのです。

 

韓国のKTX
 「日本だったら絶対あり得ない~!」と驚きつつも、救われた家族のことを考えると心はホッコリしました。

 いじわるな私は、となりで一部始終を見ていた娘にこう質問します。

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