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大学に立て看が必要なわけ

自分の頭で考えることを学ぶはずでは……。大学で強まる不可思議な規制

小林哲夫 教育ジャーナリスト

立て看板が撤去された後の京都大学本部立て看板が撤去された後の京都大学本部

大学のキャンパスでビラを撒いたら……

 いま、大学のキャンパスで、学長批判または安倍政権批判のビラを撒(ま)いたらどうなるのか。

 2015年から今日までの話である。

 慶應義塾大、上智大、明治大、法政大、同志社大で、学生がそのような内容のビラ撒きを実行している。大学に許可を得ていない。4大学いずれも、事務職員、警備員がすっ飛んできて、この学生を学外に追い払ってしまった。これはビラを撒いた張本人たちか聞いた話である。

 一方、東京大、京都大、早稲田大の学生もキャンパスで政治的なビラを撒いた。しかし、誰からも咎(とが)められなかった。

 大学によって温度差がある。

立て看が話題にのぼらなくなった平成

東京大学(駒場)の立て看板東京大学(駒場)の立て看板
 キャンパスで政治的主張を掲げた立て看版、ビラを見かけなくなった――。こう言われたのは、昭和の後半、1980年代のことである。その後、平成の30年あまりは、政治的な立て看やビラなどはほとんど話題にのぼらなかった。

 いや、政治ビラは2015年に復活している。SEALDsが登場し、安保関連法案の反対運動が盛り上がったころだ。このとき、学生はビラではなく、フライヤーと呼んでいた。ただ、SEALDsは集会時、あるいは街頭で配ることが多く、キャンパスにおいてビラや立て看版で訴えることはほとんどなかった。学生への呼びかけはSNSで行い、活動の場を国会前、官邸前、公園などに求めたからである。

 大学で立て看、ビラが見られなくなったのは、キャンパスで学生が政治活動をしなくなったからだが、大学側の規制が厳しくなったことも大きい。

 冒頭に紹介したのは、いまとなってはめずらしいが、学内でビラを撒いて自己主張しようとした学生のケースである。

 では、大学は具体的にどう規制しているのか。

許可を得られないとビラ撒きを断念

 明治大は構内でこんな掲示をしている。

「明治大敷地内における注意事項」
「本学の敷地内では、本学の許可なく以下の行為をすることを禁止します。
1 集団示威行動、集会及び行事の開催、座込みなどの敷地の占拠、宿泊、演説、営業、取材、署名集め、アンケート、勧誘、撮影、募金活動、物品販売、宗教活動、ビラ・チラシ配布」
3 看板、ポスター、ビラ、物品等の掲示・配布
5 はちまき、ゼッケン、腕章、ヘルメット、旗、のぼり、拡声器、プラカード、マイク及びこれらに類するものの持ち込み
10 その他本学の風紀を乱す行為及び公序良俗に反する行為並びに本学の業務・授業等の正常な運営・遂行に支障をきたす行為
2014年12月2日」
(一部略)

 明治大のある学生は次のようなビラを撒こうと考えた。

「2020年東京五輪で明治大は学事暦を変更し、五輪期間中は休校となり、4~5月のゴールデンウィークを登校させることを決めた。しかも、五輪ボランティア参加をすすめる。こんな学徒動員的な政策に断固、反対する」

 しかし、大学の許可が必要であることを知りあきらめた。大学批判になるので許可されるはずがない。ヘタすれば停学とか退学とか、処分されてしまう。

 この学生はSNSで幅広く訴えようとしている。

 表現の自由がない。

 学生にそう思わせてしまい、失望させることに問題はないか。

「注意事項」を掲げる理由

 もっとも、大学側にすれば、学内で学生に政治的な言動を認めるととんでもないことになる、という認識を持っている。

 明治大が「注意事項」を掲げるには、それなりに理由がある。

 1960年代後半から70年代前半、明治大では学生運動が盛んだった。キャンパスには毎日のようにビラが文字どおり舞っていた。

 ハデな立て看版もズラリと並んでいた。バリケード封鎖も経験している。

 1970年代、学生運動が沈静化すると、過激派と呼ばれる新左翼党派が明治大の建物の一部を拠点としてしまう。学外者が入りこみ、事実上の占拠状態が続いた。しかも対立党派との暴力事件が起こってしまう。1990年代になっても、新左翼党派内で大学の主導権争いが続き、明治大の関係者が死亡するなどの衝突が起こってしまう。

 大学にすれば、過激派を一掃しなければ、学生の安全は守られないと考えた。

 1998年、明治大は23階建ての高層ビルの校舎、リバティタワーが完成するとともに、学内の新左翼党派を追い出してしまう。もう暴力はゴメンだと。

 それと同時に、学内での政治活動を大幅に制限した。事実上、禁止に近い。こうでもしなければ、過激派がいつ入りこんでくるかわからない、という防衛策である。

「過激派」を追い出した法政大

 法政大も同じように「過激派」を追い出した。そして、学生に「過激派」の勧誘を受けないようにオリエンテーション、配布物で注意を呼びかけている。

 同大学では年度初めに学生全員に配付される「HOSEI UNIVERSITY CAMPUS DIARY」(学生生活の案内を記して手帳)において、「学外組織による勧誘に関する注意」が記されている。

「過激派の政治セクトが、社会問題をテーマに学習会系サークルを名乗ってあなたを勧誘することがあります。今の社会情勢を「革命」で変革しよう、と若者の正義感に訴えてくることもあります。彼らはかつて力づくで反対する意見を屈服させていた“過激派”の正体を今は隠し、学生運動や市民運動の体裁をとり、あなたの正義感をくすぐってきます。(略)
彼らがあなたにキャンパスの内外で、大学の「不当処分」を訴えて同調を求めたりしてきます。学外者である彼らが授業教室に入りこみ、一方的に主義・主張をまくし立てて勝手にクラス決議をあげさせたり、運動への参加やカンパを強要したりすることがあります。法大生の振りをした彼らに騙されないでください。
「学生自治会」は本学には存在しません!!」

 法政大で総長批判、現政権批判の立て看を出したり、ビラを撒いたりすることはできない。「過激派」扱いされ、追い出されるのがオチだ。

 過去に法政大で暴力行為を繰り返し、建物を破壊し、殺人事件まで起こした「過激派」を大学から締め出す。

 それは理解できる

 しかし、大学や社会に対する批判は、「過激派」だけが行うわけではない。一律に、立て看、ビラによる規制は、学生の自己表現の場を奪い取ることになる。それによって、学内で学生が議論するきっかけを失ってしまう。

 議論する以前に、学生が自分の頭で考えることができなくなる。規制だからといって考えるのをやめてしまう。

 大学がこんな空間になっていいのだろうか。

アクティブ・ラーニングのキモ

 一方で、いま、国、大学は、学生が自分の頭で考えさせるシステムを作ろうとしている。

 ひとつは、「アクティブ・ラーニング」という教育方法である。

 文部科学省は大学の授業改革として、各大学にこれを導入するように推奨している。
文科省はこう定義する。

 「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である」(文科省ウェブサイト)

 学者が書いたような説明でわかりにくいが、キモは後半にある。

 「発見」「問題解決」「ディスカッション」だ。教員の一方的な講義ではなく、学生が問題を発見して、それを解決できるように教員と学生、学生間で議論しましょう、というものだ。

 学生参加型授業とも呼ばれている。

 当然、学生は自分の頭でしっかり考えなければ、問題を発見する、解決しようとする、そのために議論することはできない。

入試制度改革のねらい

英語の大学入試改革をめぐって激しい議論が展開されたシンポジウム=2018年2月10日、東京都文京区の東京大英語の大学入試改革をめぐって激しい議論が展開されたシンポジウム=2018年2月10日、東京都文京区の東京大

 もうひとつは、2020年度からの入試制度改革である。

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