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徴用工判決、日本は「あり得ない」だけでいいのか

日韓「絶望的な関係」の背景には「ずさんな正常化交渉」の過去放置がある

市川速水 朝日新聞編集委員

 

徴用工裁判の結果を1面トップで伝える2018年10月31日付の韓国朝刊各紙

日韓国交正常化の根幹に踏み込んだ韓国の最高裁判決

 先の大戦中に日本の工場に動員された韓国人元徴用工が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、韓国大法院(最高裁)が10月30日、個人請求権を認め賠償金を支払うよう命じた控訴審判決を支持する初判断を示した。1965年の日韓基本条約・請求権協定により「請求権問題は完全かつ最終的に解決済み」と主張してきた日本政府との隔たりはあまりにも大きく、日韓国交正常化の根幹を揺るがす問題に発展した。

 これまでの韓国の裁判の流れからいえば予想通りの判決ではある。だが、徴用工問題は、従軍慰安婦や原爆被爆者の補償問題と同様、個人請求権に光を当てたものとはいえ、国交正常化交渉の際、徴用工動員の責任問題が最大の焦点の一つだったという意味で次元が異なる。前者二つの問題とサハリン残留韓国人への補償問題は、14年間に及ぶ国交正常化交渉の中でもほぼ取り上げられず、今と同じ革新系勢力の盧武鉉政権時代に「解決済み問題の例外」とされた。今回は、韓国の司法判断が、まさに「根幹」に踏み込んだものだ。

 徴用工裁判は、日韓請求権協定そのものに疑義を投げかけることになった。さらに、個人請求権を認めたうえで個人賠償も認めたことで、「裁判を提起する個人の請求権はあるが救済は拒否される」と考えてきた日本の裁判所・政府と真っ向から対峙することになった。

 この「理屈」の大きな違いは、当面、埋まることはないだろう。文在寅政権は大法院の決定を「尊重する」としているが、どのような行動を取っても今の冷えた日韓関係では解決の道を探すことは難しい。

 文大統領が判決を放置すれば韓国内世論が猛反発する。時間を置けば不作為の責任を負うことになる。日本が国際司法裁判所に訴えて主張が認められたとしても、韓国世論は納得しない。日本企業の進出、年間1000万人規模に育った人的な交流も滞るだろう。日韓関係ががたがたと崩れ落ちるのは看過できないが、今回ばかりは絶望的と言わざるを得ない。

 ただ、ここまで来てしまったコミュニケーション・ギャップの背景は何か。それは、日本が伝家の宝刀としている1965年の正常化交渉妥結までの道のりにある。

「個人の救済」をないがしろにし、「終わった」「終わっていない」と半世紀以上も言い合ってきた

 私は日韓交渉の記録を韓国が日本に先んじて公開した2005年にソウルに駐在し、交渉記録の数千ページに目を通した。両国の思惑ばかりが交錯した、実にずさんな交渉だった。日韓は最初から国交正常化と経済協力のバーターありきで、その狭間に置き去りにされた問題が多かった。それが、「個人請求権は消滅しない」という解釈が国際的な常識となった1990年代以降に火を噴くことにつながる。

 その点は日韓双方に責任がある。日本も「完全かつ最終的に解決済み」と繰り返すだけで、交渉の目的や過程を積極的に開示し、国民の理解を得ようとしてこなかった。協定には、解決できない紛争処理の時の方策も書かれているのに、話し合う関係には至らなかった。

 2015年末の「慰安婦合意」で日本が10億円拠出したのに韓国世論の反発で事実上、崩壊したのと相似形の問題ともいえる。時の政府間合意と日韓基本条約・請求権協定では国際社会での重みが全く違うが、権力同士の秘密交渉で個人の救済をないがしろにし、「終わった」「終わっていない」と言い合うだけの関係は、戦後、半世紀以上続いてきたのだ。

 2005年1月に韓国が初めて一部公開した日韓会談文書で確認できたこととして当時、私たちは記事でこうまとめたことがある。

①請求権の意義をめぐる本質論が最後までかみ合わず、韓国が求めた「賠償」「謝罪」という性格は消え、最終局面で「請求権・経済協力」という文言に転じた。
②個人請求権について韓国は、103万人が強制徴用されたと試算し、被害補償として総額3億6400万ドルを求めたが、日本は「被徴用韓国人は当時、日本人と同一の法的地位にあった」と補償に応じず、最後は韓国が「韓国側で個人補償を含むすべての請求権を一括解決する」という方針に転じた。
③請求権は北朝鮮にも及ぶと韓国が主張していた。

 日本は1962年の「大平正芳・金鍾泌メモ」で無償供与3億ドルなどの密約を交わし、その後はこの大雑把な大金が交渉妥結の推進力となる。

 韓国は1974年に「対日民間請求権補償法」を定め、個人補償を始めたが、対象を旧日本軍人の死亡者などに限ったため約8500人しか受け取れなかった。

 韓国は日韓国交正常化40周年の2005年8月、個人名や極秘文書も含め100%の全面公開に踏み切る。これに足並みを合わせて、盧武鉉政権は「旧日本軍慰安婦、原爆被害者、サハリン残留韓国人への対応は会談で議題に上っていないため請求権協定の対象外」との見解をまとめた。

 しかし、この時もその後も、韓国政府が徴用工問題を特段取り上げることはなかった。

 日本の動きはさらに鈍かった。韓国の文書公開の動きに対し、上記③に関連づけて「今後の日朝正常化交渉に差し障る可能性がある」として日韓会談文書を公開しないよう働きかけたこともある。外交文書を30年後に公開するという「30年ルール」も日韓交渉については無視してきた。韓国側の全面公開で第7次まで及んだ会談の進展具合や双方の主張はとうに明らかになっているのに、どこがどう差し障って非公開を続けてきたのか、日本側は説明しないままだ。

「あり得ない」ことではなく、予想できたことだった

 今回の大審院判断で特徴的なのは、原告が求めた「強制動員被害者の慰謝料請求権」が「(解決済みとされた)請求権協定の適用外」と認定された点にある。盧武鉉政権時代に規定した「例外」をさらに広げ、植民地統治全体が「不法な支配」であると指摘したことになる。

 この点についても、日韓交渉の中で植民地支配の清算へ決着をつけるチャンスはあったが、双方が暗黙の了解で逃していた。

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