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「ベルサイユのばら」と日本国憲法

エンタメ を楽しみながら、日本国憲法のエッセンスを体得する(1)

内山宙 弁護士

憲法の公布原本(複製)に記された、戦争放棄をうたう第9条の条文(左)=東京・国立公文書館憲法の公布原本(複製)に記された、戦争放棄をうたう第9条の条文(左)=東京・国立公文書館

小難しい勉強はしなくてもいい

 ここ数年、「憲法改正」というキーワードが世間を騒がせています。そういうのを小難しく解説するものが世の中にはたくさんありますが、私は、そういった小難しい話をするつもりは全くありません。それどころか、エンタメの話をします。

 なぜか?エンタメ作品を題材に、憲法を学ぶことができ、さらに日常生活の大変さを乗り越えるヒントが得られると考えているからです。憲法は、眉間にしわを寄せて机に向かって学ぶよりも、エンタメ作品を楽しみながら、気づいたら自然と体得できていたというくらいがいいのです。

エンタメ作品で憲法が学べる

 そもそも憲法は、何か聖典のようなものがあり、それを研究することで生まれてきたものではなく、人が生きていく過程でぶつかった壁を乗り越えようとするドラマの中から、生まれてきたものです。

 勝手に課税されるという壁を乗り越えようと、イギリスから独立したのがアメリカでした。そのときにつくられた「独立宣言」の人民主権の考え方は、アメリカ憲法に引き継がれました。フランスも、絶え間ない戦争や浪費による財政赤字と課税問題から革命が起こりました。その際につくられた「人権宣言」は国民主権や権力分立などを規定。その精神はフランス憲法に盛り込まれます。奴隷の解放や公民権運動も差別されて苦しんでいた人たちが、それを乗り越えようと努力し、アメリカ憲法の修正につながりました。そこには必ずドラマがあります。

「ベルサイユのばら」©池田理代子プロダクション
「ベルサイユのばら」©池田理代子プロダクション
 一方、エンタメ作品がエンタメとして成立するためには、登場人物が何か制約を課せられていたり、壁にぶつかったりしないと盛り上がりがなく、平板なストーリーになってしまいます。ですから、何か壁を設定して、それを乗り越えていくストーリーを仕立てる。そこにドラマが生まれて、感動します。

 もちろん、制約とか壁は作品によって様々です。それは、人権侵害であったり(イジメも立派な人権侵害です)、専制政治であったり(上司や先生のパワハラも専制政治の一種です)、権力の濫用(チームのリーダーの独断専行も権力の濫用にほかなりません)だったりします。たとえば、時代劇で、悪代官が正義の味方に成敗されるのも、権力の濫用をどうやって食い止めるかという視点で見ると、実に憲法的なお話です。

 つまり、エンタメ作品で主人公たちが壁を乗り越えていくための“武器”を、憲法や人権の問題として捉えることも可能なのです。そうした目でエンタメをあらためて見てみると、優れた作品の中には、憲法的な要素がかなりあることが分かります。

 これを使わない手はない。エンタメ作品を楽しみながら、憲法の理念や思想について学んじゃえ。それがこの連載「エンタメ de 憲法」のコンセプトです。

 なお、ネタバレについては、記事の最後に注意点を書いています。基本的には過去の有名な作品を取り上げていきますので、もうご覧になっている方が多いと思います。ネタバレは嫌という人は、今すぐそのエンタメ作品を見て、その後すぐにこの記事を読むようにしてください。

 では、はじめましょう。第一回で取り上げるエンタメは、池田理代子先生のあの名作「ベルサイユのばら」です。

「ベルサイユのばら」のストーリー

 「ベルサイユのばら」の舞台は、革命直前から革命期にかけてのフランスが舞台です。オーストリア王室からフランス王室に嫁いできたマリー・アントワネット。その近衛隊長で男装の麗人であるオスカル。二人の心をときめかせてしまうスウェーデン貴族のフェルゼン。この3人を中心に、激動の時代に生きた人たちが、歴史の波に翻弄されつつも、自分らしく生きる道を切り開いていくという物語です。

 オスカルは、代々将軍を輩出してきた貴族の6人姉妹の末娘として生まれますが、後継ぎが欲しかった父親によって、男として剣術などを仕込まれて育ちます。そして、女性でありながら軍人として活躍するのですが、マリー・アントワネットがお忍びで夜会に行く際にフェルゼンと出会い、後に恋をしていることに気づいてしまいます。でも、自分は軍人であり、男として生きなければならないということから、その気持ちを押し殺して辛い思いをします。

ベルサイユのばら=©池田理代子プロダクション ベルサイユのばら=©池田理代子プロダクション
 ところが、革命の兆しが見え始めると、オスカルに男として生きることを求めていた父親が、今度は見合いの話を持ってきて、女性として幸せになるようにと言ってきます(勝手な父親のようにも見えますが、父親は父親なりにオスカルの幸せを考えていたということはできます。しかし、オスカルがどうしたいかということは二の次になってしまっています)。結局、オスカルは見合いを断り、平民のアンドレと結ばれることを選びます。

 しかし、当時は身分差別があったため、貴族と平民の結婚は認められませんでした。そこで、オスカルは貴族の地位を捨てることになるのです(貴族同士の結婚には、国王の許可が必要でした。このあたりの話は、外伝でオスカルの父親の結婚話を読むと出てきます。国王よりも強い大貴族が出てくるのを防ぐ意味がありました)。

 まとめると、オスカルは、父親によって軍人・男として生きることを決められ、次には女として結婚することを求められ、最後に自分の意思で生き方を選びとっていったということになります。

日本国憲法の観点からみたオスカルの人生

 オスカルのこうした生き方を日本国憲法の観点から見ると、様々な問題が出てきます。

 まず、女性でありながら男性として生きるように求められていたということで、個人の尊厳を保障した憲法13条に反する可能性があります。また、軍人として生きることを定められていたので、憲法22条に定める職業選択の自由が侵害されていると見ることもできます。貴族と平民が結婚できないというのは、平等原則を定め、貴族制度を禁止した憲法14条に反します。親が決めた結婚相手でなければ結婚できないということになれば、二人の合意のみで結婚できることとした憲法24条にも抵触します。

 「ベルサイユのばら」の時代はみんな、こうした制約に苦しんで生きていました。この苦難をオスカルたちがどのように乗り越えていくのか、我々読者は手に汗を握ってページをめくり、ハラハラ、ドキドキし、喝采を送り感動するわけです。現代日本にいたら明らかに違憲状態に置かれたオスカルが、どのように苦難を克服するかは、ぜひ、原作を読んでみていただきたいと思います。

個人の尊厳・幸福追求権とオスカル

 日本国憲法とオスカルの人生について、さらに突っ込んで考えてみましょう。

フランス革命を舞台に、男装の麗人オスカル・フランソワが人気を呼んだ「ベルサイユのばら」。革命に身を投じるオスカルのりりしさとあでやかさが、原画では余すところなく描かれている。
©池田理代子プロダクションフランス革命を舞台に、男装の麗人オスカル・フランソワが人気を呼んだ「ベルサイユのばら」。革命に身を投じるオスカルのりりしさとあでやかさが、原画では余すところなく描かれている。 ©池田理代子プロダクション
 オスカルは、女性でありながら男性として育てられ、軍人になりました。では、オスカルがこれを嫌がっていたかというと、さにあらず。軍人としての才能があったため、むしろ活躍し、充実していました。女性であれば軍人になることもできなかったということもありました。その意味では、憲法13条や22条の問題にはなりません。

 オスカルが軍人という立場に苦しむようになるのは、フェルゼンに対する恋心に気づいてからです。軍人たるもの恋にうつつを抜かしていてはいけないと、恋心を押しつぶしてしまうのです。ここではじめて憲法13条の問題が出てきます。

 憲法13条は、個人の尊厳や幸福追求権を保障しています。尊重されるのは個人であって、「みんな違ってみんないい」ということです。「みんなこうだから、こうしなさい」という押し付けに従う必要はありません。自分がしたいことを選んでいいよ、あなたの望む生き方をしていいよ、あなたなりの幸せを目指していいよ、ということを憲法が言っているのです。

 これまでの人生で、そういうことを言われた経験はあまりないかもしれません。でも、実は憲法がそう言ってくれているというのは、なんだかスゴくないですか。

 とすれば、オスカルは、軍人だからといって、恋心を押しつぶす必要はなかったことになります。でも、そうは考えられない時代だったのかもしれませんね。オスカルに日本国憲法を教えてあげたかったと思います。

 現代の日本でも、たとえばアイドルは「恋愛禁止」と言われ、苦しい思いをしているかもしれません。確かに、アイドルは自分の選んだ道でしょう。でも、人間なのですから、契約で心を縛ることは難しいのではないかと思います。

平等原則・婚姻の自由とオスカル

 男性として生きてきたオスカルは、今度は女性として親の決めた結婚相手と結婚し、女性の幸せを掴(つか)むようにと父親から言われます。父親の同意どころか、貴族同士の結婚だと国王の許可が必要なのです。平民なら好きな人と結婚できたはずなので、平民と貴族で異なる取り扱いをされていて平等ではありません。平民と貴族が結婚できないのも差別と言えるでしょう。

 とんでもない、と思われるかもしれませんが、日本でも戦後、日本国憲法ができるまでは、結婚時には戸主の同意がなければなりませんでした。民主的な日本国憲法の制定に伴い、憲法に反する民法の婚姻の規定が削除され、愛し合う二人の意思だけで結婚できることになった。皆さんが恋愛結婚できるのは、実は日本国憲法のおかげだったのです。

 日本国憲法の下であれば、オスカルも父親から結婚相手を押し付けられそうになることもなかったでしょう。アンドレとの結婚に反対されたら、駆け落ちをすればいいわけで、幸せになれたかもしれません。ただ、アンドレの愛に気づくまでには、様々な困難を乗り越えていかなければならなかったので、あまり簡単に認められていたら、結ばれなかったかもしれませんが……。

 ただ、現代の日本でも、皇族は簡単に好きな相手とは結婚できないようで、かわいそうだなと思うこともあります。皇室典範では、婚姻したら皇族の身分を離れるという効果だけが記載されていますが、そこに現れない様々な儀式もあるようです。駆け落ちをしたくてもできない皇族には、人権が保障されていないということもできるでしょう。

権利や自由に目覚めたオスカル

 貴族出身のオスカルですが、ルソーの「社会契約論」を読んだり、平民と触れ合ったり、平民の演説を聞いたりするうちに、自由、平等、博愛という価値観に目覚めていきます。最終的に貴族の地位を捨て、自分に素直に生きる覚悟ができて、ようやくアンドレと結ばれることもできたのです。

 小難しいことを勉強するのは面倒と、憲法を敬遠する気持ちも分からないではないですが、憲法の価値観を学ぶことで生きやすくなることもあるかもしれません。

「ベルサイユのばら」がウケたわけ

 

池田理代子「ベルサイユのばら」 の単行本池田理代子「ベルサイユのばら」 の単行本
 「ベルサイユのばら」が熱狂的なファンを獲得してきたのには、連載当時の時代背景もあるのではないかと思っています。

 「ベルサイユのばら」が雑誌で連載された1970年代はじめ頃、女性は、定年の年齢が男性よりも早かったり、結婚したら退職するのが当たり前だったり、管理職になれなかったり、まだまだ男性との間のが差別がたくさんありました。オスカルが女性でありながら男性社会の軍隊で活躍し、自分の好きな人と命がけで結ばれていくことが、女性差別の現実に直面している女性たちの共感を呼び、勇気付けたゆえんだと思います。

 フランス革命というドラマティックな時代を背景に、楽しみながら憲法の価値観を学ぶことができる。まさに「一石二鳥」のエンタメ体験です。「ベルサイユのばら」をまだお読みになっていない方は、是非、この機会にいかがでしょうか。

※ネタバレについて
基本的には過去の有名な作品を取り上げていきますので、もうご覧になっている方は内容は分かっていますし、今まで作品に触れてこなかった方は、せっかくなので、これをきっかけに原作に触れてみていただけたらと思います。私が触れた部分以外にも、素晴らしいドラマがあると思います。見ようと思っていたけれど、時間がなくて見られていなくて、いつか見る時のためにネタバレを読みたくないという方は、この記事を読まずに今すぐそのエンタメ作品を見てください。今がそのエンタメ作品を見る時です。今見ないと、なんだかんだと理由をつけて、結局、ずっと見られません。そしてその後すぐにこの記事を読むようにしてください。