メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「ベルばら」で差別と平等を考えてみた

エンタメ を楽しみながら、日本国憲法のエッセンスを体得する(3)

内山宙 弁護士

ベルサイユ宮殿内にあるマリー・アントワネットの田舎家=2007年9月4日ベルサイユ宮殿内にあるマリー・アントワネットの田舎家=2007年9月4日

アンドレの災難

 フランス革命の前のアンシャン・レジームと呼ばれる体制は差別社会で、不平等なものでした。

 例えば、「ベルサイユのばら」のはじめの方のエピソードで、アンドレが事故から大変な目にあう話があります。マリー・アントワネットがまだフランスに嫁いで来て間もない頃のことですが、マリーが気晴らしをしたくて、馬で遠乗りに行きたいと言い出します。周りは止めるのですが、マリーが聞き入れないので、オスカルは、自分の従者のアンドレに馬の轡(くつわ)を取るように言います。アンドレが轡を取ろうとした時、石に躓(つまず)いて転んだアンドレは馬の腹にぶつかってしまい、びっくりした馬はマリーを乗せたまま崖に向けて駆け出してしまうのです。

 慌ててオスカルが馬で追いかけ、マリーに飛びついて地面に落として崖から落ちてしまうのを防いだのですが、マリーは怪我をしてしまいました。それを聞いたルイ15世が激怒して、事故を起こしたアンドレを処刑しようとするのです。

 正式な裁判を受ける機会をもらいたいとオスカルが懇願し、フェルゼンも口添えして、ようやくことなきを得たのですが、この場面は、アンドレが心の中でオスカルに対し「いつか、お前のために死のう」と誓い、将来の伏線になる非常に重要なシーンでもあります。

 さて、ここから分かることは、当時のフランスの刑事裁判は、刑罰が過酷で、専断的、恣意(しい)的だということです。そして、ベルばらの登場人物からすれば、相手が王太子妃であろうとも、過失で怪我をさせただけの場合に死刑にすることは、さすがに重すぎだろうという感じがするということです。

差別的で不平等な当時のフランスの裁判

ベルサイユ宮の中にある「釣り場の塔」と呼ばれる池に面した建物 。マリー・アントワネットもかつてここで遊んだだろう=2007年11月7日ベルサイユ宮の中にある「釣り場の塔」と呼ばれる池に面した建物 。マリー・アントワネットもかつてここで遊んだだろう=2007年9月4日
 ただ、正式な裁判を経れば必ず軽い刑になったかというと、そうではないかもしれません。実際、当時のフランスでは、刑事手続について定めた法律はありましたが、拷問が認められていたうえ、判断権者である裁判官が取り調べをするため、こいつがやっただろうという予断を持って判断するという問題のあるものだったからです。しかも、何をしたら犯罪になるのかということをあらかじめ定めた「刑法」が存在しないため、なんとなく処罰することが可能でした。

 アンドレのケースでも、ルイ15世は頭の中で次のような思考過程を辿(たど)ったと理解することができます。

①王太子妃に過失で怪我を負わせた者は、怪我をした相手が平民の場合と異なり、死刑とする立法が、ルイ15世の頭の中でされる(立法)。
② ①の法律は、アンドレが起こした事故当時に遡って適用される(遡及適用)。
③ ルイ15世の判断で、アンドレは①の法律に違反したこととされた(司法)。
④ ルイ15世が、アンドレの処刑を執行することにした(行政)。

 しかし、そもそも①の立法は、相手が王太子妃の場合を特に重くしていて、しかも過失による事故の場合であっても死刑にできるという点でも極めて重く、相手が平民の場合と比べて不平等であるということができます。

 ちなみに、今の日本では、過失致傷罪で課すことのできる刑罰の範囲は、「30万円以下の罰金または科料」ですし、故意で怪我をさせた傷害罪でも「15年以下の懲役か50万円以下の罰金」となっています。

 それと比較すると、過失で怪我をさせた時に死刑にするというのが、過失による行為や結果に比べてどれだけ重いかがお分かりいただけるかと思います。王太子妃という当時のフランスで女性の貴族として最高位にある者を極めて強く保護し、平民を軽く扱うもので、差別的で不平等ということができます。

 つまり、平民に対する過失傷害の場合と比較して、王太子妃への過失傷害を死刑にすることは刑があまりにも不均衡で不合理な差別ということになり、平等原則違反ということになるでしょう(日本でも、父親から性的虐待を受けていた子が、止むに止まれず父親を殺した事件で、尊属殺重罰規定が不平等なので違憲無効とされた事案がありました。)。

三権分立だったらどうなるのか?

 このような突然の処刑命令は、絶対王政で、全ての国家権力が国王一人に集中しているからこそ起こってしまった問題だと言えるでしょう。フランス革命を経て実現した三権分立のもとであれば、このようなことにはなっていなかったと考えられます。

 三権分立というのは、立法、行政、司法という国家の権力作用をそれぞれ異なる国家機関に担当させ、互いに抑制均衡させることで権力の濫用(らんよう)を防ぎ、人権侵害を防ごうという仕組みのことで、もちろん日本憲法もこの仕組みを採用しています。

 そのもとでは、①は憲法14条(平等原則)に違反する立法で違憲だと国会で廃案になっていた可能性がありますし、②のように事故当時に遡って法律を適用させて処罰することも違憲とされます(39条)。

 フランス人権宣言8条でも「何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。」として、遡って処罰することは否定されました。何かしようとするときに、将来何が犯罪になるかわからないのでは、社会生活が営めないからです。

 さらに、仮に不平等で違憲な法律ができてしまったとしても、③の司法で法律が違憲無効とされる可能性が高く(憲法81条)、行政が恣意(しい)的に処刑しようとするのを止めることができるのです。三権分立のおかげで、権力が濫用されないで、アンドレみたいな災難を防ぐことができるのです。

 三権分立というキーワードは、公民の授業などで聞いたことはあるでしょうし、暗記するものだったかと思いますが、このように実際の機能を知ると、とても重要だということが分かると思います。そのため、フランス革命で成立したフランス人権宣言の16条にも、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。」と定められています。憲法という名前がついている法典があっても、権力分立が定められていなければ憲法の名に値しないのだとされているのです。

 これは憲法の目的は人権保障であり、その目的を達成する手段の一つが権力分立と理解されているからでしょう。

平民と貴族は結婚できないの?

ベルサイユのばら=©池田理代子プロダクション ベルサイユのばら=©池田理代子プロダクション
 この他にも、「ベルサイユのばら」では、不平等な出来事が起こる場面がいくつか出て来ます。

 前回はあまり触れなかったのですが、平民は貴族と結婚できないということで差別されていました。そのため、アンドレはオスカルとの結婚が許されず、オスカルの影として生きることを決意するのでした。二人が愛し合っていても、平民が差別をされて結婚を許されないという差別、不平等があったということなのです。

 その後、アンドレはオスカルの父親から「お前が貴族だったら良かったのに」と言われるほど認められるようになるのですが、やはり結婚は認められませんでした。最後の方で、オスカルが貴族の地位を捨てることになって、ようやく結ばれることになるのです。

 一方、オスカルが近衛隊から転属した衛兵隊には、貴族出身のアラン・ド・ソワソンという兵士がいました。アランにはディアンヌという妹がいて、ディアンヌは他の貴族との結婚が決まりました(ディアンヌも一応貴族なのです。)。ところが、結婚相手の貴族は、小金に目がくらんで平民の金持ちの娘と結婚してしまい、ディアンヌは世を儚(はかな)んで自殺してしまったのです。ということは、貴族でも平民の娘と結婚できたわけです。

 この辺りの違いはどう整理をすればよいのか、「ベルサイユのばら」を読むだけではちょっとよく分かりません。実は、貴族でも平民の女性と結婚した事例自体はありました。ただ、結婚してもその女性は貴族としては扱われなかったり、子孫が王位継承権を得られなかったりするということがあったのです。

 ルイ14世自身、平民の女性と秘密裏に結婚していたという話もあったりします。一番有名なのは、イギリスのエドワード8世とウォリス・シンプソンの結婚でしょうか。離婚歴のあるアメリカ人女性との結婚が周りから受け入れられず、エドワード8世は国王を退位して、結婚することになりました。このような事例から見る限り、貴族と平民の結婚はできないことはないけれども、結婚相手は貴族とは扱われないし、周りの理解が得られない場合には、貴族の地位を捨てないと結婚ができなかったということになるでしょうか。

 それにしても、子どもは親を選ぶことはできないわけで、親がどのような結婚をしたかによって扱いが違ってしまうのは不平等ですよね。日本でも、非嫡出子の相続分が嫡出子の半分という民法の規定が、平等原則に反して違憲無効であると判断されたことがあります。もっとも、そもそも貴族制度自体が平民との身分差別ということで平等原則違反でもあります。日本国憲法は、貴族の制度を否定しています(14条2項)。

貴族の中にも差別があった

 さて、前出のアランですが、一応貴族の出身です。しかし、貴族であるにも関わらず、一兵卒として衛兵隊の兵士をしていました。それを不思議に思ったオスカルが、『お前ほどの腕があれば少尉に戻ることも、それ以上に昇進することも可能だろうに』と聞いたところ、アランは、4代続いて貴族でないと役職に就けないという「1781年の規則」があるからダメなのだと答えました。

 これは、大貴族が役職を独占するために作った規制でした。つまり、同じ貴族の中でも、先祖代々の貴族とそれ以外の貴族を差別していたということになります。ただ、この規則が出された年に着目すると、フランス革命の8年前です。差別に差別を重ねて貴族が自分たちの地位を安泰にしたつもりが、革命で崩壊してしまうのです。

 ここで、ちょっと解説が必要なのですが、なぜ「4代続いて貴族」が条件になるのか、です。貴族というのは、先祖代々貴族なのではないかと疑問に思われるかもしれません。実は、当時のフランスでは、お金を積めば法服貴族の地位を得ることができたのです。国家財政が深刻な赤字を抱えていたこともあって、それを補うために官職が売られたという側面もありました。この地位は相続することができたようで、「何代か続けて貴族」が起こるのです。これに対し、昔から代々封建領主だった貴族は「帯剣貴族」と呼ばれていました。

 さて、このような差別的な規制は、日本国憲法だとどうなるでしょうか。日本国憲法14条では、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とされ、差別が禁止され、平等であるべきという原則が示されています。家柄とか、何代続いた貴族かどうかで差別するのは「門地」による差別ということになりますので、1781年の規則のようなものは、平等原則に違反し違憲無効になります(もちろん、貴族制度自体が憲法違反なのですが)。

 仮に、現代の日本で、4代続いた自衛官でなければ、自衛隊で高い役職には就くことができないなどという規則があったとしたら、有能な自衛官が昇進できず、無能でも親のおかげで高い役職に就く自衛官が出てくることになります。そのようなことで国が守れるでしょうか。あるいは、4代続いた代議士の家系でなければ国会議員になれないとなったら、世襲でしか議員になれず、有能な議員が出てこず、日本の将来は暗いものになるでしょう(もっとも、今でも世襲議員がかなり多いのが現状ですが)。そのようなことでは、有能な人材がやる気をなくしてしまうことも考えられます。

 最近では、親が医師だと医学部の入試で優遇されたり、女性だと男性よりも高得点を取らないと合格できなかったりするという差別があることが発覚しました。「生まれ」や性別という自分の力ではどうにもできないもので冷遇されたり、優遇されたりということがまかり通る社会では、努力する気にもなれず、社会は発展しないのではないでしょうか。

貴族は人を殺してもお咎めなし?

第2子誕生を祝ってルイ16世から贈られたマリー・アントワネットの私室=2007年10月31日、フランス・ベルサイユ第2子誕生を祝ってルイ16世から贈られたマリー・アントワネットの私室=2007年10月31日、フランス・ベルサイユ
 「ベルサイユのばら」の中にはこのような話もあります。

 2日前から何も食べていない平民の子ピエール君が、大貴族であるド・ゲメネ公爵の馬車からお金を盗んだのが見つかってしまいました。公爵は許すふりをした後、ピエール君が背中を向けたところ、後ろから銃で撃ち殺してしまいました。

・・・ログインして読む
(残り:約1947文字/本文:約7266文字)