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国民投票で「意見をお金で買う」のは自由か?

国民投票をとことん考える(下)

松下秀雄 朝日新聞編集委員(政治担当)

今年のマスコミ倫理懇談会全国協議会の大会では、国民投票の分科会が設けられ、テレビ各局のCM担当者や学者らが意見を交わした。写真は2015年の大阪都構想をめぐる住民投票の経験を報告し、議論する参加者たち=2018年9月、札幌市、松下秀雄撮影今年のマスコミ倫理懇談会全国協議会の大会では、国民投票の分科会が設けられ、テレビ各局のCM担当者や学者らが意見を交わした。写真は2015年の大阪都構想をめぐる住民投票の経験を報告し、議論する参加者たち=2018年9月、札幌市、松下秀雄撮影

どこまで自由に運動するべきか?

 「憲法改正を決めるのは主権者」はほんとうか?国民投票をとことん考える・上」に引き続き、国民投票のあり方について論じたい。自民党が国会に改憲案を提示しようと急いでいるのに対して、野党はまず、改憲の是非を問う国民投票の際のテレビCM規制について議論すべきだと唱えている。来年の通常国会でも、このCM規制が論点になるだろう。

 ただ、CMだけにフォーカスを絞ると、全体の構造がみえなくなる。CMを含め、国民投票運動のあり方を俯瞰(ふかん)して考えるなら、問われているのはこういうことではないか。

 私たちはどこまで自由に運動するべきか? 「意見をお金で買う」ことは、自由のうちに入るのだろうか?

国民が運動当事者になる

 国会が改憲案を発議し、国民投票が行われると決まった時、あなたは何をするだろうか。ちょっと想像してみてほしい。

 仮に、自民党が検討している4項目がすべて発議されたとしよう。9条への自衛隊明記、緊急事態条項、教育無償化、参院選の合区解消がその4つである。

 私たちは、それぞれの項目について、判断をくだすことを求められる。これがなかなか難しい。合区解消のための条文変更の利点と欠点を知り、だから良いとか悪いとか、判断がついている人がどれほどいるだろうか。

 たぶん多くの人が、判断材料を集めようとする。テレビや新聞、ネットに目を凝らすことも、家族や友人と意見を交わしながら考えることもあるだろう。考えが固まれば「こっちに投票しようよ」というかもしれない。

 特定の投票行動を誘えば、それは国民投票運動だ。つまり、改憲案の是非を考えることと運動することはつながっていて、私もあなたも運動の当事者になりうるということだ。

がんじがらめの選挙。規制が少ない国民投票

市民団体の要請を受け、「国民投票のテレビCMについて公平なルールを求める超党派の議員連盟」に加わった衆参の議員たち。左から3人目が会長に就いた船田元氏=2018年8月29日市民団体の要請を受け、「国民投票のテレビCMについて公平なルールを求める超党派の議員連盟」に加わった衆参の議員たち。左から3人目が会長に就いた船田元氏=2018年8月29日
 国民投票法をつくる時、「仕事帰りに居酒屋で憲法談義をし、上司が飲み代を払う」という例がしばしば語られた。上司が「こっちに投票しようよ」といい、帰り際に部下のぶんまで飲み代を払ったり、少し多めに出したりしたとする。それが買収罪に問われるようだと、憲法談義をやめてしまわないか――。

 政治家たちはそう心配し、買収も、組織的に数多くの人を買収するのでなければ罪に問わないことにした。お金の力で意見が曲げられるおそれより、自由に意見を交わせる利点のほうが大きいと判断したのだ。

 このように、国民投票には運動規制が少ない。これに対し、選挙運動はがんじがらめだ。たとえば候補の名を記したビラには枚数制限があり、勝手にプリントアウトして配ることはできない。選挙ではもっぱら政党や候補、その運動員が運動を担うことを想定しており、近年、解禁されたネット選挙運動をのぞいて、一般の人はかかわりにくい仕組みになっている。

 スポーツ競技にたとえるなら、選挙は、国民が観客席にいて、政党や候補による競技(運動)を観戦するイメージだ。一方、国民投票は、国民もグラウンドに降りていき、いっしょに競技に参加できるというイメージで制度が設計されている。

 私見をいうなら、選挙の時だって競技に加われるようにすべきだと思う。日本くらい、がんじがらめのルールを持つ国はめずらしい。問題はむしろ、公職選挙法のあり方にある。

賛成派はテレビCMで反対派は手作り運動?

 しかし、国民投票のあり方にも課題がある。そのひとつがテレビCMだ。

 国民投票法は投票日の14日前から有料CMを流すのを禁じているが、それまでは自由。とはいえCMはとても高額で、政党交付金を受け取る政党や、よほどの金持ちでなければ出すのは難しい。

 グラウンドへの扉は開かれ、観客席から降りていけるといっても、ボールやバットを持っているのは政党か、高い料金を払ってそれを買える金持ちだけ。CM問題をたとえるなら、そんな感じだろうか。

大阪都をめぐる住民投票で自民党大阪府連がつくったCM。「大阪市民のおさいふクン」が市外にお金をばらまきながら投票を呼びかける=2015年5月11日、府連提供 
大阪都構想をめぐる住民投票で自民党大阪府連がつくったCM。「大阪市民のおさいふクン」が市外にお金をばらまきながら投票を呼びかける=2015年5月11日、府連提供
 選挙運動のさまざまな規制を取り払った結果、国民投票運動は自由競争に近いかたちになった。しかし、規制を取り払ったところで、資金力をはじめ、もともと持っている「資源」が違う。その違いを埋めない限り、みんなが参加し、自由に運動できる環境は簡単には生まれない。

 資源をどちらがより多く持っているのかといえば、まず間違いなく改憲賛成派だ。なぜなら、改憲が発議される時は、賛成派が衆参両院の3分の2以上を占めている。つまり、政党交付金をそれだけ多く受け取っているわけだ。賛成派は、国民の税金も使いながら、数多くのCMを出すことになるだろう。

 対照的に、反対派の台所は苦しい。政党が多少のCMを出すほかは、あまり資金がなくてもできる手作りの運動が中心になるのではないか。2015年の大阪都構想の住民投票の際、反対運動に携わった市民の話を聞くと、サウンドデモとか、短い動画を自分で撮ってSNSにアップするといった運動をしていたそうだ。そんな運動になるのかもしれない。

資金の多寡にかかわらず運動を保障する仕組みを

 これって公平といえるだろうか?

 国民がしっかり考え、主権者として判断をくだすには、国会の議席比にかかわらず、賛否両派の声が耳に届く環境が要る。資金を持つ側も持たない側も、一定の運動を保障する仕組みを整えるべきではないのか?

 たとえば英国では、国民投票をする際には、政治家や市民が政党の枠組みを超えて集まり、運動団体をつくる。政府から独立した選挙委員会は、幅広い人たちが参加して賛否の立場を代表できる団体をそれぞれひとつ指定する。その指定団体を対象に、運動費用(上限60万ポンド=約8400万円)や無料放送枠の提供、公的集会場の無償利用、リーフレットの無償郵送といった公費助成を行っている。それに似た制度を、日本にも設けてはどうだろうか。

どうなる?国民投票のCM

日本民間放送連盟の事務局(右上)が招かれ、国民投票の際のCMについてヒアリングがあった衆院憲法審査会幹事懇談会=2018年7月12日日本民間放送連盟の事務局(右上)が招かれ、国民投票の際のCMについてヒアリングがあった衆院憲法審査会幹事懇談会=2018年7月12日
 実際にテレビCMがどれほど影響力を発揮するかは、正直、私にはわからない。選挙の時に流れるCMを思い浮かべると、うーん、そんなに効果があるのかなと首をひねったりもする。しかし、それはむしろ公選法の制約によるものかもしれない。

 選挙の時に目にするのは、実は「選挙CM」ではない。公選法は政見放送などを除いて選挙運動のための放送を禁じているため、政党は日常の政治活動という建前で「政党CM」を流す。このため、そこで「私たちに投票を」と呼びかけることはできないし、候補者で出演できるのは基本的に党首級のみになる。過去には、人気の高い小泉進次郎氏を起用した自民党のCMの放映を、多くの放送局が断ったこともあった。

 国民投票運動では、そうした制約がない。どんなCMが登場するか、

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