メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

普天間基地を引き取ることにあなたは賛成ですか?

沖縄だけではなく全国で一斉に住民投票したらどうか。「我がこと」として考えるために

石川智也 朝日新聞記者

民意とは何か

 「民意」とは何か、つくづく考えさせられた年の瀬だった。

 沖縄の基地負担軽減という名目で始まった米軍普天間飛行場の移設計画は、昨年12月14日、政府による辺野古の海への土砂投入強行という局面に至った。

 辺野古移設が唯一の解決策としてきた政府に対し「辺野古ノー」を明確に訴えた故翁長雄志氏や玉城デニー氏の知事選での大勝も、安倍政権には沖縄県民の意思表明とは映らないらしい。菅義偉官房長官は12月14日の会見で「沖縄の民意を顧みていないのでは」と問われ、いつもどおり「まったくあたらない」と答えた。

 自民党の重鎮議員は私にこううそぶいた。

「朝日新聞は『民意黙殺』『民意を海に埋めた』とかさんざん書いてるけどさ、玉城さんは知事選で『だれ一人取り残さない政治』を訴えたんでしょ。沖縄の人は辺野古問題だけで投票したわけじゃないんだよ」

 片や、官邸幹部は「民意民意というが、辺野古がある名護市と普天間飛行場の地元の宜野湾市では、賛成派の市長が選ばれている。民主主義の原点は一番近い自治体だろう」と居直った。

米軍キャンプ・シュワブの護岸に囲まれた海域に土砂投入が始まった=2018年12月14日、沖縄県名護市

 もっとも、地域や生業、社会階層によって複雑に入り組んだ利害や住民の意思を調整するのが政治であるとすれば、人柄や期待度も含めた総合パッケージ商品の争いである選挙が終わった途端、結果に対する好都合な解釈合戦が始まるのも常なのかもしれない。「民意」が何によって代表されるかはプラトン以来の難問だ。

 であるならば、政策遂行の正統性を得るために、玉城知事が住民投票という手段であらためて辺野古反対の民意を示したいと考えるのは当然だ。特定のワンイッシューに対する主権者の直接の意思表明で過半数の賛意を得れば、それを暫定的であれ「民意」と扱わないわけにはいかない。多数決は民主制のすべてではないにしても、それを否定しては政治は機能しなくなる。

首長による新手のボイコット

 しかし、今年2月24日に投開票と決まった県民投票に対しては、早くも難題が持ち上がっている。

 投開票事務に必要な予算案が市町の議会で相次いで否決され、普天間飛行場を抱える宜野湾市と宮古島市は「投票事務を実施しない」と宣明した。いずれも市長は玉城知事と距離を置く保守系だが、宜野湾市の松川正則市長は「市議会の意思は極めて重い」と、理由の一つにこれまた「民意」を挙げた。

 全41市町村での投票が実施できなければ、投票率と得票数が下がり、「県民の意思」として扱う正統性にも疑問符がつく。

 最低投票率や得票率を設けた過去の国内の住民投票や諸外国の国民投票では、たびたび投票ボイコット運動が起きた。日本で条例に基づく住民投票が初めて行われたのは1996年だが、当初は、特に議員からの「衆愚政治に陥る」「代表制(間接民主制)を侵害する」という否定的見解は根強かった。

 400件以上が実施されたいま、こうした懐疑論はほとんど見られなくなったが、今回の首長による投票事務不執行は新手のボイコットであり、投票権を侵害する愚挙としか言いようがない。

 今回の県民投票は地方自治法に基づく直接請求によって実現したものであり、県条例は、同法の規定によって投開票を市町村の事務と定める。議会が予算案を否決しようとも、首長は法令で義務づけられた事務の実施を拒否することはできない。憲法が保障する参政権を奪われた市民から怒りの声と提訴の動きがあるのは当然だろう。

 松川市長らは、県の広報活動の中立性に疑問があるというなら、適正で公正な運用をまず県に求めるべきだし、辺野古への移設を推進したいのなら、そのように有権者に訴えて多数派を握る努力をすればよいだけだ。投票不参加は筋違いも甚だしい。

沖縄県民投票の啓発イベントでは残り日数示す掲示板が披露された=2018年12月26日

「どちらとも言えない」の選択肢はありえない

 一方、首長や議員からは「二択では民意が表せない」「分断を呼ぶ」との批判も出ている。県民投票条例案の審議で、自公は「やむを得ない」「どちらとも言えない」を問いに含めるよう主張した。

 過去の事例をみても、住民投票や国民投票を意味あるものにするには、公正なルールの下で運動と投票が行われ、十分な情報が提供されたうえで自由闊達な議論が交わされることが条件となる。だがそれ以前に、まずもって適切な「問い」が設定されなければならない。

 社会調査の専門家の間では、日本人へのアンケートは選択肢を奇数にしてはならない、という冗談のような本当の話があるらしい。真ん中の選択肢や「無回答」を選ぶ者が突出して多いという事実からは、二者択一を迫られることを日本人は好まないという性向が確かに伺える。

 だが、高度成長期のように基本的政策について大きな対立がなく、再分配と利害調整が政治の主務だったコンセンサス政治の時代ならいざしらず、針路の選択次第で国や地域の行く末が大きく変わるような賛否角逐する問題で、足して二で割るような政治はあり得ないし、「どちらとも言えない」を選択肢に入れた国民投票や住民投票など海外で聞いたこともない。議場での採決と同様の判断が住民にはできないと決め込むのは、議員の歪んだ選民意識だろう。

知事は県民投票結果を受けての方針を言明しておくべき

 1996年に沖縄で最初に米軍基地をめぐる県民投票が実施されたとき、学生で夏休み中だった私は沖縄本島にいた。

 基地内労働者を身内に抱える人たちの間で県民投票の話題がタブーになっているかのような報道もあったが、私の見聞きした限りでは、そんな空気は感じられなかった。前年の米兵少女暴行事件の記憶が生々しいことに加え、問われたのは米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しという、おそらく多くの人が否定しようのないものであり、賛成が89%という結果を聞いても意外感はまったく感じなかった。この問いであれば、仮に本土で投票を実施しても、沖縄県民の葛藤に思いを馳せることもないまま同様に「総論賛成」になったであろうことは目に見えている。

 翌年の名護市の住民投票は辺野古への移設の是非を明確に問うたが、反対多数の結果に反して市長が受け入れを表明し辞任するという「事件」があった。

 諮問型の住民投票は、政治的拘束力はあっても法的拘束力はない。いま県民の一部に県民投票への懐疑が残っているとすれば、こうした過去も一因になっているのではないか。それは、普天間問題という特定のイッシューについての適切な「問い」を提示できなかったことと、執行者だった大田昌秀知事と比嘉鉄也市長が、投票結果を受けてどのような決定を下し政策を遂行するつもりなのか、事前に明言していなかったことによる。

 今回の県民投票は辺野古移設について賛成反対どちらかに「○」を記す択一方式であり、過半数を得た方の結果が有権者の4分の1に達した場合の尊重義務を知事に課している。民意の照射をより求めるために、玉城知事は結果を受けての自らの方針を、あらためて言明しておくべきではないか。

「政府が県民投票結果を無視したらどうする?」という問いの意味

 そのうえで、きたる県民投票が抱える本当の難題は、さらに先にある。

 昨年12月12日、琉球大で学生有志が県民投票の勉強会を開いた。取材にきた在京キー局のテレビキャスターはその場で、直接請求の署名集めに尽力してきた学生にこう質した。

「投票結果を政府が無視して基地建設を続けたらどうする?」

 海底に想定外の軟弱地盤があることを隠し、違法行為を理由にした県の埋め立て承認撤回の効力を身内の国交相に停止させ、港が使えなければ計画外の民間桟橋から土砂搬出を進める……こんななりふり構わぬ政権の奇策強硬策に、知事は打つ手があるのか。反対の民意が示されても工事を止められなければ、求心力が下がるぞ――。そんな善意の助言だったのかもしれない。

 学生たちは返答に窮したが、こう問い返すべきだった。

「あなたこそ、どうするんですか?」

 「民意」というなら、辺野古移設を強行する政党の議員たちを選出し、その議員たちが首班指名した首相とその内閣を国政選挙のたびに信任し続けているのは国民、ことに本土(ヤマト)の私たちであるという事実から目を背けるわけにはいかない。あのエメラルドの海に土砂を流し込み続けているのは他ならぬ私たちであり、日本国民の政治的意思である。

 普天間問題の22年の歴史で、安倍政権の強硬さは群を抜いている。しかしこの問題への政府の基本的姿勢は一貫しており、米軍の既得権益には触れずに代替施設のはずの計画を肥大化させてきた方向性は変わらない。小渕恵三や野中広務など経世会の政治家が沖縄に優しい顔を向けてきたとしても、振興策による民意の懐柔は問題を解決するどころか本質に向き合うことを回避する姿勢に他ならなかった。野党は土砂投入に「暴挙」「計画撤回を」と一斉に反発したが、「最低でも県外移設」と言った民主党政権が沖縄県民を見事に裏切った事実も忘れるべきではない。

 本土のメディアや野党は県と国の「対話による打開」を訴えるが、副知事と官房副長官の集中協議という形だけの「対話」があっても、あるいは仮に政権が変わって真摯な「対話」が実現したとしても、どのような「打開策」があるのか、明確に示せてはいない。

政権批判だけでは解決しない

 「沖縄の歴史に向き合え」という主張も散見される。辺野古問題の原点に沖縄の歴史があるのは確かだろうが、その原点をどこにおくかは、それほど自明ではない。

 普天間飛行場が住宅、学校、病院、農地を強制接収して建設されたこと、その権利回復が何をおいても必要なことに、異論を唱える人はいないだろう。その理不尽を呼び込んだ米軍統治と「ありったけの地獄を集めた」沖縄戦、それが本土決戦の捨て石だったという苦難の歴史がいま、「銃剣とブルドーザー」を彷彿とさせる土砂投入の光景と相まって「辺野古ノー」という一点に噴出しているというのも、真実に違いない。

 しかし、その淵源を明治政府の琉球処分、さらには薩摩藩の侵攻、豊臣徳川政権の琉球政策にまで遡って、本土のメディアや国民が沖縄のアイデンティティーに理解を馳せ心情的に「寄り添」えば、辺野古問題の解決策が見えるというわけではない。

 近代以降の中東史に起因するアラブとイスラエルの対立を、まるで太古から続き永劫争う宿命の宗教紛争とみて投影する誤った認識と同様、「本土と沖縄の対立は根深い歴史問題だ」「基地問題は複雑で簡単に解決できない」という言説は、果てしない現状追認に反転しかねない危険もある。

 普天間飛行場の移設問題と、世界でも最も互恵性がなく主権喪失度が高いとされる日米地位協定の改定問題、そして日米安保の是非論は、根っこはつながりながらも解決に要する道筋や手法は異なる別個の課題だ(沖縄でも安保容認は世論調査で6~7割、翁長雄志前知事も安保を重視していた)。

 こと辺野古問題について本土のメディアやリベラルがすべきは、沖縄で進行している事態への本土の主権者の責任を突くことだ。民主的権力の源泉たる国民を権力と切り離して政権のみを批判するのは、ご都合主義というだけでなく、天に唾する行為と言える。

「我がこと」として認知するための基地引き取り運動

 辺野古問題は沖縄の問題ではなく全国の問題なのだ、という訴えは、本土の基地引き取り運動というかたちで先行している。基地問題を本土の人間に「我がこと」として認知してもらうための方法論として昨今あらためて注目される。

 その市民運動のメンバーが提案した陳情・意見書が昨年、東京・小金井市議会にはかられ曲折のすえ可決されたが、その顛末は、この国の「リベラル」の有りようをよく示すものだった。

 陳情書は、普天間の代替施設が国内に必要か国民的議論を行い、必要との結論ならば、民主主義と憲法に基づいて一地域への押しつけにならぬよう公正な手続きで決める――という内容のもの。賛成多数で採択され、国への意見書をあらためて可決するはずだったが、陳情に賛成した共産党がとつぜん翻意した。意見書の「全国すべての自治体を等しく候補地とする」との文言が、日米安保廃棄と在日米軍基地全面撤去を主張してきた党の方針と整合性がとれないことに気付いたためだという。

 共産市議は「米軍基地を容認しているとの誤解を与える。陳情への賛成は間違っていた」と陳謝。結局、「基地の国内移設を容認するものではない」などと文言修正され意見書は可決された。

 「基地はどこにも要らない」と言いながら、沖縄への加重負担を放置し続ける――。「引き取り運動に批判的な人は保守よりリベラルに多い」とメンバーの一人は話す。

県民投票をめざし署名集めへの協力を呼びかける市民団体のメンバー=2018年5月2日、沖縄県庁

全国でも住民投票を

 一方、安保条約が日本の施政権下の防衛のみを定めた5条の片務性を米軍の駐留を認める6条で相殺するものである限り、この体制を支持する8割以上の国民は、米軍基地が身近にあることを受け入れなければならない(頭上をオスプレイが飛び交うことを認めるかどうかは、また別問題)はずだが、「沖縄の基地集中は私たちにも責任がある」と口では認めつつ、現状を見て見ぬ振りして安保の便益のみを享受し続けた。

 本土のリベラルと保守は共犯関係にある。

 NHKの2017年の世論調査によると、沖縄では辺野古移設に「反対」が63%を占めたが、全国では「賛成」が47%と、「反対」の37%を上回っている(「どちらかといえば」も含む)。沖縄以外の人に対する「仮にあなたの住む都道府県に米軍基地が移設されるとしたらどう思うか」との問いに対しては、58%が「反対」で、「賛成」は33%だった。

 さらに紹介したい。沖縄の米軍基地を(「全面撤去」ではなく)「本土並みに少なくすべきだ」と答えた沖縄以外の人に、自分が住む都道府県への移設についてどう思うか聞くと、70%が「反対」で、「賛成」は27%だった。

 沖縄に基地が固定化される構造的意識は、このように可視化される。

 辺野古への移設強行は本土の民意ではない、基地問題だけで政治家や政党を選んだのではない、とあくまで言うのなら、沖縄と同様に、いまこそ本土でも住民投票を実施し、明確な「民意」を量るべきだ。

 全都道府県議会で投票条例を成立させ一斉に実施すれば、事実上の国民投票となる。国民投票の対象・範囲についての検討を求めた国民投票法成立時の付帯決議(2007年5月11日)に基づき、同法の改正か特別立法を国会が進めるという方法もあり得る。

 普天間飛行場の代替基地を自らが住む都道府県に引き取ることに賛成か反対か――質問はそれ一つでよい。

・・・ログインして読む
(残り:約1269文字/本文:約7376文字)