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北方領土交渉 長期化は日本をどんどん不利にする

「すべて非公開」はロシアから国論不統一を突かれる。国民に説明し、未来志向で解決を

登 誠一郎 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

首脳会談の冒頭、ロシアのプーチン大統領(右)と握手を交わす安倍晋三首相=2019年1月22日、モスクワのクレムリン

時間の経過は日本に有利ではない

 先日モスクワで行われた日ロ首脳会談において、平和条約交渉に関しては引き続き両国の主張の対立が続いて、前進は見られなかったので、交渉は相当に長期化するのではないかとの観測がもっぱらである。

 確かに自らの任期を意識して期限を切るような交渉態度では、相手に見透かされて得るものも得られない。他方、現状では相手からの譲歩を得られる見込みは少ないので、国際情勢が変化するまで静かに構えていればよい、という考えでは、状況がどんどん日本に不利になる可能性が濃いことをよく認識すべきである。

 1956年の日ロ共同宣言以降で、ロシア側が最大の歩み寄りを見せたのは、1992年3月に新ロシア政権のコズィレフ外相(提案説明者はクナーゼ次官)が、渡辺外相に非公式に提案した、今でいうと、『2島先行返還、国後・択捉継続協議』案であった。

 これに対して日本側は、4島一括にこだわりこれを拒否してしまった。27年後の今日、このような案をもし日本側が出しても、ロシアの合意を得られる可能性はほとんどゼロに近い。この25年間でロシアの態度はそれだけ硬化したわけである。

 その大きな理由は、一つに4島のロシア化が進行して、現地の住民は日本に返還するメリットをほとんど感じておらず返還には反対なこと、二つに戦後70年以上が経過して、多くのロシア人が、北方4島は1945年までロシア人が住んだこともない日本の領土であったことを忘れかけてきたこと、さらに三つに冷戦終了後にロシアの勢力範囲が縮小することに不満な国民のナショナリズムが高まって領土に敏感になっていることである。

 このような状況の中で、もし交渉が長期化すると、ロシアの立場は益々硬化して最終的に1島も返さないままで継続し、日ロ関係は冷却化したまま何十年も続き、東アジアにおける日本の安全保障環境もまったく改善されないことになる。

 70年以上も膠着しているこの問題を解決するためには、両首脳も明言している通り、国民の理解を得られる解決方法を見出さねばならず、国民を説得しなくてはならない。そのためには、過去の歴史を乗り越え、未来志向で合意を探る必要がある。

 私は、これは双方とも妥協を示す必要を意味しており、これを成し得るのは過去25回も首脳会談を重ねて相当な信頼関係を築いている安倍首相とプーチン大統領しかいないと確信する。この両者が解決できなければ、これは永遠に解決しないと懸念される。

交渉を決着させるカギは何か(法と正義の原則の限界)

 エリツィンはソ連崩壊以前より、北方領土問題の解決原則として「法と正義」を唱えており、大統領就任後に訪日した1993年の東京宣言においても、両国の合意事項としてこの原則が掲げられている。これは確かに重要な原則である。

 しかしこの原則だけでは、問題の解決を見出せない。解決のカギは、そのもたらす政治的メリットであり、それを国民が納得するか否かという政治的判断である。

 日本側は、4島が日本固有の領土であることは1855年の日露和親条約以来の多数の法的文書で確立していると議論するのに対して、ロシア側は、4島は第二次世界大戦の結果ソ連(ロシア)領となったことはヤルタ協定、及び国連憲章(第107条)によって保障されていると反論している。外交交渉には第三者的審判はいないので、これでは結論は出ない。

 では日ロそれぞれで、自国民を説得でき得る解決内容は何であろうか。

 まずロシアについては、国後・択捉の東アジアにおける戦略的重要性はますます大きくなっているので、これを日本に引き渡すことに合意するには、それに見合う戦略的価値のある対価が必要であろう。平和条約締結による日ロの友好増進という抽象的のものではまったく不十分である。

 最近のロシアの言動を見ると、在日米軍基地の機能を縮小させ、日米安保体制を弱体させることが戦略的に重要と判断していると思われる。しかし、北方領土の見返りとして日米安保を弱体化させることを支持する日本人はいないであろうから、日本がそういう提案をすることはあり得ず、したがってロシアがこの両島の返還に同意することは到底無理と言わざるを得ない。

 歯舞、色丹については戦略的価値はそれほど大きくないので、経済協力の促進や日本の対ロ信頼の増進というような対価でロシア国民の納得を得ることは可能であろう。

北海道・根室半島上空からのぞむ色丹島(奥)。手前は歯舞群島の多楽島(たらくとう)=2018年12月11日

 他方、日本として、国後、択捉の日本帰属は法的証拠も十分であり、正義であることを認識した上で、平和条約において両島のロシア帰属を認めることは全く不可能なことであろうか。

 この解答を得るためには以下の諸事実を勘案する必要がある。

①サンフランシスコ平和条約の国会審議において、日本政府は、条約で放棄した「千島列島」に国後、択捉は含まれると答弁していた。

②戦争の結果領土を失うという例は、日ソ(日ロ)間においても、日本が一度も領有したことのなかった南樺太が、日露戦争の結果、ポーツマス条約により日本領となり、これはサンフランシスコ平和条約で日本が放棄するまで40年以上継続した例がある。

③国後、択捉の日本への引き渡しを支持する国際世論も皆無であり、ロシアがそれに同意する可能性も見渡し得る将来にわたってゼロである。

④国際司法裁判所に本件を付託する選択肢も、国連憲章第107条(第2次大戦中に戦勝国が戦争の結果として取った措置は認められるとの趣旨)がある限り、法的には100%日本が勝利できる保証はない。

⑤もし日本として、両島の主権を取り戻すというオプションを放棄しても、共同経済活動の推進、旧島民特区の設立、日本語の普及、すべての国民のビザなし訪問の許可、北海道との航路、空路の開設などを実現できれば、旧島民のみならず、すべての国民が両島を身近なものとして享有できるようなる。

政府は交渉目標の国民への説明が必要

 もし日本政府が、今後の対ロ交渉の主軸を歯舞、色丹の2島の主権を含む返還におき、国後、択捉についてはあえて帰属に固執せずに、訪問・居住の自由などの実益を追及することを決断しているのであれば、以上の①~⑤の諸要素を含め、そのメリット、デメリットを速やかに国会審議などを通じて国民に説明して、その支持を得たうえで、ロシア側と遅滞なく交渉を継続すべきである。

 現在の政府の対応は、外交交渉の中身を公開することは相手に手の内を知られることになる、あるいは交渉目標を国民に知らせることは、得られる結果がそれよりも低いものになるなどとの理由から、実質的なことはすべて非公開とするというものであるが、領土という国益の中核を成す事柄についてそのような態度を貫くことは、決して国民の支持を得られないばかりか、相手からも国論の不統一のすきを突かれることになる。

 日本の評論家の中には、昨年11月の日ロ首脳会談における「56年宣言が交渉の基礎になる」との合意に従い、交渉目標を4島から2島に修正したため、ロシア側は歴史認識を持ち出すなど対応を強化してきた、としてこの目標の修正が問題であったと批判するものも見られるが、この批判は全く的を射ていない。

 日本側が4島の返還を求めていた段階では、ロシア側はこれをまともに相手にせずに原則論のみで片付けていたものが、日本の主張が、より実現可能性の高い2島返還に力点が置かれたのを見て初めて真剣に応酬を行ってきたというのが現実であろう。

ロシアのプーチン大統領(手前左)と言葉を交わす安倍晋三首相=2018年9月12日、ロシア・ウラジオストク

ロシアの主張についての日本の立場と反論

 過去半年間の日ロ首脳会談及び外相会談においてロシア側が主張したと報道される主要点は、以下の5点であるが、これに対する日本側の反論や立場の説明は、日本政府が明らかにしないので、メディアには一切報道されていない。中には、ロシア側の発表が「このロシア側の発言に対して日本側はなんら反論しなかった」とされ、これがそのまま日本の新聞で報じられたりした例もある。

 私は、交渉経過を読んだわけではないので、日本側の具体的発言内容は一切承知しないが、実態としては相当詳しく反論したものと確信する。その説明が日本政府から国民に対して何ら行われないので、国民の間に疑心暗鬼が拡散していることは誠に不幸なことである。

 このままでは致し方ないので、私が一人の外務省OBとして一般的な知識に基づき、それぞれのポイントについて日本の立場を踏まえて、ロシア側の主張はなぜ正しくないかを説明したい。

(1)「まず平和条約を締結し、その後に争いのある問題を解決」

 プーチン大統領は昨年9月のウラジオストックにおけるセミナーの公開の場で、安倍総理を前にして、「あらゆる前提条件を付けずに平和条約を結び、争いのある問題はそのあとに解決しよう」と発言した。

 平和条約とは、戦争を行った当事国が、①戦争状態の法的終結、②賠償などの請求権の処理、及び③国境線の画定に合意するための公式文書であるが、日本は、サンフランシスコ平和条約並びにその後の関係国との個別の条約により、ロシアと北朝鮮以外の諸国とは、実質的に平和条約の締結を済ませている。

 ロシアについては、1956年の日ソ共同宣言により、上記の①と②は解決しており、③の国境線の画定だけが課題として残っている。従って、今後両国が国境線の画定を含まないいかなる条約を結んでも、それを「平和条約」と称することは正しくない。

 もし日ロ間で国境線の最終確定を含まない何らかの条約を締結するのであれば、それは、例えば「友好協力条約」とし、平和条約はあくまでも国境線の最終確定の後に締結することとしなければならない。

 以上から明らかなとおり、このプーチン提案に乗ると、平和条約だけ先取りされて、領土交渉は具体的進展を見ないこととなる可能性が極めて高い。

(2)「56年宣言も平和条約が先で、その後に2島を引き渡すと書かれているので、その通り進めるべし。また引き渡すということには主権は含まれていない」

 56年宣言は、「ソ連は、歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する。これらの諸島は、両国間に平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と規定している。

 引き渡し時期については、平和条約において具体的に明記されることが当然のこととして予定されており、引き渡しについての再交渉は不要である。時期については、受け入れの準備、住民の扱いなどについて検討時間が必要なことは理解できるので、引き渡し時期が条約締結時期から多少後になることはやむを得ないものと考える。

 外交上、「領土を引き渡す」という場合には、主権も含みすべての権利を引き渡すことが当然視されており、主権を伴わない場合は、「引き渡す」ではなく、貸与という法形式になる。なおヤルタ協定においても、「日本は千島列島をソ連に引き渡す」と表現されている。これに主権が含まれることは、ロシアも当然視しているのであろうから、同様な論理である。

(3)「第2次大戦の結果を日本は認めるべし」

 ロシア側は、第2次大戦の結果として4島がソ連領となったことは国連憲章上明らかであることを日本側が認めることが大前提であると主張しており、さらに、4島を日本に返還することは、国連憲章違反になるとも述べていると報じられる。

 その根拠としてロシアが挙げているのは、国連憲章第107条(いわゆる敵国条項)である。このロシアの主張が正しいかどうかは重要なポイントなので、条文の全文を紹介する。

「この憲章のいかなる規定も、第2次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府が、この戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、または排除するものではない」

 まず条文解釈からすると、1945年8月末から9月2日にかけて行われたソ連軍による北方4島の占拠行動が、国連憲章107条にいう「この戦争の結果としてとった行動」に該当するか否かは解釈が分かれる。

 さらに、この条文は「旧敵国」のすべてが国連加盟国となった時点で、実質的な意味を有さないので削除すべきという動きが高まり、1995年の国連総会で圧倒的多数(ロシアも賛成)で削除が決定されている。しかし実際の削除には、憲章の修正についての加盟国の批准が必要であり、その手続きは未だ一切なされていない。即ちこの条文は法的には存続しているが、政治的には全く意味を有さないこととなっている。

 従って、今日の領土紛争に関してこの条文を理由として自らの正当性を主張することは大きな問題があり、さらに、領土の返還は憲章違反云々は全く見当違いの主張である。

 結論的に述べれば、「第2次大戦の結果を日本が認めること」は平和条約交渉の入口論ではなく、平和条約で合意されることが、日本が法的に認めた戦争結果であるので、出口論として理解することが正しい。

(4)「返還される2島に米軍基地の設置の可能性」

 ロシアは再三にわたって、返還される土地に米軍基地が設置されることは、ロシアの安全保障上認められないとけん制している。

 現実問題として、北海道に一度も米軍基地が設置されたことがない状況の中で、米軍が歯舞または色丹に基地を設置する必要性や蓋然性はまったくないと考えられる。しかしながら、ロシアのこの懸念は、北方領土の安全保障上の価値が以前より格段に高まったことを示すものであり、日本としても無視するわけにはいかない。

 ただ、同盟国の米国からこのようなことを公式な文書で求めることは、甚だ良識を欠く対応となるので、日本が独自に法律により、返還された北方領土は軍事的に利用できない趣旨の規定を設ければよいと考える。

 一つの方法としては、返還される領域全体を「知床国立公園」に含むか、新たな国立公園とすることも一案であろう。

(5)「国後、択捉の継続協議は絶対に認められない」

 ロシアは、歯舞、色丹の返還が、次の2島の返還交渉につながることを極度に警戒しており、そこにいくら小さくても良いので何らかの手がかりを残したいと考える日本側の立場と真っ向からぶつかっている。

 実はこの点が、今般、日ロ平和条約交渉を詰める際の最難箇所でと考える。

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