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異文化マネージメントから考えるゴーン事件・上

日産の経営・ガバナンスが直面した異文化マネージメント力の問題とは

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

カルロス・ゴーン氏カルロス・ゴーン氏

日本人経営陣のクーデターの行方は

 金融商品取引法違反および特別背任で起訴されたカルロス・ゴーン氏は、昨年11月22日に日産の会長を解任され、本年1月24日にはルノーの会長およびCEOを辞任した。

 彼が過去に行ってきた行為や日本の司法当局の対応をめぐっては様々な議論が出ているが、日産による会長解任の真因と今後の展望については、フランスへの工場進出やルノーとの経営統合を推し進めようとしたゴーン前会長に反対する日産の日本人経営陣がクーデターを起こしたとの見方はあるものの、依然、明確な答えは見えていない。

 一般に企業内におけるクーデターは、経営刷新や不正の撤廃などの正当性を掲げて、既存経営陣を構成する一部が権限の完全掌握を目的に行うものである。今回の場合、西川広人社長をはじめ日本人経営陣は、ゴーン氏というワンマン会長を解任はできた。だが、その背後にいるルノーから日産の経営権を獲得しない限り、最終的な目標は達成しない。

 しかし、ルノーおよびその大株主であるフランス政府は、日本の司法当局などの動きを睨(にら)みながら、慎重かつ静かに脱ゴーン経営への舵(かじ)を切っている。日産側の目標達成の可否は、フランス側の裁量に依存する度合いが高まっているように窺われる。

 本稿では、クロスボーダーM&Aや外国人従業員の増加などにより、多くの日本企業が直面している異文化マネージメントの観点から、「ゴーン事件」の背景と今後の見通しを考えてみたい。

Mr.ビーン? 朗らかな印象だったゴーン氏

日産の最高執行責任者(COO)に就任した直後のカルロス・ゴーン氏。実績主義の人事評価制度などを強調していた=1999年12月15日日産の最高執行責任者(COO)に就任した直後のカルロス・ゴーン氏。実績主義の人事評価制度などを強調していた=1999年12月15日
 1999年5月に日産株の36.8%を保有したルノーの名代として同年10月にCOOに就任したゴーン前会長は、前年度末には2兆円超の有利子負債を抱え、就任直後の決算で7千億円弱の純損失となった日産を、大株主であるルノーの力に頼った強権的な経営で、3工場の閉鎖と2万1000人のグループ人員削減、下請けの整理などを行い、翌年度から純利益に転換させた。2002年度には有利子負債を解消するなど、V字型回復を達成した。

 株主資本主義に基づいた情け容赦ないコストカットが、日産を蘇(よみがえ)らせたのである。しかし、就任当時のゴーン氏と対面した日産の技術者は、氏から、当時「Mr.ビーン旋風」を世界に巻き起こしていたコメディアンのローワン・アトキンソン氏と見間違うほど朗らかな印象を受けたという。このギャップこそが、現在にまで至るフランス移民カルロス・ゴーンの本質なのである。

アメリカ人とはかなり違うフランス人

 ものの考え方や習慣などは、生まれ育った国の文化や宗教に大きく左右される。

 たとえば日本では、その場の雰囲気を読み取れない人間を「KY(空気が読めない)」と揶揄(やゆ)するが、多種多様な移民が住むアメリカ人からすると直截的に言わない方が悪いのであり、「KY」という言葉は理解されない。また、日本では弁護士に「先生」との敬称を使う一方、悪人に味方する場合には「悪徳弁護士」との蔑称を使うが、英語文化圏では依頼人の要請に基づき法律に則って戦う弁護士に良いも悪いもないとの考え方から、日本人が意図する「悪徳弁護士」に対応する単語はない。

 一方、仏INSEADのメイヤー教授が指摘しているように、欧米人の中でもフランス人は少ない説明で本心を伝えるコミュニケーション文化を持ち、白黒をはっきりさせるアメリカ人には解(わか)りづらいとの印象を与える。感情をあまり表に出さないという点では、日本人に近いところもある。

 思考方法も単純明快なアメリカ人とは異なり複雑で、語学や数学などの教育も文法や法則の習得から入る演繹(えんえき)的な色彩を帯びている。アメリカ人の上司がトップダウンで理由を示さず命令を下す傾向が強いのと異なり、フランス人の上司は、なぜそうするべきかの説明をする。ただし、だからと言ってフランス人の上司が解り易いわけではなく、どちらかと言えば気難しいという声が散見されている。

 フランス人は、日本人が「外国人」という場合に最初に思い浮かべるアメリカ人とはかなり違うのである。ちなみに、日本人にとっては「時間厳守」型、「規則遵守」型のドイツ人の方が「馬が合う」のだ。

成功した移民の代表例

 ゴーン前会長は、ブラジルに移住したレバノン人の両親を持ち、レバノン(元フランスの委託統治領)のカトリックスクールの中学を卒業後、フランスの有名な高校を経て、大学でエンジニアリング学んだエリートである。欧米では植民地・委託統治領の人間や移民は二流の扱いを受ける傾向が今でも残っているが、フランスは19世紀以降、フランス語と文化を習得すればフランス人と認める「同化政策」を植民地に対して採っている。ゴーン前会長もその下で成功した移民の代表例だろう。

 なお、似たような境遇で成功した例は、ハンガリー移民二世であるサルコジ大統領だろう。ただし、どちらもハッピー・エンドではない。

 ゴーン前会長は社会人としての前半に、ミシュラン本社から南米および北米の現法に派遣されて、リストラを成功させることで頭角を現した、数字に厳しい緻密(ちみつ)な経営者である。この経験が日産でのコミットメント経営に繋がったのだろう。

 また、彼にとっては異文化の地である南米と北米でのマネージメント経験は、彼にアメリカを理解させ、アメリカ型の資本主義を体得させたはずだ。くわえて、もともとレバノン人としての冷徹な商売の癖を持っていたであろう彼は、就任直後の日産で彼についた通訳などから、「意地汚い」という印象も持たれたらしい。

 こうした経験を積んだ彼は、1999年10月の着任以来、リストラの対象となった多くの日本人従業員と下請け企業の恨みを買いつつも、旧来型の日産の経営を株主資本主義の徹底で改革すると同時に、日産内部に残った職員との意思疎通の確立に成功し、一時は西川社長以下多くの日本人役職員の支持を得て、「ゴーン王国」の建設に成功したのである。

長期的視点を欠いた日産のゴーン氏への対応

カルロス・ゴーン会長の逮捕を受け、記者会見する日産自動車の西川広人社長=2018年11月19日夜、横浜市西区カルロス・ゴーン会長の逮捕を受け、記者会見する日産自動車の西川広人社長=2018年11月19日、横浜市西区
 一方、この20年間の日産のゴーン氏への対応はどうだったのだろうか。

 これに関しては、西川社長がゴーンが逮捕された昨年11月19日の記者会見で二つの興味深い説明を行っている。

 一つは、彼はカリスマか暴君かとの質問に対し、しばらくは良かったが、長くトップの座に居過ぎた結果、ガバナンスの問題以外にも、実務から遠ざかり彼に報告する人の数も減っていった、という説明だ。

 これは、近年の彼は、リーダーシップで求められる経験の積み重ねによる信頼と感情的信頼のうち、日産の決算が不芳(ふほう)となってきた状況下で、彼にとって従順であったはずの取巻き陣が彼の経営手腕に疑問を抱き始めた結果、不芳な決算を部下のせいにすることなどにより、感情的信頼をも失ってきたことを示唆している。それは、ゴーン前会長が、他の日本の組織で繰り返されてきた、異物排出の動きに繋(つな)がる「異物」になってきたと言っているに等しい。

 もう一つは、行き過ぎた権限集中の理由は何だったのかという質問への回答のなかで、2005年にルノーのCEOを兼務すると聞いた時、日産を再建した彼がルノーも率いるのは良いことだと喜んだが、振り返れば、あの時から徐々に両社の統合に向けた動きをしてきたのかもしれない、という趣旨の感想を語っていることだ。

 要は、ルノーをバックとしたゴーン氏のトップダウンの判断に対して、西川社長ほか日産の社員は、特段の疑問を抱くことなく、自社を復活させた名経営者のさらなる躍進として喜んだというのだ。長い間の宮廷政治や植民地経営等の経験から、長期的視点、本音が表に出てこないやり方、相手を巧みに動かす手法など、ゴーン前会長のフランス流のやり方に対して、西川社長ほか正直で真面目な日本人が過半を占めた日産の経営陣は、自社の足許だけを見た対応をしていたのである。

ルノーやフランス政府の評価は

 では、このようなゴーン前会長をルノーやフランス政府はどう評価していたのだろうか。

 逮捕から1年ほど遡り、現在までのルノーなどの発表を見ると、

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