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中島岳志の「自民党を読む」(8ー完)小泉進次郎

米国の強い影響、自助を強調。父・純一郎氏と同じタイプの息子に欠けているものは…

中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

講演する小泉進次郎氏=2018年10月27日、横浜市西区

ヴィジョンの全体像を示した著書がない

 将来の首相候補と言われる小泉進次郎さん。父は言わずと知れた小泉純一郎元首相です。

 自民党の若手でありながら、時に安倍政権に対して大胆な批判的見解を述べ、地方遊説では圧倒的な人気を集めています。一方、これほど注目されるホープでありながら、どのような考え方の政治家なのかは、国民にあまりよく知られていません。各地での演説でもキャッチ―なワンフレーズばかりが取り上げられるため、いかなるヴィジョンをもった人物なのか、判然としないのではないでしょうか。

 それもそのはず。小泉さんは、自らの考えをまとめた書籍を一冊も出版していません。

 ノンフィクションライターが彼の言葉を集めたものや、自民党の福田達夫衆院議員との対談(田崎史郎『小泉進次郎と福田達夫』文春新書、2017年)は出版されていますが、自ら書いた本はありません。自分の考えをまとめた論文やレポートなども皆無に等しいため、なかなか全体像が掴みづらいという特徴があります。

 今回は、小泉さんが様々な媒体で語ったインタビュー記事などを基に、彼の思想とヴィジョンを明らかにしていきたいと思います。

横須賀育ち、体育会系の気質

 小泉さんは1981年、横須賀生まれ。兄・小泉孝太郎(俳優・タレント)の3歳下の二男です。生まれて間もなく両親が離婚したため、純一郎・元首相の実姉・道子さんに育てられました。

 小泉さんが生まれたとき、父は既に政治家(9年目)で、横須賀を地盤としていました。小泉さんは、身近に米軍基地が存在する環境で育ち、政治家になってからも米軍へのシンパシーを語っています。

公開されたイージス駆逐艦カーティス・ウィルバーを見学しようと列をつくる観光客ら=2016年8月6日、米海軍横須賀基地

 小学校入学から大学卒業まで関東学院に通い、中学・高校では野球部に所属しました。ここで彼は「徹底した上下関係」を経験します。先輩が言ったことは、間違っていても「はい」と言わなければならず、頼まれたことは断らない。このとき身についた行動原理が、政治家になってから生かされていると言います。

たとえ、それが理不尽な要求であろうと、あの上下関係のなかで耐え抜いてきたというか、あの上下関係を学んできたということは、私は政治の世界にまだ半年ちょっとですけども、いろんな悩み、また理不尽な感じに対して、もっとストレスを感じていることが多かっただろうと思うんです。(「小泉進次郎が初めて語るわが青春、わが自民党」『Will』2012年9月号)

 後で見るように、このマッチョな根性主義が彼の基本姿勢であり、政治ヴィジョンや人間観にも反映されます。

アメリカでジャパンハンドラーから影響を受ける

 小泉さんという政治家を分析する際、非常に重要なのは大学卒業後に経験した約3年間のアメリカ留学です。彼はコロンビア大学大学院に進学し、日本政治を専門とするジェラルド・カーチス教授のもとで学びました。この時代に一定の英語力を身につけ、自らの考えを人前で話す技術も習得します。

 そして、非常に重要なのが、留学3年目に所属したCSIS(戦略国際問題研究所)での経験です。

 この機関はワシントンDCにあるアメリカ陸海軍直系のシンクタンクで、日本外交に多大な影響力を持ってきたリチャード・アーミテージなどが理事を務めています。小泉さんが所属していた時の日本部長はマイケル・グリーン。ブッシュ政権のNSC(国家安全保障会議)アジア上級部長です。

ジェラルド・カーティス氏
リチャード・アーミテージ氏

 小泉さんは、ここでジャパンハンドラーズの代表的人物とのつながり、影響を受けます。彼らは日本の有力政治家と接触し、自らの利益にかなう方向へと誘導することで知られます。小泉さんの外交・安全保障観は、親米を軸に構想されています。

 後で述べるように、父と同様、アメリカの意向に沿うような構造改革・規制緩和路線を基調としています。この姿勢は、CSISでの経験を抜きに考えることはできないでしょう。

 帰国後、小泉さんは父の秘書を務め、選挙基盤を受け継ぐ形で、2009年衆議院選挙に出馬します。

世襲批判、そして野党議員としてスタート

 この選挙は、自民党にとって大変な逆風でした。小泉内閣のあと、安倍内閣・福田内閣・麻生内閣が短命に終わり、世の中ではリーマンショックによる貧困・格差が大問題になっていました。自民党のとってきた新自由主義路線が、厳しい批判にさらされます。

 さらに厳しかったのは、自民党の中から激しい世襲批判が出ていたことです。その代表格が菅義偉さんで、選挙に向けて「世襲制限論」を訴えていました。

 民主党による政権交代への期待と自民党批判。そして世襲批判。小泉さんは、いきなり逆境に立たされます。

 選挙中には足を踏まれたり、ペットボトルを投げられたりしたといいます。時には名刺を目の前で破られ、演説中に「うるさい!」「世襲反対!」とやじられました。小泉さんの耳には、様々な罵詈雑言が耳に入り、「いちいちへこ」んだといいます(前掲「小泉進次郎が初めて語るわが青春、わが自民党」)。

 結果、小泉さんは当選したものの、自民党は惨敗を喫し、民主党による政権交代が実現します。小泉さんは野党議員として、政治家人生をスタートすることになりました。

民主党政権に対抗して「自助」を強調

 政治家・小泉進次郎が、与党・民主党を批判するという構図で幕を開けたことには、重要な意味があります。

 彼はセーフティネット強化(=「公助」)や新しい公共・社会的包摂(=「共助」)を強調する民主党への対抗から、「自助」を優先すべきことを強調しました。

まずは自らが自らを助けるという「自助」が基本の国づくりをして、それでもダメだったら、民間と一緒になって「共助」というものを築いて、それでもまだ足りないところを「公助」で国がしっかり面倒を見るというものです。(小泉進次郎、田崎史郎「小泉進次郎 初ロングインタビュー 自民党はまだ野党のままでいい」『文芸春秋』2010年12月号)

 2010年2月27日に群馬県安中市で行った演説では、次のように述べています。

民主党の国づくり。「皆さん、何をしてほしいですか? あれもやりますよ。これもやりますよ。何をしてほしいか言ってください。お金はあとから見つけます。」――こういう政治。
じゃあ、自民党はどういう国づくりをしたいのか。あれもやりたい。これもやりたい。でもそれをやるためには皆さんの努力が必要なんです。(松井和志「小泉進次郎、かく語りき--マニフェストこそ事業仕分けせよ」『新潮45』2010年5月号)

 さらに彼は「ほどほどの努力ではほどほどの幸せもつかめない」と言います。もはや日本は、多少の努力では、発展できない。「一生懸命頑張って、何とか成長できる」状態になっている。とにかく死に物狂いでがむしゃらに頑張らなければならない。そう主張します。(前掲「小泉進次郎 初ロングインタビュー 自民党はまだ野党のままでいい」

 彼の矛先は、同世代に向けられます。

 最近の若者は草食系と言われ、内向き志向だとされます。自動車も特にほしくない。海外でバリバリ働きたいわけでもない。国内でそこそこの仕事をして、安定した生活を楽しみたい。そう望んでいる若者が多いとされますが、小泉さんは、そんなことでは幸せなどつかめないと力説します。

 もっと頑張らなければならない。命がけで仕事などに取り組まなければならない。

 ここに現れる基本姿勢に、体育会系の部活経験やアメリカへの単身留学体験が反映されていると言えるでしょう。自らの努力と成功体験への自負心が、民主党批判と相まって、「自助」を強調する政治ヴィジョンに繋がっている。これが、彼のベーシックな特徴です。

沖縄県庁近くで菅義偉官房長官と並んで街頭演説する小泉進次郎氏=2018年9月16日、那覇市

原発へのあいまいな態度

 2009年10月、小泉さんは人気と演説力を買われ、党遊説局長代理に就任します。そして、2010年7月の参議院選挙で党の勝利に貢献すると、同年9月に遊説局長に昇格しました。

 さらに2011年10月には、若手の登竜門である党青年局長に抜擢され、局内に「チーム・イレブン」を立ち上げました。彼は足しげく被災地に通い、復興支援に力を入れます。

 自民党が政権に復帰し、安倍内閣がスタートすると、2013年9月に青年局長を退任し、内閣府大臣政務官(経済再生、経済財政、環太平洋経済連携協定(TPP)等担当)兼復興大臣政務官に就任。自民党の震災復興に対する姿勢をアピールする役割を担いました。

 問題は原発政策です。

 小泉さんの基本姿勢は、原発推進ではありません。むしろ将来的に原発をやめていくという方向性を打ち出しています。しかし、いつまでにどのようなプロセスで脱原発社会を実現するのかという具体策については、示されていません。この点は、脱原発を鮮明に打ち出している父より、かなり慎重で曖昧です。

父は「郵政」、息子は「農協」

 小泉さんは2015年10月に党の農林部会長に就任します。これは若手の彼にとっては大役であり、かつ極めて困難なポストでした。

 この頃の自民党は、TPP問題で各地の農家から反対姿勢を明確にするよう、突き上げられていました。しかし、アメリカとの関係を重視する安倍政権は、TPPを推進。自民党内でねじれが生じていました。

 小泉さんは、一貫してTPPを推進してきました。2011年11月、当時の谷垣禎一・自民党総裁が、TPPについて「アメリカと組みすぎて中国やアジアをオミット(排除)するのはよくない」と発言すると、小泉さんは「耳を疑う」と切り返し、露骨に反対を表明しました。

 ここにはアメリカのジャパンハンドラーズからの影響があるのかもしれません。

 そんな彼が、TPPに抵抗する農業者対策の部会長に就任したことで、世間から大きな注目が集まりました。

 小泉さんは、TPPによって日本の農家が被害を受けるのではなく、むしろ農産物を海外に売るチャンスが増えると捉え、TPPに負けない国際競争力をつけた農業を目指すべきと訴えました。

 1993年のウルグアイ・ラウンドへの対策は、農家へのばらまきでした。しかし、今回はその逆をやらなければいけないと言います。補助金によって農業を過剰に守るのではなく、競争原理を働かせることで強い農家を作ることがポイントだと主張しました。(小泉進次郎、金山隆一「独占インタビュー 小泉進次郎 自民党農林部会長 農林中金はいらない 農業の”護送船団”を改革する」『エコノミスト』2016年2月2日号)

 ここから小泉さんの農業に対する構造改革へのチャレンジが始まります。

 父の小泉純一郎元首相は、郵政民営化に徹底的にこだわりましたが、小泉さんは「農協」の改革にメスを入れることになります。この両者はパラレルな関係にあると言っていいでしょう。

 小泉さんが一貫して目指したのは、持続可能で「儲かる農業」です。農業を補助金によって守るのではなく、むしろ成長産業にすることでグローバル化時代に対応しようと考えました。

 ここで小泉さんは、農家に対して「農業経営者」という視点をもってほしいと訴えます。

 日本においては「アグリカルチャー」と「アグリビジネス」は一体化しておらず、経営的視点が欠如しています。常にアグリカルチャーが強く、アグリビジネスはおまけという位置づけで、民間資本が農業分野へ参入することを警戒し続けてきました。

 しかし、小泉さんは「カルチャーとビジネスは敵味方ではない」と言い、両者が一体化した発展の道を模索すべきだと強調します。そして、企業の農業への参入を積極的に推奨し、その環境づくりこそ国の仕事だと論じました。(前掲「独占インタビュー 小泉進次郎 自民党農林部会長 農林中金はいらない 農業の”護送船団”を改革する」

 彼は、「すべての農家を守ろうとして、すべての農家を守れなかった」という加藤紘一さんの言葉をたびたび引用し、農家への横並び政策を批判します。日本の農業では、誰か一人だけ飛びぬけることは許されず、競争よりも協同が重視されます。その結果、農家は消費者の方を向かず、ニーズにこたえることができていない。そう彼は言います。

 重要なのは、生産者起点の農政から消費者起点の農政へと転換を図ること。そうすることで、高品質の食品を作り、世界と勝負する。世界市場で稼げる体制を築き、ブランド力をつけていく。

 このような「攻めの農業」を確立することで、地方に稼げる仕事をつくることが可能となり、人口減少に歯止めをかけることになる。農業法人の経営を後押しし、従業員として就職する人を増やす。これこそが真の地方創生政策であると、小泉さんは主張します。

 しかし、このような「儲かる農業」を阻害する存在があると言います。小泉さんがターゲットとしたのが農協でした。

小泉純一郎元首相。原発ゼロへの思いを語る=2018年12月12日、東京都品川区

農協にメスを入れる

 小泉さんの矛先は農協に向けられます。彼は三つの点を改革ポイントとして挙げ、農協への厳しい姿勢を明示します。

 まず第一点目が「農業機械・肥料・農薬・ダンボールなどの生産資材が高い」という点です。

 地方によっては、農業機械などを農協から買うよりもホームセンターで購入する方が安く、農協を介することで、結果的に生産コストが上がってしまいます。そのため、農協の寡占状態を解体し、価格競争という市場原理を導入することで生産資材価格を引き下げる必要がある。これが小泉さんの主張です。

 二点目は「農業金融」の改革です。

 小泉さん曰く、JAグループの農林中央金庫は90兆円を超える貯金残高をもっており、規模でいえば3つのメガバンクの次(4番目)に相当します。しかも内部留保が多い。にもかかわらず農業融資に回っているのは0.1%で、日本の農業振興に寄与していない。「ならば農林中金なんて要りません」。「農業金融を見直して、本当に必要としている農家に資金が届くように整備したい」(「本誌独占インタビュー! 小泉進次郎が挑む 「農政改革」三つの公約」『週刊ダイヤモン』2016年2月6日号)。

 この農林中金解体論は、小泉純一郎元首相の郵政民営化政策と重なる点が多くあります。背後にあるのは、どちらもアメリカの存在です。債務国に転落したアメリカは、海外に貯蓄された富を狙い、アメリカに還流させる政策をとってきました。そこでターゲットとされたのが「ゆうちょマネー」であり、「農協マネー」です。

 この「農林中金解体論」は、さすがに強引で、無理筋だったのか、小泉さんの認識不足が次々に指摘されると、一気にトーンダウンしていきます。

 三点目は、流通・加工の構造改革です。

 小泉さんが強調したのは、市場価格の乱高下に振り回されないよう「定価販売」できる商品を作ることでした。農家は農作物の生産だけでなく、食品加工や流通販売も行うことで、経営体力を強化することができます。ここにも農家に対して経営者になるよう促す姿勢が反映されています。

 このような農協改革は、最終的にJA全農(全国農業協同組合連合会)の株式会社化の推進へと収斂していきます。しかし、JA全農は、これを断固拒否。対立が先鋭化します。

 JA全農は「自己改革案」を提示し、資材調達に競争入札などを取り入れるスキームの構築や直販を拡大するスキームを提示しますが、これは改革ポーズをとっているだけのアリバイ作りと言われ、小泉さんの改革案を骨抜きにするものでした。

 結果、小泉さんは具体的な成果をほとんど上げることができず、2017年8月に部会長を退任します。農業ジャーナリストの土門剛さんは「「ヘマ」の連続」と酷評し、農協を悪者に仕立て上げたことで、改革がとん挫した点を厳しく批判しています(土門剛「農林部会長としては未熟 小泉進次郎「対全農戦争」で敗れた真相」『Themis』2017年2月号)。

 小泉さんの農業の構造改革は、最終的に党内をまとめることができず、大きな挫折を味わうことになりました。

「アベノミクスは時間稼ぎに過ぎない」~東京五輪後を見据える

 小泉さんが農政改革と並行して挑んだのが、社会保障改革でした。

 彼は2014年の時点で「アベノミクスは時間稼ぎに過ぎません」と明言し、2020年の東京オリンピック・パラリンピック後に、様々な問題が日本に襲いかかってくると述べています。ポイントは人口減少と社会保障の問題。このままでは、財政が行き詰まり、福祉政策が立ち行かなくなってしまうと危機感を表明しています(瀧本哲史、小泉進次郎「東大生を前に瀧本哲史と語った日本の最優先課題 白熱90分! 小泉進次郎」『プレジデント』2014年6月16日号)

 問題は2016年参議院選挙前(2015年12月)に起こりました。

 この時、安倍政権が補正予算を組み、低所得の高齢者向けに3万円の給付金を配ることを決めました。財務省は子育て支援についてこれまで「財源がない」と言い続けてきたにもかかわらず、高齢者には3620億円もの高額の予算があっさり計上されました。野党は「選挙対策のばらまき」と反発しますが、小泉さんもこれに同調し、「次世代に向けた社会保障」になっていないと安倍内閣を批判しました。

 この時の政調会長は稲田朋美さん。彼女は小泉さんに対して、補正予算を実施する代わりに、党内で次世代の社会保障のあり方を検討する場を設けることを提案し、「2020年以降の経済財政構想小委員会」が立ち上がります。小泉さんは事務局長に就任し、社会保障問題に取り組むことになりました。

 小泉さんは、社会保障をめぐる財政の厳しさを強調します。年金や医療の保険料を負担する現役世代が減少する一方、高齢者が増加することで支払額が膨張。近年は団塊の世代が65歳を超え、医療費の拡大ベースが上昇しており、財政は厳しくなるばかりです。

 この現象は、若年層ほど支払損となり、世代間格差が拡大することに繋がります。若者は割を食い、現役世代が搾取される形になります。そうなると、当然、若年層の未払い増加し、将来の年金の支払いのために貯めた積立金の取り崩しが避けられない状況に陥ります。

 小泉さんは現在を「株式会社日本の第二創業期」と位置づけ、認識の転換を迫ります。とにかく、今の社会保障は「「全世帯型」社会保障になっていない」。「あまりにも高齢者を優遇しすぎている」ため、若い世代が受益者になっていない。子育て支援などにお金が回らず、少子化がますます進んでしまう。これではいけない。(小泉進次郎、小林史明、村井英樹「小泉進次郎氏ら自民党・若手議員が激論 高齢者優遇の是正へ、社会の「原則」を変える(特集 さらば 「老害」ニッポン 10の提言)」『日経ビジネス』2017年5月1日号)

 小泉さんは、「15歳から64歳までを現役世代と見なすのをやめる」ことを提案します。65歳以上としていた高齢者の定義を改め、現役世代の上限を引き上げることで、収入のある年配層に負担してもらう。そんな訴えを行いました。

自民党青年局・女性局主催の討論会に出席した小泉進次郎氏=2018年9月14日、東京・永田町の党本部

「人生100年時代の社会保障へ」

 そこで、小委員会によってまとめられたのが「人生100年時代の社会保障へ」という提言でした。

 ここでは主に3つのポイントが示されています。第一が「勤労者皆社会保険制度」の導入。正規・非正規に関わらず、企業で働くすべての労働者が社会保険に加入できるようにするというものです。

 第二は「人生100年型年金」。年金支給開始年齢を柔軟に選択できるようにし、働いている間は保険料を納入する。70歳を超えて働ける人は、支給を遅らせることが可能となるとしています。

 第三は「健康ゴールド免許」の導入。健康管理・維持に努めた人の保険料負担を軽減することで、医療費を削減しようとするものです。

 これに加えて、2017年3月には「こども保険」の導入が提案されました。企業と勤労者から集める社会保険料を0.1~0.5%上乗せし、これを財源として現行の児童手当に月額5千円~2万5千円増額して支給するというものです。

 これによって幼児教育・保育の実質無償化を図ることが目的だったのですが、一方で自民党は、同時に「教育国債」発行を検討するプロジェクトチームを設置し、「こども保険」と並行して議論が進むことになりました。

 小泉さんは「教育国債」に強く反発します。国債は恒久財源ではない。これ以上、国債を増やすわけにはいかない。財政再建を進めなければならない。そう言います。

 ここで小泉さんは「自助」の限界にぶつかります。

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