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奈良美智さんがヨルダンの難民キャンプで見たもの

フォトジャーナリスト安田菜津紀がシリア難民キャンプを訪れた世界的美術家に聞いた

安田菜津紀 フォトジャーナリスト

6月20日は「世界難民の日」

 今日6月20日は「世界難民の日」です。戦争や紛争で故郷を追われ、世界をさまよう難民のことを考えたり、難民問題への関心を高めたりするるために、世界各地でさまざまなイベントがおこなわれます。世界的な画家・彫刻家の奈良美智さんは今年3月、ヨルダンにある難民キャンプを訪問されました。アーティストの目にキャンプで暮らすシリア難民の姿はどう映ったか。そこでの彼ら/彼女らの生活ぶりから何を感じたのか。お伺いしたいと思います。(19日放送のJ-WAVEのJam the WORLDの対談をもとに構成しました)

奈良美智さん(左)と安田菜津紀さん=6月16日

奈良美智(なら・よしとも)さん 画家・彫刻家
1959年青森県生まれ。87年愛知県県立芸術大学修士課程修了。88年にドイツにいき、ケルン在住を経て2000年に帰国。1990年代からヨーロッパ、アメリカ、日本、アジアのさまざまな場所で作品を発表。絵画、彫刻、インスタレーションなど多彩な作品を制作している。

2度目の難民キャンプ訪問

――奈良さんが難民キャンプを訪れたのは今回が2回目。2002年にもアフガニスタンとパキスタンの難民キャンプを訪れられたと聞いています。

奈良 タリバンがアフガニスタンからいったん一掃された後で、いまなら現地に行けるというので、雑誌の企画として、写真家の川内倫子さんと2人で行きました。

――印象に残ることはありますか。

奈良 パキスタンには1980年にもいったことがあり、文化的なことや風習的なことにはびっくりしなかったんだけど、難民キャンプは初めて。故郷から逃れてきた人たちを実際に見て、驚いたというのはありましたね。

――故郷から切り離され異国で暮らしている方々と接すると、衝撃を受けると思います。これをきっかけに、奈良さんも難民問題に関心をもたれたと思うんですが、今回、シリアの人たちが逃れている先を訪れようと思ったきっかけは、何だったんですか。

奈良 世界各地でさまざまな国際支援をするNGOの後方支援をするジャパンプラットフォームという団体があります。2011年の東日本大震災の後、この団体と知り合い、自分なりに援助をしたことがありました。その後、しばらくコンタクトがありませんでしたが、急にシリアの難民キャンプにいきませんかと声をかけられて。そう言われたら、「ウン」というしかない。やっぱり行きたいでしょ。

――ジャパンプラットフォームはJPFと呼ばれることもありますが、世界各地で活動するNGO・NPOと連携し、後方支援をしていく団体ですね。今回は「JPF×ART」(注1)という新しいプロジェクトに一環として、奈良さんに難民キャンプを訪れてもらったとうかがっています。6月15日には「奈良美智トークイベント:シリア難民の生活を体験」も開催されました。奈良さんはどういう気持ちでヨルダンに入られましたか。

奈良 そうだね。なるだけ、現地の人、特に子どもたちと楽しむようにすごそうかなと思って訪れた感じはあるね。

(注1)「JPF×ART」
日本では身近に感じる機会が少ない難民問題に、アートをからめることで関心を持ってもらい、自分ごととして向き合い、深く考えるきっかけにになればという狙いでJPFが始めたプロジェクト。社会課題を含むメッセージや作品で、世界中のファンに影響を与える奈良さんに依頼しました。JPFとして、社会課題に問題意識を持つ作家の作品づくりに貢献することも目ざしている。

ザータリとアズラック。ふたつのキャンプ

――ここでヨルダンの状況について少しお話します。ヨルダンにはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が管轄する大きなシリア難民キャンプがふたつあります。ひとつがザータリ難民キャップ。ヨルダンの北部にあり、シリア国境から15キロしか離れていないので、天気のいい日はシリアがうっすら見えたりします。8万人近くが暮らし、半数以上が18歳未満です。

 もうひとつはアズラック難民キャンプ。人口規模は4万人強です。近くに集落の姿が見えるザータリ難民キャンプとは違って周りには何もなくて、荒野にポツンとキャンプがあるという感じです。今回、このふたつのキャップを訪れられ、どんな印象を持たれましたか?

奈良美智さん=6月16日
奈良 2002年に訪ねたアフガニスタンやパキスタンのキャンプは、国連が関与しているわけではなく、自然にできた難民キャンプでした。鉄条門で囲われることもなく、誰がそこの住民か分からない。カオスでしたね。

 今回訪れた難民キャンプは、ザータリにしてもアズラックにしても、管理がとてもしっかりしていた。鉄条門で囲われ、中に入るときは、ここで捕まってしまうんじゃないかというぐらい、厳しい検査がありました。まずそれに驚きました。

――管理の厳しさが、ぜんぜん違ったと。

奈良 だけど、中に入ると、ザータリ難民キャンプはパキスタンやアフガニスタンのキャンプと似ていましたね。以前の生活を持ち込むにせよ、そこで新しく生活を始めるにせよ、それが根付いている感じがした。家にしても、最初は与えられたと思うけれど、自分で改良したり、いろんなものを継ぎ足したりしていました。馬やロバも連れてきていて、街中にとにかく活気があった。

――確かに、ザータリキャンプの入り口を入ってすぐのところには、誰が最初に呼び始めたのか、「シャンゼリゼ通り」といわれる市場ができていますね。私も入り口の警備が非常にものものしい印象は受けたんですが、実は人が外にこっそり抜け出して、モノを仕入れてくるといった隙はありました。対照的にもうひとつのアズラックは……。

奈良 アズラックはほんとうに荒野にポツンとある感じで、同じようなかたちの住居が、コンテナのように規則正しく並んでいる。あまりにも整理整頓されていて、人間が本来もっている自由度が少ないというか、そういうところまで管理されている印象でした。ザータリは活気がある分、(キャンプ開設直後は)犯罪や事件も起きたので、アズラックではちゃんと管理をしようということになったと聞いたんですが、ちょっと管理しすぎではないかと思いました。

将来像を描きにくい難民の子どもたち

安田菜津紀さん=6月16日
――一口に難民キャンプといっても同じではないんですね。過剰な管理が人間味を奪ってしまうこともあるかもしれません。ところで、ザータリ難民キャンプでは、「国境なき子どもたち」というNPOが学校の支援をしています。今回、奈良さんはそこで授業をしたとか。

奈良 それをやるために行ったので、しなくてはいけなかったんだけど。

――どういう授業だったんですか。

奈良 まず僕が産まれ育った日本の北国、僕は青森県出身なんだけど、僕が子どものころに見た風景のスライドを見てもらいました。雪が降っているなかで遊ぶ、鼻水のたれた子どもたちがいっぱいでてきてね。学校のなかで山羊を飼ったりしていた60年代の地方の暮らし。

――青森の学校ですね。

奈良 僕は1959年生まれですが、当時は東京の暮らしというかテレビドラマで見るような暮らしは、青森もそうですが、地方にはありませんでした。いまの難民キャンプの環境に近いと思って見せました。生きるのに精いっぱいな感じですね。自分が生まれ育った青森の昔の風景をみせ、そこから60年代から70年代にかけ、日本の高度経済成長に伴って田舎もかわって格差がなくなり、だんだん東京に似ていく。そういう課程をみせました。

――子どもたちの中で、日本についての漠然としたイメージが、奈良さんの目を通して、具体的になったと思うんですが、子どもたちからいろいろ質問があったんじゃないですか。

奈良 いろんなな質問があったけど……。そうだなあ、質問自体はどこの国の子どもとも変わらない。奈良さんは犬が好きなんですかとか、犬ばっかり描いてますねとか、どうやったら画家になれるんですかとか。それは、ちょっとドキッとしたね。

――難民キャンプの生活が長くなると、自分がどうなるのか、将来像を具体的に描けないかもしれません。画家という奈良さんの仕事が、ひとつの選択肢にはなったかもしれないですよね。

奈良 なったかもしれないけど、こんな奴でもなれるんだと思った子がいるかもしないね。

ザータリ難民キャンプ内、JPF加盟NGOの国境なき子どもたち(KnK)が支援している学校を訪問。奈良さんのトーク後、生徒たちはそれぞれが描いた絵を奈良さんにプレゼントした。©JPF

キャンプの中で楽しいことを見つける子どもたち

――事後レポートを読ませてもらったときに、印象に残っているやりとりがあって、どうして犬の絵を描くんですかという質問に対して……。

奈良 悲しい話ですね。

――奈良さんは小さいとき、飼っていた犬が言うことをきかなくて、親にその犬を捨ててきなさいと言われ、泣く泣く捨てにいった。いまだに申し訳なく思っていると話されたんです。私はズシンときました。難民キャンプでは、大切なものを手放さなかった子はおそらくいないはず。その話が子どもたち心にどんな風に残ったのかと気になったんです。

奈良 僕が描いたり、つくったりする犬は、怒ってはいなくて、おとなしい顔で、ときには目を閉じて瞑想しているような犬ばっかりなんだよね。なんで犬を描くんですかと聞かれたとき、自分は許してほしいと思っているのかなと思ったりしてね。でもね、キャンプにいるほとんどの子は、シリアの記憶はないんだよね。小さいころに、キャンプに来ているからね。

――小学校とかに通っている子たちはそうですよね。

奈良 キャンプで生まれた子どももいる。みんなその世界で楽しいことを見つけて遊んでいたりする。彼らにとって、そこしかないからね。そこは大人と違うところですね。

モノが豊富なスーパーマーケット。「瞳認証」にびっくり

――学校だけではなくて、キャンプで生活しているご家庭も訪れたとか。

奈良 行きました。

――一緒に買い物をしたり、お料理をしたりされましたと聞きましたが、いかがでしたか。

アブドッラーさんファミリーと難民キャンプ内のスーパーで材料の買い出しをした後、一緒にシリア家庭料理をクッキングした。©JPF
奈良 大きなスーパーマーケットもあって、びっくりしたのは、モノがとにかく豊富なこと。しかも、みんなお金を払わない。レジでは「瞳認証」のシステムで個人の口座からお金を引き落とす。すごいと思いました。

――料理はどうでしたか。

奈良 おいしかった! シリア料理はおいしんですよ。レモンをつかって。

――モロヘイアもあって。

奈良 煮たやつね。チキンも一回、ゆでてから油であげて、ゆでた汁で炊いたごはんの上にそれをのっけて食べる。実にうまい。

――味もさることながら、シリアの人たちを接していると、おもてなしとか心とかに私はいつも心を動かされます。

「俺の家はお前の家」というシリアの人たち

ザータリ難民キャンプでランチを一緒にした子どもたちと。©JPF
奈良 あちらの人はほんとうに歓迎してくれる。よくきた、よくきたと、もったいないぐらいにいろんなことをしてくれて。そういう習慣なんだよね。

――俺の家はお前の家というウエルカムの仕方をしてくれますね。

奈良 一緒にご飯をつくって、一緒に食べて、片付けて洗うじゃん。おばちゃんに、「もっと丁寧に洗え」としかられてね。洗い残しがあったみたいで。厳しい!と思ったよ。

――家族の一員のような扱いですね。現地の画家の家にも行かれたとか。

奈良 絵を描くのが好きな人たちがつくっていたアートスペースを訪ねたときに、そこの代表者の30代の画家・サミールがいろいろ説明してくれた。なんか学生時代の友だちみたいだったので、「家にいっていい?」と聞いたらいいよと。彼は家でも絵を描いていて、まさに美大生の部屋だったね。そこら中に絵の具が落ちていて、踏むと靴下に絵の具がつくような。

――いわゆるアトリエという感じですね。

奈良 美しい風景や故郷の風景を趣味で描いている人もいるんだけど、彼はモノを創造するまさしくアーティストだった。たぶんシリアにいたときも、難民キャンプにいるときも、一時期アンマンにもいたというんだど、どこにいても自分が理想とする絵を描いていたんだろうなと。勝手にうれしくなってしまった。

キャンプの環境で変わる住民の表情

アズラック難民キャンプ全体を一望できる高台へ。©JPF
――さきほど難民キャンプで生まれたり、隣国で生まれたりして、故郷の記憶がない子どもたちがいるという話をお伺いしたんですが、逆に大人たちは故郷の記憶が非常に色濃いわけですよね。大人たちの表情をみて気になることはありましたか。

奈良 比較的自由な雰囲気だったザータリキャンプでは、そこで生きる楽しみを見いだそうという感じがした。商売をやっているシャンゼリゼ通りの人とかにそれを感じたんだけど、アズラックキャンプにいったときは、

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