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敗者の歴史から見る日本 佐野史郎さんとの対話

【20】ナショナリズム 日本とは何か/「悪役」は語る

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

インタビューで話す佐野史郎さん=6月20日、東京・南青山。朝日新聞社

 この連載「ナショナリズム 日本とは何か」で前回までの隠岐編を書くため、島根県隠岐の島町の人たちとやり取りをしていて、ふと俳優の佐野史郎さんの名が出た。松江出身で歴史にこだわり、隠岐で幕末に起きた「隠岐騒動」に思い入れが強いというのだ。

 インタビュー申し込むと快く応じていただいた。話は、この連載の核心へと迫っていった。

手帳に書き込んだ「隠岐騒動」

朝日新聞社

 佐野さんを東京・南青山の所属事務所に訪ねたのは6月下旬。隠岐騒動の経緯をびっしりと書き込んだ手帳をめくりながら、質問に答え、語り続けた。

 まず隠岐騒動についておさらいして、佐野さんとのやり取りを紹介したい。

 明治維新直前の1868年3月、島根半島から日本海を北へ67キロの隠岐諸島「島後」(どうご・今の島根県隠岐の島町)で、隠岐騒動は起きた。

 島民らは徳川幕府の天領だった隠岐を預かる松江藩の「郡代」を追い出し、80日間の自治をした。「1871年のパリ・コミューンより早い人民政府」「天皇の名の下に幕藩体制を拒み決起した維新の先駆け」などと、歴史通の間で様々に語られる事件だ。

「ぜひ大河ドラマに」

インタビューで話す佐野史郎さん=6月20日、東京・南青山。朝日新聞社
――島後の人々は幕末、隠岐に現れた外国船に対する松江藩士の手ぬるい対応や、高い年貢に不満を持ち、自ら島を守ろうと学校を作ろうとして松江藩に断られて、「皇国の民」として蜂起しました。そんな「隠岐騒動」にひかれているそうですね。

 「ぜひ大河ドラマに」と、NHKのプロデューサーさんには機会あるごとに提案しています。十数年前、隠岐騒動の話を最初に聞いた時には「松江藩ひでえな」と思いました。でも、知れば知るほど単純な人道上の善悪では語れず、日本の近現代史を理解するには欠かせない出来事だと考えるようになりました。

 当時は、「蛤御門の変」で京を追われた長州藩が倒幕派の筆頭として朝廷と結びつき、徳川幕府の大政奉還を機に新政府体制へ猪突猛進します。中国地方全体がその動きにのみ込まれていく中で、親藩で天領の隠岐を預かる松江藩は最後まで幕府に忠誠を誓おうとした。その心根にも思いを寄せざるをえません。

 島後の人たちは、生きるために蜂起し、朝廷や長州藩との絆を生かしました。隠岐と朝廷の間には、「国産みの神話」が記紀に現れる大宝律令の時代や、鎌倉幕府との政争で皇族が流された中世から縁がある。幕末に隠岐にまで影響を与えた長州藩の権力奪還への執念は、歴代首相を多く生んだ今につながるものを感じます。

「悪者」を決める「勝者」

筆者(手前)と話す佐野史郎さん=6月20日、東京・南青山。朝日新聞社
――隠岐騒動の魅力の本質は何なのでしょう。

 隠岐にせよ、松江藩にせよ、長州藩にせよ、その土地への人々の帰属意識が明瞭です。草の根に寄り添い生きようとする自然主義、ナチュラリズムといえます。

 私が松江出身ということもあるのでしょうが、一番気になるのは、松江藩から派遣されていた郡代のことです。島民に追放され、混乱の責任を取って切腹をした。新政府側から島民にあてた文書を勝手に開封したことが島民の怒りを買ったのは当然ですが、郡代にすれば、島民が尊皇攘夷にはやる中で愚直に天領の隠岐を守ろうとしてのことだったでしょう。

 しかも新政府自体が揺れていて、島後で島民の自治が始まってから松江藩が武力で奪還するまでの間には、松江藩に隠岐を引き続き治めるよう指示しています。島民も松江藩も何を信じたらいいのか、翻弄されていた印象です。

 今もそうですが、目先の事態の解決に追われるのが政治の宿命かもしれない。そんな解決が連なる歴史は「勝者」の視点で「悪者」を決めがちですが、後出しじゃんけんですよね。

 亡くなってもう反論できない「悪者」の声にも耳を傾けることが歴史の検証なのではないかというのが、俳優として歴史上の人物を演じ、感じてきた強い思いです。

戦後の国民の「負い目」

インタビューで話す佐野史郎さん=6月20日、東京・南青山。朝日新聞社
――そういえば佐野さんの配役には、幕末に攘夷派を弾圧し暗殺された幕府の要人や、2・26事件の中心人物で処刑された青年将校など、「悪者」が目出ちます。

 そういう僕の「悪者」観を、プロデューサーやディレクターが察知するのかな。これまでの歴史認識にとらわれず、自分の身体を信じて、その人物がいた時代状況に身を置く。それをどう受け止めるかは見る人次第です。

――「勝者の歴史」は、昔から支配者の正統性を支える物語として必要とされ、とりわけ「国民」をまとめるために大きな役割を果たしてきました。いわゆるナショナリズムです。日本では明治維新を経て生まれました。

 それぞれの郷土こそがそこに住む人の「クニ」であったのに、万世一系の天皇が治める日本という国の物語が、律令制度の誕生期や明治期に唱えられました。明治においては西欧列強と並ぶ近代国家になるためだったのですが、天皇を中心とする新政府設立のために戊辰戦争で犠牲になった会津をはじめ、徳川幕府を守ろうとした人の思いは、近代以降の教育で多くは語られません。

 そうして生まれた近代国家としての日本は、日清・日露戦争では「勝者」でしたが、大東亜戦争においては「敗者」になる。明治維新で幕府がたたかれたのと同様に、敗戦後には陸軍がたたかれますが、天皇の戦争責任と、それを問うことをはばかる空気を生み出した「国民」一人一人の責任はどうだったのか。

 自分もその時代に生きていたら、その時代の空気に異を唱えることができたかどうかは疑問です。

 「勝者」のいない戦後日本で、そうしたあいまいさからくる負い目が受け継がれ、今も日本という国家に帰属意識を持てない人たちが少なからずいるように思えます。

封じられた声を聞く

ロシアと朝鮮半島、日本列島が囲む日本海に、隠岐諸島(赤丸)はある=google mapをもとに作成
――佐野さんのおっしゃるナチュラリズムという形で、人々が郷土よりも広い近代国家に帰属意識を持つためには、「敗者の歴史」にも目を向けるべきということでしょうか。

 近代国家としての日本をつくるためのナショナリズムや、「勝者の歴史」とは無縁でも、漂う何かへの帰属意識を持ちながら、この列島で生きた人、生きる人たちのことを忘れてはならないと思います。琉球やアイヌの人たちもそうですし、古代出雲から見れば、竹島や隠岐の島、朝鮮半島までもが「環日本海国」「環東海国」という広がりで立ち現れます。

 過去、現在を問わず、ナショナリズムに封じられた人々の声に耳を傾けることができるような土地にこそ、私は帰属意識を覚えます。

 この列島には様々なルーツの人たちがいます。先ごろ、日本の法律で初めて「先住民族」という言葉を使い、「その誇りが尊重される社会の実現」を目指すと明記したものが、アイヌ民族を対象にしてできました。新たな時代が始まった瞬間に我々は立ち会っているのかもしれません。

佐野史郎(さの・しろう)
1955年生まれ。松江出身。俳優として劇団シェイクスピアシアターの旗揚げ、唐十郎の状況劇場での活動を経て、86年「夢みるように眠りたい」(林海象監督)で映画主演デビュー。92年に民放ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で演じたマザコン男「冬彦さん」がブームに。89年に映画「226」で同郷の栗原安秀・陸軍中尉を、2018年の大河ドラマ「西郷どん」では大老・井伊直弼を演じた。

※次回は9月12日に公開予定です。