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「表現の不自由展」を襲った日韓の嫌な感じ

「韓国敵視政策」が招いた不寛容な集団抗議/権力側はブレーキかけず「放置」

市川速水 朝日新聞編集委員

記者会見で抗議が殺到していることを明らかにし、涙をにじませる津田大介・芸術監督=2019年8月2日

韓国敵視政策がこんな形に…

 愛知県の国際芸術祭企画展「表現の不自由展・その後」が開催3日間で中止に追い込まれたことを伝える2019年8月3日のニュースを見ながら、「韓国を敵視する政策がこんな形で表れてしまったか」と深いため息をつくしかなかった。

 安倍政権が韓国を輸出手続きの優遇国「ホワイト国」から外した措置を受けて、私は『韓国は「敵」なのか』のなかでこう書いた。

今回の措置は、戦後の日韓史上例がない、「日本が悪意をもって韓国を標的として能動的に決断した行為」であるのが最大の特徴だ…(中略)…この(日韓)両者は、まったく折り合わない、会話のかみ合わない、相手の立場を理解できない、理解しようともしない、いつ終わるとも分からない闘いに突入してしまった。

 慰安婦をシンボル的に表現した少女像に対して、それをあえて展示して議論の呼び水にしようとした主催者側に対して、「相手の立場を理解できない、理解しようともしない」抗議や脅迫は容赦なく攻撃し、その嵐に展示会全体がのみ込まれてしまった。

 ネットの功罪をくまなく知り、SNSの世界をリードしてきたジャーナリスト・津田大介氏(今回の芸術監督)ですら「想定を超える事態が起こった」と記者会見で涙するほど脅迫・抗議の風圧は激しかったのだろう。

 芸術祭実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事も「テロ予告や脅迫の電話がこれ以上エスカレートすると(来場者が)安心して楽しくご覧になることが難しい」と語り、単なる抗議以上の、現実的な危険の兆候が中止の最大の理由であることを明らかにしている。

2015年1月、東京都練馬区のギャラリーで開かれた「表現の不自由展」。少女像(中央奥)や元慰安婦の写真が展示された

元祖「不自由展」から4年、さらによどんだ空気

 今回中止になった「その後」展は、2015年、東京都内の民間ギャラリーで開かれた「表現の不自由展・消されたものたち」の続編とも言うべき展示会だった。

 今回出品された16組のほぼ半数の作家が前回に引き続いて参加しており、韓国のキム・ソギョン、キム・ウンソン両氏制作による「少女像」も前回、展示され、私も取材に出向いた。静かな雰囲気で何かをじっくり考えさせられる不思議な空間だったことを覚えている。

 今回、愛知での出品作と重なる作品群にしても、新宿のニコンサロンで開催直前に中止になった元慰安婦の写真展(安世鴻氏)、作品表面のメッセージが削除されたモニュメント(中垣克久氏)、福島の除染作業の音などの展示説明文を同意なしに修正された「サウンドスケープ」(永幡幸司氏)などを当時、鑑賞したが、こんな芸術表現に主催団体がどんな軋轢を恐れ、何に忖度して事なかれ主義に陥ったのか、日本の芸術環境をめぐる「現住所」を明確に示していた。

 元祖「不自由展」のパンフレット冒頭には、展示物についてこう記されていた。

検閲とそれに基づく修正、封殺(展示撤去、掲載拒否、放映禁止)、自粛の憂き目に遭い、表現の正当な機会を奪われた、タブーとされたものを集めました

 タブー視された具体的なテーマとして「天皇と戦争、植民地支配、日本軍『慰安婦』問題、靖国神社、国家批判、憲法9条、原発、性表現」を挙げた。

 あれから4年半。今回の「その後」展に至るまで、これらのテーマをめぐる日本の空気は、さらによどんできたといえないだろうか。

 そう思う理由がいくつかある。

 安倍政権が韓国に対して強硬な姿勢をとり続ける背景には、市民(有権者)の支持という裏付けもある。2019年7月24日まで実施した輸出優遇国除外のパブリックコメントには、4万件を超す異例に多数の意見が寄せられ、95%が政府方針に賛成したという。

 今回の展示に関して、8月2日までの2日間に芸術祭事務局に来た電話やメールの抗議・脅迫は1千件以上に上った、と主催側は明らかにしている。

 この種の「意見」は、政権に否定的なコメントはなかなか来ないし、「圧力に負けず頑張れ」といった励ましの声は極端に少ないのが常だ。

「表現の不自由展・その後」で展示されていた「平和の少女像」=2019年8月2日、名古屋市の愛知芸術文化センター

名古屋市長、官房長官、保守系議員グループ…

 前回の不自由展に比べて今回、「不自由度」が増すことになった経緯を見ると、特徴の一つは、公的権力が堂々と介入してきたことだ。

 河村たかし・名古屋市長は少女像や天皇に関する作品の展示について「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして主催側に抗議文を出した。

 菅官房長官は、この芸術祭が文化庁の助成事業であることと関連し、「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べ、補助金見直しとも取れる発言をした。

 保守系国会議員らでつくるグループは、「芸術や表現の自由を掲げた事実上の政治プロパガンダ。公金を投じるべきではない」と意見表明した。

 これらの作品群がかつてタブー視された時には「諸般の事情」などを理由とした「こっそり感」が漂っていたが、これほど大っぴらに権力による批判がまかり通る時代になった。

 筋論からいえば、展示作品を嫌う人は会場に足を運ばなければいい、鑑賞してから静かに批判すればいい、公金は政治の道具でなく市民の税金なのだから、批判があれば市民が実名で堂々と論戦を交わせばいい――。こんな穏健な作法は、権力によって一喝され、市民の一部が喝采を送り、根こそぎはぎ取られた感がある。

結果的に最終日となった2019年8月3日、「表現の不自由展・その後」の会場前には長蛇の列ができていたが…=名古屋市の愛知芸術文化センター

権力側はブレーキかけず、警察も動き鈍く

 さらに、匿名の罵詈雑言や脅迫について、結果的に中止に追い込んだ権力側から「やり過ぎだ」「もっと冷静に」「脅迫電話を受けた職員の恐怖心が心配」といった、思いやりやブレーキをかける言動は、少なくとも私には聞こえてこない。

 警察からも、

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