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習近平の大いなる変身

中国建国70周年式典の演説は8分。「新時代」も「強国」もなし。一体何が起きたのか

冨名腰隆 朝日新聞記者 中国総局員

わずか8分の演説

 中国の建国70周年を祝う式典は、10月1日に北京の天安門広場周辺で盛大に開かれた。それから2週間以上が経ったが、まだ心のもやもやが晴れない。

 式典に続く軍事パレードには1万5千人以上の兵士が参加し、装甲車両など計580台と航空機計160機が登場、うち4割が初公開という過去最大規模で行われた。最高指導者として間もなく8年目を迎える習近平国家主席(共産党総書記)にとっても、自らの威信を内外に示す重要な舞台であったことは言うまでもない。

 式典の開始を告げる70発の礼砲が響き渡った後、人民服姿の習氏は天安門楼上のマイクの前に立った。70年前、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した、まさにその場所である。

 習氏はおそらく、自らの名を冠した「新時代の中国の特色ある社会主義思想」の実現や、建国100年の2049年への目標として掲げる「現代化強国」を力強く訴えるであろう――。

 私は、そんな予想をしつつ、演説に耳を傾けた。

 ところが、習氏は祖国復興への喜びや発展を支持する世界への感謝こそ口にしたが、そこには「新時代」も「強国」もなかった。時間にして、わずか8分10秒。予定されていた10分にも満たず、淡々とした語りのうちに「万歳」で締めた習氏の振る舞いに、私はあっけに取られた。

中国建国70周年の祝賀式典でオープンカーに乗り込み、閲兵する習近平国家主席=2019年10月1日、北京、新華社

 習氏は元来、雄弁な指導者である。

 2年前の第19回党大会で、習氏の政治報告は異例の3時間半にも及んだ。この時の演説も新味があったわけではないが、「新時代」の到来を35回も繰り返す習氏の意気盛んな様子を、私を含め会場にいた全ての人が驚きをもって見つめていた。舞台上では我慢しきれず中座する幹部が続出。ようやく演説を終えて席に戻った習氏に、隣の胡錦濤前国家主席が「長いよ」と言わんばかりに腕時計を示したのは、忘れられない場面だ。

 今回も習氏の両側には党大会と同様に歴代の幹部が並び、天安門楼上には76歳の胡氏のほか、93歳の江沢民元国家主席、102歳の宋平元政治局常務委員らの姿があった。短い演説は彼らへの配慮のようにも感じるが、そうではない。高齢の元幹部らが参加していない前日の建国祝賀会でも、習氏は5年ぶりに演説したが、その分量は前回と比べて4割程度にカットされていた。理由が他にあることは明らかだ。

 式典の演説後、私は党や政府の関係者に聞き回っているが、少なくとも疑問を投げかけた中で得心する説明をしてくれた人に、まだ出会えていない。「気にしすぎだ」という人さえいたが、習氏が晴れ舞台において控えめな発信をしたことは、無視できない事実である。

 現時点ではどこまでも推測の域を出ないが、習氏のねらいを私なりに考察してみたい。

消えた「鄧小平」

 習氏が何を語らず、何を語ろうとしたかを見極めるために、過去との比較は有用だろう。

 今回の式典は10年ぶりであり、建国60周年の際には胡氏が、さらに10年前の50周年では江氏が同じ場所で演説している。3氏のそれは全体的に構成が似通っており、習氏が過去の演説を下地にしたことに疑いの余地はない。つまり、その変化を見ていけば、習氏の伝えようとしたものが浮かび上がるはずだ。

 ちなみに習氏の演説は、胡・江両氏と比べても、2~3割短くなっている。

 建国の節目を喜び、誇り、中国人民や世界に感謝を表す導入は、3氏ともほぼ同じだ。その次の歴代指導者の功績に言及する部分で、大きな違いが現れてくる。

 例えば、江氏は毛沢東と鄧小平の名前を挙げて「社会主義建設の船が現代化の栄光へと勇ましく航海を始めた」と述べた。胡氏は、さらに江氏も加えて「党中央の指導の下に、人民が困難や試練を乗り越えて発展を遂げた」と強調している。

 これに対し、習氏は建国を世界に宣言した毛にのみ触れ、他の指導者の名前は一切出していない。さらに江・胡両氏が鄧の改革開放について「社会主義のみが中国を救い、改革開放のみが中国を発展させることを証明した」とたたえたくだりを、ばっさり削ってしまった。

 第19回党大会で規約に盛り込まれた習氏の思想は、毛の時代を「站起来(立ち上がる)」、鄧の時代を「富起来(豊かになる)」とし、自らの時代を「強起来(強くなる)」と区分したが、今では江・胡両氏はおろか国家の中興の祖とも称される鄧にさえ言及しなくなったことがわかる。

 また、江・胡両氏は「5千年」を掲げて中華民族の悠久の歴史を誇ったが、習演説からはそうした壮大さが影をひそめ、現実的な内容に終始した。かつて好んで故事を引用し、それらを集めた本まで出版している習氏の語りとしては何とも味気なく思えてしまうが、無駄をなくしたことで引き締まった感はある。

習近平国家主席(中央)と並んで軍事パレードを見守る江沢民氏(向かって右)、胡錦濤氏(同左)ら=2019年10月1日、北京

地位は揺るがず、前進は阻めぬ

 では、逆に習氏の演説に新たに盛り込まれた内容に焦点を当ててみたい。その変化には、大きく二つのポイントがある。

 一つは、世界との連帯を強く押し出した点だ。

 中国の外交政策は長らく、毛時代の「平和5原則(主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、相互の内政不干渉、平等互恵、平和共存)」と鄧時代の「独立自主(いかなる大国にも依存せず、圧力に屈しない)」が基礎になってきた。江・胡両氏の演説には、いずれもこの文言が入っている。習氏はその表現をなくし、代わりに自らが提唱する「人類運命共同体」を推進していくと訴えた。

 習氏は、平和5原則や独立自主を否定しているわけではない。人類運命共同体は、さらにもう一歩踏み込み、他国との経済的連携を強めながらウィンウィンの関係を構築しつつ、世界秩序を形成していくという考え方だ。

 ヒントは、式典に先立つ9月27日に発表した「新時代の中国と世界」白書の中にあった。白書は、人類運命共同体の構築について「各国が統一の価値基準を順守するよう求めることでも、片方の主張を少数に押しつけることでもなく、異なる社会制度やイデオロギー、歴史、文明の中で、利益の共存や責任の分担を図るものだ」と説明している。

 「今日の世界は100年に1度の大きな変革期を迎えており、人類社会は希望と挑戦に満ちている」。習氏以下、現最高指導部メンバーが聞き飽きるほど繰り返すこのフレーズもまた、中国の現在の世界観をよく表している。総じて言えば、米国などが冷戦時代から維持する同盟関係を基軸とした外交が「時代遅れではないか」と世界に問いかけているのだ。白書でもこの点を強調し、「米国は冷戦思想を捨て、自らと中国と世界を正しく認識すべきだ」と指摘している。

 もう一つ、習氏が演説に込めたのは、その米国に向けたと思われる次の言葉だ。「いかなる勢力も、偉大な祖国の地位を揺るがすことはできず、いかなる勢力も中国人民と中華民族の前進を阻むことはできない」。江・胡両氏の演説にはなかったこの一文こそが、習氏が最も強く訴えたかった中身ではないだろうか。

中国建国70周年を祝う軍事パレードで更新する女性兵士たち=2019年10月1日、北京、新華社

奮発有為の先にあるもの

 こうしてつぶさに見れば、習氏が偉大な指導者であろうとすることも、「強国」路線の追求も、やめたわけではないことが分かる。そのことは、習氏自身が語らずとも何より軍事パレードで披露された数々の新型兵器が、存分に物語っている。

 ただし、これまで雄弁な指導者であろうとしてきた習氏の戦略に何らかの変化が起きていることは確かだ。

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