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台湾を覚醒させた近くて遠かった香港の民主化運動

「香港第一」に「台湾第一」が共鳴。台湾で高まる「香港熱」

藤原秀人 フリージャーナリスト

台湾の立法院前で行われた香港支援を呼びかける集会に参加した人々=2019年9月29日、台北

中国屋の私がはじめた連載「中国屋が考える『両岸三地』とアジア、そして世界」。第2回は、初回で書いた香港(「中国建国70年の日、私は香港で市民の歌を聞いた」)から台湾に渡る。そこで私が見たものは……

香港に冷たかった台湾が

 「香港加油」(香港がんばれ)
 「光復香港、時代革命」(香港を取り戻せ、我々の時代の革命だ)

 香港の民主化デモで叫ばれるスローガンが今、台湾の街角でも聞かれる。

 台湾人は国民党独裁を克服して民主化を達成した。その誇りからか、民主化の進まぬ香港にはどこか冷淡だった。その冷たさに慣れてきた私にとって、最近の台湾での「香港熱」は驚きだ。

 香港の中国返還から20年あまり。本来は台湾をターゲットにした「一国二制度」の「一国」が共産党独裁の中華人民共和国で、香港の民主化を抑え込んでいる。そんな思いを、香港の現状に目を凝らし始めた台湾人は深めている。

台北で香港支援のデモ、参加者10万人

 私が台湾を訪れる直前の9月29日、台北で香港支援のデモがあった。降りしきる雨のなか、香港のデモと同じような黒いシャツを着て歩く若者ら。参加者は主催者の発表で10万人規模にのぼった。中国大陸との統一に背を向ける与党・民主進歩党(民進党)の幹部らも参加した。

 台湾では、「光復香港」「時代革命」などと書かれたシャツや鉢巻きが、若者の間でひとつのファッションとなっている。台中で開かれたアジア野球選手権大会では、マスクと黒いシャツ姿の人々が、「香港加油」のプラカードを掲げ、香港チームの応援に駆け付けた。

 台北で知人の大学教授に会ったら、中国大陸から来た留学生と民主化をめぐって議論する香港からの留学生を、台湾人学生が加勢することが少なくなく、「微笑ましいが、味方するわけにもいかず、頭が痛い」と言っていた。

 台湾の大学では、中国からの留学生が香港の民主化運動を「分裂活動」「独立活動」と公然と批判し、ポスターを掲示することもある。台湾人学生からは批判の声があがる一方で、「大陸ではできない政治活動を、民主化した台湾で経験してもらえるのはいいことだ」という意見も多い。

近くて遠い存在だった香港

 中国はアヘン戦争に敗れて香港を英国に奪われ、日清戦争では台湾を失った。中国共産党は中国国民党との内戦には勝利したものの、台湾では国民党支配が続き、香港は英国領のままだった。台湾海峡の両岸にある大陸と台湾は直接交流することはなく、香港が長らく両岸交流の舞台となっていた。ただし交流といっても、企業や肉親と対面する大陸出身者たちが中心で、多くの台湾人にとって香港は近くて遠い存在だった。

 私が特派員として暮らしていた英国領香港は、虚実を定めるのが難しい「中国大陸情報」があふれ、台湾当局をはじめ各国は情報収集につとめていた。中国への香港返還が決まり、共産党の影響力が陰に陽に強まるなかでも、中華民国旗「青天白日満地紅旗」が掲げられ、台湾メディアの取材も活発だった。

 それが、1997年の香港返還が近付くにつれて、台湾は新しい「中華人民共和国香港特別行政区」との付き合い方を模索せざるを得なくなった。台湾の中華航空は機体尾翼に描いていた青天白日満地紅旗を梅の花に変えた。台湾紙聯合報は香港での発行を取りやめた。同紙の記者は「自由な報道ができなくなるからだ」と言っていた。

 台湾でも、香港返還を祝う人は大陸出身者を中心に少なからずいた。しかし、「香港は主(あるじ)が英国から共産党にかわっただけ、と思う台湾人が多かった」(知人の教授)。香港には言論の自由はあっても、台湾のような自由な選挙はなく、リーダーを民主的に選ぶ仕組みが整備されなかったからだ。

 これに対し、台湾はトップの総統から村長まで、すべて直接選挙で選ぶまでに民主主義が成長した。私の長年の友人である元高級官僚は「台湾人は自らの民主主義を誇る一方で、香港人は金もうけばかりと馬鹿にしていた」と話す。

台湾人の“上から目線”を変えた「雨傘運動」

雨傘運動。道路を埋め尽くし、雨傘を掲げる人たち=2014年10月28日、香港

 そんな台湾人の“上から目線”を、香港の若者が「雨傘運動」を通じて変えたというのが、友人の元官僚ら台湾の大人の見立てである。

 雨傘運動をおさらいする。2017年3月の香港行政長官選挙から民主派候補者を事実上排除する制度を、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会が決めたことに反発した若者らが、14年に大規模な街頭占拠デモをした。運動は敗北したが、民主化運動の火は消えず、今に続いている。ちなみに、雨傘は警察の放つ催涙ガスから身を守るために使われた。

 雨傘運動から現在の民主化デモまで、中心にいるのは香港返還の前後に生れた若者たちだ。英国統治を実体験したこともなければ、親より上の世代にある大陸への親近感もない「新香港人」だ。

 一方、雨傘運動と同じ14年、当時の台湾の与党だった国民党が台湾海峡両岸間でサービス業を開放しあう貿易協定を強行採決しようとしたことに反発した学生らが、議会の立法院に突入して23日間占拠。審議のやり直しを勝ち取った。議場に飾られたひまわりの花がシンボルとなり「ひまわり学生運動」と呼ばれる。こちらの運動も、国民党独裁や血の流れた民主化闘争を知らない若者が主役だった。

自分たちの今、未来を見すえる新世代

 香港では1997年の中国返還、台湾では1996年の初の総統直接選挙が、それぞれの歴史の大きな節目と私は考えている。その後、新しい政治の担い手が生まれ始めたと思うからだ。そうした新世代はわれわれとは違い、過去を振り返らない。見すえるのは自分たちの今であり、未来だ。「香港第一」であり「台湾第一」である。

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