メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

関電不祥事を招いた独占企業の体質とボス政治の罪

関電幹部になぜ金品は渡ったのか。地方の利権差配の実情とそこからの脱却方法を考える

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

関西電力高浜原発3号機(左)。右は同4号機=2017年6月6日、福井県高浜町

 関西電力と福井県高浜町をめぐるスキャンダルは、共同通信による第一報以来さまざまな事実が報じられています。関電の幹部が原発誘致に功績があった同町の森山栄治元助役から多額の金品を受領していたのみならず。森山氏の在任中に35億円も高浜町に寄付していたというニュースは、なぜ助役である森山氏がそこまでの権限を有するに至ったのかということを考えるうえで興味深いものです。

高まるエネルギー政策不信とボス支配の顕在化

 交付金とはまた異なる寄付という形での権力者の威信を高めるためのお金の流れ、私的な体裁でのお金の流れ、工事業者から払われる典型的なキックバック――。こうした三者の共依存とも言うべき構造のなかで、“原資”になったのは、ほぼ市場独占の状態にある関電に消費者が払った電力料金です。さらに、国民全体が負担する税金がさまざまな形で原発関連のコストとして使われています。

 3・11の際の東京電力福島原発の事故を契機に報じられてきた「原発ムラ」「原発マネー」の利益構造を、これほど分かりやすく象徴するニュースはありません。そして、今回、福島原発事故で信頼を失墜させた東京電力にくわえ、関西電力の不祥事が明るみに出たことは、日本のエネルギー政策とそれを担ってきたエリートに対する不信感を高め、その影響は長々と尾を引くように思います。

 くわえて、今回の不祥事が示すのは、原発にとどまらず、日本の地方の現場における脈々と続く「ボス政治」の実態です。「悪代官に小判を差し出す商人」という、時代劇のワンシーンを想起させるようなあまりに陳腐で時代錯誤な不祥事。でも、それは日本の地方利権の差配の実情を示すものであり、グローバルと繋(つな)がっていないローカルな経済において隠然と存在しつづける、ボスたちによるボスたちのための政治なのです。

 本稿では、このような利権差配の実情を見ていくとともに、そこから脱却するための方策を考えたいと思います。

リークしたのは誰か?

福井県高浜町の元助役・森山栄治氏=同町提供
 高浜原発の立地自治体の高浜町の森山元助役から関西電力の幹部が受領していた多額の金額は個人が管理し、社内で預かり金として処理されていたとされます。

 絶大な権力を振るってきた森山氏の死去(今年3月)によってはじめて明るみになったというのが、関電の社内調査文書のトーンですが、金銭の授受が外部に発覚したそもそものきっかけは森山氏の死去ではなく、昨年の金沢国税局の税務調査でした。

 税務調査に関わったのは、金沢国税局と、関電の本社や幹部の居住地を管轄する大阪国税局で、調査が始まってから、関電の経営幹部ら6人のうち4人、そして森山氏も修正申告を行っています。修正申告をしたということは、「預り金」という説明が苦しかったことを意味します。それでも、修正申告をしておけば、この件はニュースにはならない見込みだったのでしょう。

 共同通信が誰から情報を入手したのかは分かりませんが、金沢国税局、大阪国税局、関電、森山氏サイド、そして森山氏と親しく原発関連工事を受注していた吉田開発で複数の人間が金銭授受に関する事情を把握していたことは確かですから、順当に考えればそのうちのどこかから情報がリークされたとみるのが普通でしょう。

 正義感による告発かもしれないし、ライバルを蹴落とすための告発かもしれない。ただ、動機はともかく、この事件が週刊誌ではなく通信社の第一報から広がり、あまねく報道されるようになったのは、週刊誌でスキャンダルが発覚したあとに、役職を辞任したり、政治資金収支報告書を修正したり、あるいは釈明以外何もないままにうやむやなまま終わったりする展開を思うと、いい変化であったように思います。

第三者委員会の職責を超えた問題

 関電の役員らは当初、辞任しない意向を示し、早々に幕引きを図るつもりだったようですが、メディア報道を見てそれでは収まらないと見るや。一転して辞任の意向を固め、現在は第三者委員会による調査が行われています。

 ただし、この調査には幾つか懸念される点があります。

 ひとつは、第三者委員会という機関が持つそもそもの性質からして、その職責が、関電のコンプライアンスの観点に照らし、関電のみを対象とした責任追及に限られていることです。

 言うまでもなく、コンプライアンスとは企業などが法令を遵守し、社内ルールを忠実に守り、企業倫理や社会的規範を重視することです。大企業から中小企業に至るまでコンプライアンスは重要ですが、とりわけ公益性の高い大企業や上場企業にはそれが厳しく求められます。関電の場合は、公益性の高い電力を扱う事実上の地域独占企業のため、なおさらです。

 今回、関電が第三者委員会を立ち上げたのは、本来コンプライアンスを守るべき経営陣自身が不祥事を起こしたために、経営陣を飛び越えた判断が必要になったからです。第三者委員会は、あくまでも企業に法的社会的責任をはたさせ、再生に向けた方策を提示することに重点があります。別の言い方をすれば、「関電の再生のため」に厳しいジャッジを行う存在なのです。

 今回の不祥事は一企業の社会的責任の枠を大きく踏み越えています。ことは取引先から金銭を授受したかどうかだけでない。原発建設や維持管理をめぐり、恒常的な不正が自治体や地方経済において創り出され、国政レベルの政治家や官僚によってそれが黙認されていたのではないかという問題が含まれているからです。

 そのような問題は、第三者委員会の手に負えるものではなく、判断ができないだろうと思われます。

会見する第三者委員会の但木敬一委員長=2019年10月9日、大阪市福島区

大規模開発に伴う“風土病”

 もうひとつは、こうした問題は原発に限らず、土地が絡む大規模開発に伴う“風土病”のようなもので、第三者委員会が調査したところで、問題が根源的に改善するものではないということが挙げられます。

 日本だけというわけではないですが、土地が希少資源である日本では、とりわけ土地や法規制が絡む開発において、さまざまなステークホルダーが関わってきます。地域住民、地権者、隣接区域の農業や漁業従事者、規制当事者である官庁や自治体、その職員、地元の工事業者、地域社会の顔役……。場所によっては暴力団のような反社会的勢力が幅を利かしているところもあります。

 つまり、住民に説明会をしても、すべてが市民ではなく、その他のステークホルダーがうごめく場合がありうるわけです。そこで暮らす住民や農業者などは、安全性への懸念や景観、経済的な見返りといった多様な目的で参加するわけですが、外部の勢力の場合、目的はほぼすべて、影響力の維持と利益の獲得にあります。

 開発の投資元は、自らのコンプライアンス上、直接に地元の業者とやり取りをすることは避ける傾向にあります。すると、ステークホルダー同士、あるいは開発をする目的会社を取り持とうとするアクターが暗躍し始めます。そのような存在が森山元助役を支えていた可能性もあるし、あるいは表面上は助役にすぎなかった森山氏自身がそのような存在であったのかもしれません。

 森山氏は自らを、「町を富ませるファシリテーター」であると自認していた可能性があります。実際、関電からの多額の寄付が町に落ちている。とはいえ、外形的に見れば、自らのお友だち企業に利益が還元され、個人の誕生日パーティーに重要人物が詰めかけ、また関係者が日参するという、ボスによる「利益誘導政治」以外の何物にも見えません。

高浜原発のゲート前で横断幕を掲げて抗議する人たち=2019年10月8日、福井県高浜町の関西電力高浜原発

「同和問題」を特別視するのは間違い

 ここで念のため、ネットに出回っている言論で、関電が森山元助役からの贈り物を断り切れなかったのは、「同和問題」が関わっているから、それを報道しないのはマスメディアの真実を隠蔽しており、関電にアンフェアであるという主張について、検証しておきましょう。

 こうした主張の多くは、共産党の機関紙「赤旗」の古い記事を引き合いに出して、メディアはその同和との関係性を取り上げるべきだとします。ただし、森山氏が権力を振るっていたということ全般に関してストーリーに加えるだけならばともかく、「関電問題」について、ことさら部落解放同盟の文脈を特別視するのは間違っています。

 地方の開発の実情を知る者からすれば、この程度の恫喝(どうかつ)、発注にかかわるえこひいきや金銭の授受が存在することは、特別でも何でもないからです。多くの人が 「部落解放同盟」という存在を神秘化して、これが物事の本質であるかのごとくツイートしようとするのは、そもそも地方の現場を知らないからです。

 同和問題をことさらに言い立てることで、むしろ本件を特別視しすぎる懸念すら存在します。問題の本質は「普遍的なボス政治」のほうであって、「偏在的な同和問題」ではないのです。

独占企業、規制産業ならではの関電の弱さ

辞任会見の最後、頭を下げる関西電力の八木誠会長(左)と岩根茂樹社長=2019年10月9日、大阪市福島区

 ではなぜ、関電はここまで典型的な不祥事に陥ったのでしょうか。

 問題の根源は、事実上の独占企業、規制産業ならではの関電のコンプライアンスの弱さにあります。

・・・ログインして読む
(残り:約2132文字/本文:約6009文字)