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冷戦終結で共産主義が崩壊し古い資本主義が蘇った

冷戦終結30年、エマニュエル・トッド氏に聞く

大野博人 元新聞記者

 30年前の1989年11月9日、ベルリンの壁が開放された。壁が象徴していたソ連・東欧の共産主義独裁体制も、その年崩壊へと向かい、戦後の世界を東西に二分してきた冷戦体制が終わった。世界はこれから民主主義と市場経済によって平和で豊かな時代に入る。多くの人はそう楽観していた。
 しかし今、民主主義も市場経済も疑問符を突きつけられている。結局、それらはエリートや特権階級を利するだけで不平等を拡大するばかりの仕組みでしかなかったのではないかと。人々が抱く不満に左右のポピュリストがつけいる。30年前の期待はすっかり色あせてしまった。
 フランスの人類学者・歴史学者、エマニュエル・トッド氏は、早くからソ連という体制の限界を指摘し、その解体を予測していた。慧眼の知識人は、20世紀の大きな節目からの30年をどう見ているのか。パリの自宅で聞いた。

エマニュエル・トッド氏=2019年10月9日、パリの自宅で

ロシアは欧米に裏切られ、囲い込まれた

――30年前にベルリンの壁が崩れたとき、多くの人は民主主義と市場経済によって世界は安定すると思いました。歴史の終わりという言葉さえ話題になりました。

 歴史家の私にすれば、歴史が止まるというのはバカバカしい考えです。人間が登場してから人類の歴史はつねに変化であり不均衡の連続でした。それが進歩だったり対立だったりをもたらしてきました。その表現を最初に使ったフランシス・フクヤマ氏もほんとうに歴史が止まると思ったわけではないでしょう。

――ソ連の崩壊を早くから予測していたあなたは30年前の出来事をどう見ていましたか。

 共産主義体制の崩壊それ自体はけっこうなことだと思いました。たとえばハンガリーにも友人がいますが、自由になって新しい本も出せるようになった。東欧の経済も効率的になるし、強権で支配していたソ連も崩壊した。だから、これからものごとはよくなる一方だろうと思える時期は確かにあった。

 でも、私が驚くのは、共産主義圏崩壊との向き合い方のまずさです。

――どういう点でまずかったのでしょう。

 それは実際の次元でもそうだし倫理的にもそうでした。とくに倫理的な次元でほんとうに衝撃を受けました。

 ロシア人たちはある意味でエレガントに共産主義体制から抜け出したのです。これは(当時のソ連共産党書記長)ゴルバチョフ氏の偉大な功績です。ロシア人たちは戦車をほかの国に送ることを拒み、旧東欧諸国の解放を受け入れました。ソ連の解体さえも受け入れた。バルト3国の独立も認めた。

 加えて、ウクライナの独立さえ受け入れたのですよ。ウクライナは歴史的、文化的にロシアとつながりの深い国です。たとえばロシア語で書いたゴーゴリもウクライナ人です。

 けれども、ロシア人はすぐに西側欧州と米国に裏切られました。共産主義体制の崩壊後、欧米はロシアにネオリベラリズムの助言者を送り込みました。彼らはロシアに間違った助言をしたのです。彼らの助言はロシア国内に混乱を招いただけでした。

――たしかに当時、共産主義システムに勝った市場経済システムを導入すれば何もかもうまくいくといった空気がありました。

 けれどもロシア人にとって、共産主義は経済的なシステムにとどまらない、一種の信仰でもありました。だから共産主義の崩壊は、経済的な混乱だけでなく、心理的な迷走も招いてしまいました。

 にもかかわらず、とくに米国はそんなロシアに寛大ではなかった。そして、共産主義崩壊について、それはネオリベラリズムがすぐれていることの証拠だと誤って解釈しました。当時のレーガン米大統領とサッチャー英首相は、共産主義の崩壊を、文明化されていない資本主義、ネオリベラリズム、ヒステリックな資本主義の勝利だと考えてしまったのです。

 そして、それがあらゆる種類の行き過ぎにつながりました。

――たとえば?

 まず戦略面、軍事面です。つまり、米国は北大西洋条約機構(NATO)の境界を東に広げないと言っていました。しかし実際は戦略的な優位を可能な限りおしすすめて、結局ロシアを囲い込んでしまった。

 あまり知られていないけれど、それはかなりのところまできている。今や、おかしなことにだれもがロシアを責めるけれど、米国とその同盟国の軍事基地のネットワークを見てみると、囲い込まれているのはロシアです。

ロシアのプーチン大統領=2019年10月2日、ウラジオストク

超大国はひとつよりふたつのほうがまし

――その背景にあるのはなんでしょうか。

 米国は、共産主義かリベラルデモクラシーかという価値観の対決の構図を、あたかもロシアと米国という大国の覇権の対立の構図と考えた。それは価値観とはなんの関係もない。問題は共産主義ではなくロシアだと考えていたのです。

 だから米国は、自分の目的をすり替えていきました。共産主義との闘い、民主主義のための闘いから、完全に覇権を目指すことへと。そして、共産主義の崩壊に続いて、湾岸戦争、イラク戦争へと向かっていきました。

――しかし、ロシアは今もやはり他国に脅威を感じさせる大国では?

 今になってみると、それがまったく馬鹿げているわけでもない。この困難な時代にあって、ロシアは米国のあらゆる力に立ちはだかる唯一の核大国として存在しています。これは奇妙なことなのです。

 でも結局、共産主義のロシアはよくなかったけれど、米国のユブリス(傲慢)、力の意思に対抗する重しとしてのロシアが存在することはとてもよいことではないでしょうか。

 だって、その国の社会的文化的システムの質がどんなものであれ、ひとつの国家、ひとつの国、ひとつの帝国が世界全体にだれもブレーキをかけない状態で絶対的な力を及ぼすのはよいことではありえないのですから。

 米国が唯一の超大国と言われてきたけれども、超大国はたったひとつであるよりもふたつである方がましです。

 米国はユブリスの雰囲気の中で、世界の主だという気分で戦略的に信じられない過ちを犯しました。ドイツの再統一を急がせたことです。

東西ドイツ統一で米国は欧州をコントロールする力を失った

――東西ドイツの再統一は急ぐべきではなかったと?

 当時、サッチャー英首相もミッテラン仏大統領も望んでいませんでした。

 しかし、米国はずっと西ドイツを自分たちのおもちゃのように思ってきた。再統一すればおもちゃが大きくなる……。米国にとってロシアを終わらせることが大事な目的だからです。

 けれどもそれがもたらしたのは欧州での均衡の変化です。ドイツは非常に大きな国です。欧州の問題は1900年以来つねに、ドイツが大きすぎるということでした。第1次大戦も第2次大戦もそれで起きた。英国もロシアも米国もそれを抑えるために連携した。あの国は大きな人口を抱えるだけでなく、いろんな領域で極めて効率の高い国なのです。

 だから米国はある意味で古い状況を再び作り出し、欧州の問題が再びドイツ問題となったのです。そこにフランスのパニックが加わり、ユーロの導入につながる。それはドイツを支えるためのものだったのです。

 結果はどうか。

 ドイツは困難な何年かを経て、東を抱え込み、そして8千万人の大国になり、工業国として英仏よりさらにいっそう強い国になった。ドイツはある意味でとても合理的な政策を進め、欧州を再編成し始めました。ドイツは日本と同様の人口動態問題を抱えていますが、その問題を制御する力を再び手にしたのです。

マクロン仏大統領夫妻の出迎えを受けるメルケル独首相(左)=2019年8月24日、フランス・ビアリッツ

 歴史を振り返ると、中欧はドイツの支配圏でした。そこが再びそうなったのです。

 米国や英国はバルト諸国やポーランド、ハンガリーなどをNATOに受け入れて、アングロサクソンの支配圏を広げたつもりでいたけれど、実際にはドイツの支配権が再確立されていった。ドイツの産業界はチェコやハンガリー、ポーランドの経済を再編成し、フランスよりはるかに強くなった。そして豊かになったドイツが2008年の経済危機もコントロールすることになった。

 そしてドイツは米国に対しても徐々に従うことをやめていっています。まず、イラク戦争で米国に追随するのを拒んだ。フランスが主導したというけれど、実際はドイツが率先し、フランスはそれに従ったまで。当時は私も間違えていましたが、フランスはシュレーダー首相(当時)のドイツが率先しなければ米国に対抗する勇気はなかったでしょう。

 貿易でもそうです。米国はドイツが従おうとしないことに気づき、貿易黒字を減らすべきだと主張した。ドイツはしかしこれも拒否。結局、米国は冷戦終結から30年の間に欧州をコントロールする力を失ったのです。

 結局、平等な諸国の共同体であるはずの欧州連合(EU)は、ドイツに支配される巨大で階層的に構築されたシステムになったのです。私は、主人公の男が突然虫になってしまうカフカの『変身』は欧州の運命を表していると思うけれど、それを連想します。

第1次大戦と第2次大戦に続く欧州の第3の自壊が起きている

――しかし、30年前を振り返るとドイツの再統一を押しとどめるのは無理だったのでは?

 当時は考えにくかった。私も間違えていた。しかし今は、ドイツの統一は必然だっただろうかと思います。

――当時の東ドイツの現場で取材をしていて、人々の統一への渇望を抑えるのは無理だと感じましたが。

 ドイツ人はとても規律正しい。ドイツは統制のとれる国です。おそらく米国が「ノー」と言えば再統一はなかったはず。その場合、東ドイツは人々が西に行ってしまって大変なことになったかもしれない。でも新たな国となって別のストーリーが展開したのではないだろうか。米国が阻止するのは可能だったと思います。

――それはドイツ人たちに不自然を強いることにならないでしょうか。

 欧州の歴史の大半で、ドイツは分断されていました。ドイツ文明にとってふつうの状態が分断だった。大国も二つできた。オーストリア帝国とプロシア。その他に20ほどの小国。そのうちプロシアの経済力が増して、統合していきました。ビスマルクによる三つの戦争でドイツは経済的な発展を続け、かつてなかったほどの大国になったために、それが第1次大戦、ナチスの登場、第2次大戦になって欧州の自壊を招いたのです。

 今、欧州にやってこようとしているのは、大きな危機です。ユーロ圏は破滅的で、南欧州の国々は産業を失い、ドイツは東欧の国々に進出している。東欧の国々は人口動態の危機にある。英国は欧州から逃げ出そうとしている。

記者会見するジョンソン英首相=2019年10月17日、ブリュッセル

――前のように欧州がまた大きな動乱の舞台となる?

 欧州ではもう戦争は考えられません。欧州人同士が戦争することは想像できない。争いごとはあっても戦争はしない。しかしそれに替わって経済競争が一種の戦争になりました。

 今はどの国もほかの国と経済的には戦争をしているような状態ですが、ユーロ圏の中で激しい。似たもの同士の方が競争は激しくなるものです。さらに南欧諸国の産業の崩壊や南北欧州の不平等の高まり、ルーマニアやブルガリア、バルト3国、ウクライナの人口減少などを考え合わせると、これは第1次大戦と第2次大戦に続く欧州の第3の自壊が起きているのではないかとさえ思います。

共産主義の崩壊で恐れるものがなくなり、古い資本主義が再登場した

――そんな状況にたどり着いてしまったのは冷戦終結の必然的な結果だったのでしょうか。

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