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小沢一郎「マニフェストを自己否定したのが失敗」

(24)財源はいくらでもある。安倍政権を見ればよくわかる

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

近代以前の昏さの中にある日本

 小沢一郎は「夜明け前」という表現をよく使う。旧態依然として、いまだ近代以前の昏さ(くらさ)の中にある日本の政治状況を揶揄した時の言い方だ。政治改革へのプログラム、青写真を描いた著作『日本改造計画』(講談社)のタイトルにも当初、「夜明け」という言葉を考えていた。

 「だから、いつまで経っても日本は夜明け前なんだ」

 旧勢力に踊らされた人々が小沢の改革の行く手を阻んだ時、あるいはそのような妨害によって改革が挫折した思い出を語る時、小沢の口をついて出る言葉だ。その口吻は、「近代主義者」と皮肉られた日本政治思想史家の丸山眞男が「日本に近代なんて時代が本当にあったのか」と憤った時のそれを彷彿とさせる。

民主党の小沢一郎幹事長=2010年1月12日、東京・永田町の民主党本部
 小沢が丸山と異なる点は、小沢自身、マックス・ヴェーバーの言う「職業政治家」であり、「情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」(マックス・ヴェーバー『職業としての政治』岩波文庫)を一貫して続けている点にある。

 この「堅い板」はいまだ日本政治にはびこる近代以前の昏さである。

 昏さを打ち破り「夜明け前」の明るさをもたらそうと改革を打ち出すが、そのたびに昏さを隠れ蓑にして甘い蜜を吸い続ける旧勢力に妨害される。あるいは意識無意識を問わず旧勢力と手を結ぶ人々に邪魔され攻撃まで受ける。

 2009年9月、民主党は地滑り的な総選挙勝利の結果、自民党からの政権交代を成し遂げた。小沢にとっては1993年8月に政権交代を実現させた細川護煕内閣以来2度目のことだった。

 細川内閣では、旧態依然とした1955年体制を打破する小選挙区比例代表並立制をはじめとする政治改革を導入したが、同内閣はわずか9か月で挫折。民主党政権での政治改革は、編成作業が眼前に迫っていた2010年度政府予算に集中的に現れた。

 小沢自身は、2009年5月に西松建設問題で党代表を辞任。総選挙後の9月に改めて党幹事長に就任した。しかし、その後不起訴、無罪となる陸山会事件で幹事長も辞任せざるをえなかった。この「冤罪事件」をめぐっては、根拠なく突っ走る検察と戦い抜いたキーマンの証言インタビューを後の回でお届けする。

 今回は、歴史的な民主党政権で小沢がいかに改革をもたらそうとしたか、それが今後の日本の政治改革にいかに役立ちうるか、証言に耳を傾け、考えてみたい。

安倍政権を見れば「財源はある」ことがよくわかる

――2009年の政権交代、民主党政権誕生は、小沢さんにとって旧来の自民党政治に対する二度目の挑戦、言ってみれば国民にとっても二度目の挑戦になったわけですが、挫折しました。その挫折の要因について、小沢さんはどのような思いを抱いていますか。

小沢 それはある意味でわかりやすいことです。端的に言いますと、自分自身が作ったマニフェスト(政権公約)、それを掲げて政権を任されたマニフェストについて、それが間違いだった、無理だったと言うわけですから、国民の信用を失うのはやむをえないと思います。

 ぼくは、そのマニフェストの細かいところまで分析して判断しているわけではないけれども、そういうマニフェストを掲げて努力を続ける政治スタンス、政治姿勢を国民は期待していたんだと思います。しかし、それが間違いだったと途中で言ったのでは、最初から自己否定になってしまうんです。それが象徴的だったと思います。

――その自己否定の遠因となったのは、やはり財源の問題でしょうか。

小沢 それは違うと思います。そんなことは自民党の宣伝に乗せられている話です。今の安倍政権をご覧なさい。何十兆円もむちゃくちゃ使っているではないですか。財源はいくらでもあるんです。ぼくはそのことをよく知っている。第2次安倍政権になってからどれだけお金を使っているか。それはどこから出ているのか。特別会計のこともあります。民主党政権が潰れた後の安倍政権を見れば「財源はあるんだな」ということがよくわかります。

――2004年、岡田克也代表の時に迎えた参院選では3%の消費税増税を言っていたのですが、小沢さんが代表になって消費税は上げないという決断となりました。この時、岡田さんや菅直人さんたちが増税路線を主張して論戦になったという回顧がありますが。

小沢 そんなことはありません。論戦や激論などはなかったですね。増税しないということについてはみんな賛成しました。岡田さんも菅さんも、逆立ちしても鼻血が出ないくらい改革してから増税の話になると自ら発言していると思います。

――私の推測では、小沢さんは、やはり消費税は絶対に上げないというのではなく、その前に徹底的にやるべき改革が政府にはあるでしょう、という立場だと思うのですが。

小沢 そういうみんなの合意でした。ですから、民主党が政権を取っても、最初の任期中は消費税増税などは考えないで、無駄を省く改革に全力を挙げようということでした。そういうことをみんな一生懸命話し合っていました。

政府連立与党首脳会議にのぞむ小沢一郎民主党幹事長、福島瑞穂社民党党首、鳩山由紀夫首相、亀井静香国民新党代表、菅直人国家戦略相=2009年9月28日、首相官邸

「増税と減税は状況による」

――以前も少しお聞きしたんですが、1994年の細川内閣の最後のころに国民福祉税の問題がありました。そこでは、国民福祉税という形で消費税を上げるということでしたが、民主党政権のところでは上げないという判断となりました。このあたりのことは小沢さんの中でどのように整理されているのでしょうか。

小沢 どうということはないです。それは、状況の違いによります。最初に消費税を導入したのは竹下(登)内閣ですが、その時にぼくが(当時内閣官房副長官として)尽力して作ったんです。自由党の時には消費税と同時に大減税をやって所得税と住民税を半分にしようと唱えていました。だから、増税や減税というものは政治そして経済の状況によるわけです。

 民主党の場合は、とにかく政治主導、国民主導ということを第一に考えて、無駄を省こう、役人主導はだめだということをみんなで合唱していました。だから、民主党はそういうことを言った以上はその約束は破ってはいけないとぼくは言っていたんです。単純な話です。

――なるほど。そういう判断を含めて、政権を獲得するまでに自民党と一時的に大連立を組んで、財政も含めて経験を積んでおけば、政権担当能力という点でかなり違った展開になったでしょうね。

小沢 それは一つの点としてあります。むしろ一番大きい。しかし、それと同時にもう一つ、大連立によって逆に政権に近づけるという狙いもあったんです。庇を借りて母屋を乗っ取る、という話です。

――それは、何か具体的なプランがあったのですか。

小沢 いやいや、あるも何もない。政権の座に就けば予算の編成、執行をはじめとして何でもできます。それと、国民の期待感が一緒になれば一番いいということです。

議院内閣制の与党に政調会は必要ない

 民主党政権発足後、最も注目されたのは、予算編成権を財務省から政治の側に取り戻す使命を負った国家戦略局の動向だった。しかし、この国家戦略局担当大臣となった菅直人は積極的な姿勢を見せず、新政権最大の目玉は歴史の渦の中に消えていった(小沢一郎戦記7『国家戦略局が沈み、小沢一郎幹事長が浮かんだ』参照)
 国家戦略局が消えていく一方、政治の側に予算編成権を取り戻す側面で格段に重みを増していくセクションがあった。小沢一郎を主とする民主党幹事長室だった。小沢は、族議員を生みやすい政策調査会をなくし、党と内閣を一体化させるために地方などからの予算陳情を党幹事長室と各都道府県連に一本化させた。(小沢一郎戦記8『小沢一郎が構想した予算編成』参照)
 鳩山由紀夫内閣が次年度の2010年度予算案を決めきれず往生している時に、予算の大所の交通整理をして助け船を出したのは小沢だった。

――今でもそうだと思いますが、自民党の政務調査会は議員の利権を生みやすい業界ごとの族議員を輩出しています。民主党ではそれが政策調査会に当たりました。小沢さんはこの政調会をなくしましたね。

小沢 それは当然のことなんです。要するに、与党に政策決定機関があるということがおかしいことなんです。まず自民党はずっと一党で政権に就いていましたから、自民党と政府つまり役人との掛け合い漫才をするための政調というものが必要だったんです。いやあ、難しいところを党が頑張って予算を確保したとか、そういう話を聞かせる役割を自民党がやっていたわけです。
 だから、政権党と政府というのは本来は一体ですから、議論の余地はないんです。政府でみんなやればいいんです。だからイギリスでは政調会というようなものはありません。

arturasker/Shutterstock.com

――なるほど。

小沢 野党時代のシャドウキャビネット(影の内閣)がすべての政策を決定し、本物のキャビネットになったらそこにみんなが入って実行すればいいんです。議院内閣制ですから、当たり前の話なんです。しかし、そこがみんなわからないので、ものすごく困ったんです。

――いちばんわかりやすいのは、年末に自民党本部で行われる党税制調査会、いわゆる党税調に対する陳情ですよね。私も何度か取材しましたが、会議室に入っていく議員に鉢巻きなんかした業界団体がビラやチラシを渡して気勢を上げますよね。あの租税特別措置の陳情合戦が非常にわかりやすい図ですね。

小沢 あのチラシなんかはみんな役人が原稿書いてるんですよ。

――本当ですか。

小沢 ええ、全部です。スピーチの中身まで全部渡されるんですよ。すべて役人がやってるんです。役人の演出で議員は操り人形で踊っているだけです。それで、いかにも党は頑張っているぞというのをパフォーマンスで支持者に知らせるわけです。

――なるほど。

小沢 事実は、全部役人がやっているんです。だから、議院内閣制ではそういうものは必要ないんです。おかしいでしょう。党と政府の決定が違っていたら、自分たちの内閣ではないということになるでしょう。

――そういうことですね。

小沢 民主党の議員も含めて、日本人にとっては政府というのはいわゆる「お上」になっちゃっているんです。だから、役人と対抗しているというパフォーマンスをするために政調がほしいということなんです。本当の姿というのは政府に行った議員がすべて決定すればいいんです。おかしなことです。だけど、その理解が進まないんです。

幹事長室に陳情の一本化

――その関連でもうひとつお聞きしたいのは、幹事長室への陳情の一本化です。小沢さんは新人議員には「選挙区を回れ」とよくおっしゃいますね。私はそのことは非常に大事なことだと思っているんです。票を集めるという意味もあるし、その選挙区の事情、それから人々の暮らしといったものをよく知ることができると思うんです。そして、そこで必要な政策がだんだんわかってくるということだと思います。小沢さんが地方からの陳情を党の幹事長室に一本化したことにはそういう意味もあったと思います。まさに党と政府の一体化という考えですね。

小沢 そうですね。陳情は党(総支部長)と県連に一本化しました。それは、地方は喜びました。市町村長の方々や県連のみんなも、クリアになったと喜んでましたね。

――なるほど。

小沢 それで、そのことはぼくが何かの他意があって一本化したと言われているけど、ぼくは陳情をまとめて、党に対して、こういう陳情や要望がありますよ、と政府に伝えただけです。

――そういうことですね。このシステムはよく考えると非常にうまくできているんですね。

小沢 本当にいいんです。これをやれば党の組織もできてくるし、強化できるんです。だから本当にいい話なんだけど、やはり古い55年体制の頭が民主党にも染みついてるところがありました。結果的に残らなかったんですね。

――このシステムは小沢さんが考案したのですか。

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