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「教育格差」が米国にもたらした現実と沖縄の実情

大学入試センター試験が目前。「身の丈」発言で露呈した教育格差は氷山の一角。

山本章子 琉球大学准教授

センター試験の会場に向かう受験生ら=2019年1月19日、東京大学

 1月18、19日、大学入試センター試験が実施される。2019年度の出願者数は55万7698人で、前年度より1万9132人減少した。過去最大の減少幅の理由を、センターは「受験世代の人数が減っているほか、入試形式の多様化が進んでいる」ためと見ている。入試形式の多様化に合わせて、2020年度からはセンター試験も変わる。だが、その道筋は混乱の様相を呈している。

英語民間試験が引き起こす受験生の「格差」

 「(受験生は)身の丈に合わせて勝負してもらえれば」

 2019年10月24日、テレビ番組に出演した萩生田光一文部科学大臣は、2020年度から始まる大学入学共通テストへの、英語民間試験の導入に関してこう発言した。萩生田大臣の発言が大々的な批判を引き起こした結果、11月1日、民間試験の導入は急きょ5年後に延期となる。

 「身の丈」発言が激しく批判された背景には、民間試験の導入が、受験生の「格差」を固定化あるいは拡大することへの懸念が、広く共有されていたことがある。具体的には、経済格差と地域格差の問題だ。

 まず、経済格差の問題について。これまでの大学入試センター試験では、大学入試センターと志望大学に受験料を払う。しかし、内容も難易度も試験方法も異なる7種類の民間の英語試験が導入されれば、別途、民間試験の受検料を払わねばならない。しかも、受検料は一回6000円程度から2万数千円程度まで、事業者ごとに大きく異なる。

 高校3年生の4月から12月までの間に、2回の民間試験を受けられることになっていたが、受験生の家庭に経済的な余裕があれば、スコアを上げるための対策講座に通い、良いスコアをとるまで何度も民間試験を受けることが可能だ。逆に、経済的余裕がなければ、民間試験の出費が増えることを理由に、大学進学をあきらめる可能性も出てくる。

 また、地域格差の問題には、経済格差と情報格差の二つが含まれている。大学入試センター試験とは異なり、民間試験では、全国どこでも試験会場が用意されるわけではない。地方の受験生の中には、遠方まで民間試験を受けに行かねばならない者が出てくる。受検料に加えて、さらに交通費や宿泊費も負担することになる。

 どの民間試験を受けるのが有利か考える上で、都市と地方、進学校とそれ以外の高校の生徒との間に、判断材料となる情報の入手において圧倒的な差が生じることにもなる。大都市にある進学校の生徒であれば、民間試験の対策講座や大学生などの受検経験者を通じて、情報を得ることは難しくないだろう。

 しかし、有名予備校がなく大学進学率が低い地方の高校生は、どのように情報を得るのか。大学進学の指導に熱心な教員が多い進学校は例外として、ほとんどの高校生は情報がないまま民間試験を選択することになる。にもかかわらず、高校2年生で7種類もある民間試験のどれかを選んで、申し込まねばならないことになっていたのだ。

格差はもとから存在する

 ここで重要なのは、英語民間試験の導入が大学受験生の間に格差を「生じさせる」のではなく、「固定化もしくは拡大させる」点が問題となっていることだ。つまり、もとから格差は存在しているのである。その現実を実感させる機会となったのが、「身の丈」発言だったのだ。

 では、英語民間試験を導入しなければ、大学受験生の間の格差はこれ以上広がらないのだろうか。あるいは解消されていくのだろうか。

英語の民間試験導入見送りを発表した萩生田光一文部科学相=2019年11月1日、東京・霞が関
 残念ながら、そうはならない。萩生田文科大臣「身の丈」発言で露呈した教育格差の現実は、実のところ氷山の一角にすぎないからである。

 私は、教育学の専門家ではない。とはいえ、北海道の苫小牧市で生まれて小学校卒業まで過ごし、札幌市の公立の中学校・高校でほぼ学んだ後、東京都の国立大学で学部、修士課程、博士課程を修了している。その間、塾や予備校の講師のアルバイトをさんざんやった。そして現在は、沖縄県の国立大学の教員だが、県内の私立大学でも教鞭をとってきた。

 地方の国公立の学校で育ち、東京の教育現場に触れ、いまでは大学入試の関係者である。しかも、「貧困県」といわれ、全国で最も大学進学率の低い沖縄で教育現場に立っている。そうである以上、教育格差の問題に無関心ではいられない。

 そこで本稿では、専門家の知見を借り、アメリカで教育格差が何をもたらしたのか参照しながら、沖縄の教育格差の現状も交えて、日本の教育格差の問題について論じることにしたい。

進学校と底辺校の二分が生じるワケ

 教育社会学者の松岡亮二によれば、戦後の日本社会は一貫して、親の学歴や社会的地位、経済状態によって規定される「出身家庭」と、郡部を含めた地方、大都市、三大都市圏などの「出身地域」といった「生まれ」で最終学歴が異なる「教育格差社会」である。教育格差は常にあり、バブル崩壊やリーマンショックの後の現象ではない、というのは衝撃的だ。

 また、日本の教育格差は、先進国である経済協力開発機構(OECD)加盟国の中では平均的であり、国際的に見ると、凡庸な「教育格差社会」だという。

 松岡氏はデータを用いて、「生まれ」による格差は義務教育の間、広がりも縮まりもせず維持されることを実証している。子供の成長に合わせて、大卒と非大卒の親の間で収入格差は拡大し、子供間の「文化資本格差」(家庭の蔵書数、親子の読書量、文化的活動への参加機会など)も拡大していく。似た「生まれ」の子供が、同じ学校・地域に集まるようになる。

 公平性が重視される義務教育では、学力が下位に位置する学生も授業についていけるよう、カリキュラムの難易度を低くするなどの配慮がとられる。ところが、高校進学の段階になると、似た「生まれ」の生徒ごとに「隔離」され、学校の中で同質的な生徒文化を共有することで、「生まれ」による格差が固定される。これは、国際的にも特異な制度だという。進学校と底辺校という二分はこうして生じる。

 進学校の生徒の大半が四年制大学以上に進学するのは、学力偏差値という能力ではなく、「生まれ」によるものだというのが、松岡氏の指摘だ。「親の支援を受け、学習意欲に溢れ、塾・予備校に通い、学習時間も長い生徒たちがお互いに刺激し合いながら大学進学に向かう」のである。

 一方、底辺校では、「家庭で困難を抱えた生徒たちが、学力を向上させることなく制度的に教育が困難な課題を抱えた『中退がふつうにあり得る』学校に集められ」るのだ。

センター試験の開始を待つ受験生ら=2019年1月19日、東京大学

参考文献
松岡亮二『教育格差―階層・地域・学歴』ちくま新書、2019年

アメリカンドリームなき「階級社会」アメリカ

 現在のアメリカも、日本と同じ「教育格差社会」だ。

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