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新型コロナ:日本は、欧米型、中国周辺国型のいずれか

「早め、広め」という危機対応の鉄則、SARSの経験が分岐点に

花田吉隆 元防衛大学校教授

新型コロナウイルスの感染拡大で、2度目の週末の外出自粛要請がされた東京都内では、デパートや飲食店の臨時休業が目立ち、買い物に訪れる客もまばらだった。普段なら多くの人が行き交うJR渋谷駅前のスクランブル交差点も閑散としていた=2020年4月5日、東京都渋谷区、遠藤啓生撮影

 新型コロナウイルスにどう対応するか。我々は、「未知という事実」を正しく認識しているだろうか。

 新型コロナの実態は未知のベールに包まれる。感染力が弱いにもかかわらずこれほどのスピードで蔓延するとは誰もが予想しなかった。軽症者が、あれよあれよという間に重症化し、気が付いた時は手の打ちようがなくなる。感染は当初、飛沫と接触だけによるといわれたが、マイクロ飛沫もあるのではないか。我々は未知の敵と戦っている。まずは、「未知という事実」を認識することが、危機対応の出発点だ。

「未知という事実」への対応は早め、広めに

 「未知という事実」を認識するとは、対策を立てるに当たり、我々は慎重でなければならないということだ。つまり、こういう時は小心者がいい。豪放磊落はいただけない。

 欧州も米国も、対策は全て後手に回った。その結果、火の手が回った時、既に対応は手遅れになっていた。わずかな予兆を察知し、すかさず蔓延の可能性に思いを致す。我々は、「未知という事実」に対し謙虚でなければならない。未知のものに立ち向かうだけの十分な実力を持ち合わせていないかも知れない、そう認識すればこそ、早め、かつ、若干大げさに思える手も、打つ必要が出てくる。分からない時は広めに網をかぶせるに如かず、だ。

 北海道知事は、危機が燃え盛ろうとしたまさにその時、学校の一斉休講を決め、緊急事態宣言を出した。知事が小心者か否かは別として、これは英断だった。一方、都知事は出遅れた。3月28、29の両日、不要不急の外出自粛要請が出された。しかしこれは、その前の20日からの3連休にこそ出すべきだった。28、29日はもう一段階レベルを上げるべきだった。

 「早め、広め」は、危機管理の鉄則だ。傷は浅いうちに「早めに」手当てすれば軽傷で済む。傷口が広がってからでは治すのが大変だ。敵が未知の場合、「広め」に網をかぶせる。それが安全策として効果的だ。

 しかし、日本はこの「早め、広め」が苦手だ。「時宜を見極めつつ、対策は小出しに」が日本的パターンかもしれない。それは危機対応に大きな禍根を残す。バブル崩壊後、欧米が速やかに不良債権処理を終えたのに比し、日本は、いたずらに長い年月をかけた。その結果、後々まで後遺症に悩まされた。湾岸危機の時、日本の対応は「ツーリトル、ツーレイト」と非難された。

 北海道知事の英断はどちらかというと非日本的で、都知事の方が日本の伝統に即している。しかし、日本のこの「漸次主義、関係者配慮主義」は危機対応には不向きだ。気が付けば、欧米がウイルス対策に一段落つけ、日本だけが大惨事に追われる、とならないことを切に願う。

SARSの経験を生かした中国周辺国

 さて、今、感染の中心は欧州と米国だ。欧州も米国も油断した。中国にウイルスが蔓延した時、欧州は対岸の火事とした。欧州が危機に陥った時、米国は、これは欧州の問題だと思った。いずれも初動で遅れたことが致命的になる。

 これに対し注目されるのが、中国周辺の国、地域だ。4月4日現在、感染者数が、台湾(348人)、シンガポール(1114人)、香港(845人)、ベトナム(237人)と、いずれも中国との往来が最も頻繁であるにもかかわらず感染者数は低いままだ。中国からの来訪者がウイルスを持ち込む機会は十分あった。どうやって効果を上げているのか。これに関し、既に多くの報道がある。最大公約数をまとめれば、検査の徹底実施、外国人の入国制限強化、IT利用による感染者追跡の実施といったところだ。韓国は一時、感染爆発があったが、軽症者を特定施設に隔離し、病院の負担軽減に成果を上げているのも注目だ。

 しかしここで注目したいのは、他でもない、これらの国、地域が2003年のSARS禍に見舞われたということだ。台湾で、感染症対策を主導する陳建仁民進党副総統や陳時中、衛生福利部長は、このSARSの時の経験をもとに今回、新型コロナ対策の陣頭指揮を執る。これらの国、地域では、SARSの経験があったため、今回武漢で感染が発生した早い段階で事態の深刻さを認識し、「早め、広め」の対策を講じることができた。これに対し、欧米は2003年、SARSの災禍を免れた。その結果、今回、初動対応が出遅れた。

 「早め、広め」の対策は、国民が、これを受け入れ、政府の指示に従うことが重要だ。しかし人々は、火の手が身近に迫って初めて危機の深刻さを認識する。危機が燃え広がらないうちは、政府の指示を深刻に受け止めない。今回初めのうち、仏伊の国民は外出禁止令に従おうとせず、政府はやむなく罰則を強化せざるを得なかった。

 国民が政府の指示に従うか否かは、国民の政府に対する「信頼度」による。欧州の中には信頼度がお世辞にも高いといえない国があり、そういうところでは、国民を政府指示に従わせるのは至難だ。

 しかし、中国周辺国、地域の人々の対応は信頼だけでは説明できない。むしろ、SARSの記憶が鮮明に残っていたことが重要だ。人々は2003年、感染症の恐怖を、身をもって知った。今回、政府のいち早い対応が国民の間にすんなり受け入れられていったのは、この事実を抜きにしては説明できない。

法的手段で感染爆発、医療崩壊を抑えることはできるのか

 日本は、SARSを経験していない。それにしては、これまでのところコロナウイルスをうまく抑え込んでいる。果たして日本は今後、中国周辺国、地域の経緯を辿るのか、あるいは欧米の惨状を、身をもって体験するのか。

 ニューヨーク医療従事者の、今の日本は2週間前のニューヨークを見ているようだ、との発言には誰もがぞっとさせられる。ニューヨークは2週間前、感染者は300人台だった。たった2週間でこれが4万人に急増した。4月4日現在、東京は感染者数891人だ。東京は2週間後、4万人の感染者で溢れかえる、というのか。

 政府は緊急事態宣言発出を逡巡する。宣言は「劇薬」だからだ。人々が萎縮してしまいマイナス効果があまりに大きい。しかし、このままニューヨークになれば、劇薬だけでは済まないはずだ。政府は、経済に及ぼす影響を懸念する。コロナの難しいのは、今のところ唯一効果的な対策は人の移動の抑制しかないが、感染の封じ込めのため人々に自宅待機を求めれば経済が機能しなくなることだ。現に仏伊では、経済が完全に止まってしまった。日本は、一部欧州諸国のような所得の一定割合に対する休業補償ができないため、仕事を休めと強制するわけにもいかない。だから、経済に対する影響を最小限にしつつ、片や、感染を抑え込もうとの、兼ね合いの難しい二つの目標を追わざるをえない。

 問題は、事態が悠長な対応を許すかだ。4日、WHO事務局長の日本人上級顧問が、日本は直ちに緊急事態宣言を発出すべきだ、本当は1週間前に出しておくべきだった、と述べたのを、どう聞くか。今は、緊急事態宣言の次のレベルが求められているということか。

 3日、専門家会合が一つのシミュレーションを発表した。今、行っている自粛要請では人々の移動は2割しか抑えられず、感染防止の上でほとんど効果が見込めない。他方、これを8割抑制すれば感染は収束に向かう、との内容だ。8割抑制とは今の仏伊がやっている罰則付きの外出制限を意味し、あそこまでやれば感染の拡大は食い止めることができる、という。

 我々に選択の余地はないように見える。経済を萎縮させないことは重要だが、国民の生命、健康が最優先だ。何より、医療崩壊が起きてからでは取り返しがつかない。

 しかし、日本に、仏伊のような人の移動の8割抑制は可能か。法的には特措法は要請、指示だけだ。つまり、あくまで現行制度の下では、今の日本は、2割までしか人の移動を制限できない。ということは、このシミュレーションを前提にする限り、感染爆発も医療崩壊も遅かれ早かれやってくる。恐らく、シミュレーションはそう的外れというわけでもないだろう。何やら、今日のニューヨークが、明日の日本になりそうな気配だ(7日、緊急事態宣言が発出された)。

 後は唯一、法的手段に頼るのでなく、人々の自主的判断で外出抑制を達成することだ。これは、日本の得意分野だ。これが、感染爆発を抑え、医療崩壊を免れる唯一の道かもしれない。

 今は、目の前の火の手を防ぐことが肝心だ。収束後のことまで考える余裕はない。しかし、あえて言えば、収束の暁には、今回の教訓をまとめねばなるまい。その一つとして、特措法のような要請、指示しかないシステムでいいのか、改めて検証しなければならないのではないか。