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新型コロナ報道にみるメディアと言葉の本質的な問題

世の中を滑らかにするために真摯な言葉選びを

佐藤信 東京都立大学法学部准教授(現代日本政治担当)

新型コロナウイルス感染症対策本部で、緊急事態宣言の対象区域拡大について発言する安倍晋三首相(左から2人目)=2020年4月16日午後8時25分、首相官邸

 新型コロナウイルスに感染して集中治療室(ICU)に入っていたボリス・ジョンソン英首相が退院したという。喜ばしいことだ。

自主隔離? 自己隔離?

 他方、ずっと引っかかっていることがある。それはジョンソン首相が陽性になってから入院する前、「自主隔離」していると日本で報道されたことである。

 この自主隔離、英語はself-isolationという。確かに自主隔離と訳してもおかしくはない。だが英政府のウェブサイトを確認してみると、コロナの症状が出たら7日間のself-isolationをしろと書いてある。つまり、この隔離は念のために自主的にする性格のものではない。

 そしてまた、症状のある者と同居している場合には、14日間のhousehold isolationをしろと書いてある。後者は家庭隔離だから、前者は「自己」隔離とする方が正確だろう。そもそも陽性反応が出ている人が本当に「自主」隔離で済むのか、記者たちは考えてみなかったのだろうか。

細部への心配りは欠如していないか

 これから現下のコロナ報道について論じる。重箱の隅をつつくように思われるかもしれない。けれど、わたしはここでマスメディアと言葉についての本質的な問題を取り扱おうとしている。

 マスメディアの影響力は甚大だ。こたび、安倍政権は国民世論に押し切られるかたちで制限なしの10万円給付へと舵を切った。これ自体、日本政治の文脈では大変重要で本格的な分析が求められるが、ここでは4月3日に一定の所得減少世帯を対象に30万円給付という政府与党の当初の方針が明らかにされたときのことを扱いたい。このとき、大々的にニュースを飾ったのは「30万円給付」というヘッドラインであった。その時点でだれが対象になるかは十分には報道されなかった。

 その後、この30万円を受け取ることがどれだけ狭き道で、また難儀なものであるかが頻りに報道された。一度は一安心した国民は一気に暗澹(あんたん)たる気分になった。政府与党の情報提供に問題もあっただろうが、その給付金額にのみ焦点を当てたマスメディアにも大きな責がある。

 本来、金額の多寡は給付対象の幅と併せて初めて意味を持つ。額が30万円に嵩上げされても、自分の家が対象にならなければ意味はない。マスメディアは初めからそこまで掘り下げて報道すべきだった。

 この件に限らず、また政府与党に限らず、マイナス面を隠してプラス面を強調しようとするのは、情報提供者の常ではないか。そのマイナス面も詳らかにして全体像を提示するのは報道の役割だ。

 マスメディアの劣化は多く「マスメディアのあるべき姿」とか報道倫理とか、大仰なものに結びつけて語られる。それもないとは言わないが、給付対象の話は、自分事として少し考えればわかること。原因はむしろ細部への心配りの欠如に巣食っているのではないか。

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