メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ウイルスが我々に問いかけているもの

グローバル化とは何だったのか

花田吉隆 元防衛大学校教授

セントラルパークに設置された野外病院。ベッド68床と人工呼吸器10台を備える=2020年4月12日、米ニューヨーク、藤原学思撮影

 ウイルスは我々に何を問いかけているのだろう。真っ先に頭をよぎるのはグローバル化だ。

 人類の歴史上、疫病は人類の移動範囲の拡大に伴い蔓延を繰り返してきた。

 14世紀、欧州を死の恐怖に追いやり、人口の1/3を消失させたペストは、モンゴルの西漸と深く関係する。元々、ペストは地域限定のネズミ等齧歯類を宿主とする疫病だった。蔓延の範囲はその地域に限られており、ペスト菌は、そこで、ヒトとの間に安定した関係を築いていた。ペストが猛威を振るい人間が死亡すればペスト菌の生存も危うくなる。感染はやがてピークを越え、人間が免疫を獲得した時点で収束に向かっていく。そうやって自然界に一定のバランスが維持されていた。

 ところが、モンゴル民族は馬を乗りこなし西漸の果て欧州に到達する。それに伴いペスト菌も運ばれ、それまでペスト菌を知ることがなかった欧州を殲滅していく。人口の1/3があっという間に消えてしまった。この中世の悲劇の背景には、モンゴル民族の西漸という人の移動のグローバル化があった(ペストの原発地については諸説ある)。

 歴史は繰り返す。15世紀、コロンブスの新大陸発見は再び疫病の悲劇を生む。今度は欧州から西に向けての疫病の輸出だ。それまで新大陸は、旧大陸との接触なしに年月を過ごしてきた。そこに新大陸発見により未知の疫病が持ち込まれ、免疫を持たない新大陸の人々を次々と襲っていく。人数的には圧倒的に少数のスペイン人があの絢爛たる文明を誇ったアステカやインカをあっという間に滅ぼした。それは銃器によったのではない。原因は天然痘、はしか等の疫病だった。新大陸の人々は、スペイン人に対峙した時、スペイン人は何ともないのに自陣営の人々が次々と倒れていく。その様子を目の当たりにし、スペイン人を神の使いだと思った。そうでなければ彼らだけが無傷でいられるわけがない。新大陸の人々は、瞬く間に戦意を喪失していった。大航海時代というグローバル化がもたらした疫病がアステカ、インカの文明を滅ぼした。

グローバル化がもたらした災禍

 新型コロナウイルスは、現代のグローバル化がもたらすべくしてもたらした災禍だ。その元々の原因が武漢の人々の食習慣にあったか否かは別として、武漢のウイルスはグローバル化により世界が一体となった現代にあってこそ、これだけの蔓延を見せることができた。そのスピードたるや、恐るべし。昨年末、武漢で初めて感染が確認された後、今年初めの段階で、それはなお武漢の問題でしかなかった。それが欧州に飛び火したのが2月。3月にはあっという間に米国に広がり、4月14日現在、欧州で75万人、米国で55万人の感染者を生んでいる。

 世界はこの10年で一気に緊密化した。特に中国人の移動が著しい。中国が国力を増すにつれ、世界中で中国人の活躍が顕著になった。躍進する中国人は、あるいは一帯一路のため足繁くアフリカに通い、あるいは、デジタル製品の商談のため世界中を駆け巡る。中国人留学生は米国の大学に大挙して押し寄せ、中国人観光客は世界の名所を席巻する。武漢発祥のコロナが世界中に拡散されるのに多くの時間はかからなかった。感染は感染を生む。初めは武漢からの来訪者を止めていれば済んだものが、次は欧米からの来訪者を止めなければならない。今のグローバルな世の中で、ウイルスが世界中の人間を宿主にすることはいともたやすいことだった。

コロナ禍は途上国に向かう

 この問題の第一は、コロナ禍がここで止まらないということだ。燎原の火の向かう先は、より脆弱な地域、アジア、アフリカの途上国だ。医療設備も満足にない。初めから「崩壊」でなく「存在ですらない」医療しか持たない国々にとり、コロナを防ぐ手立てはないに等しい。しかもそういうところほど、人々は大家族で集まって暮らす。クラスターが待っているようなものだ。先進国は、途上国の人々の惨禍を我が身のことと思い支援に向かうべきだ、と言ってみたところで、先進国は、今、自らが医療崩壊の中にある。とても他に目を向ける余裕はない。

 グローバル化とは、世界が一体となることだ。一カ所で生じた被害をその局所に押しとどめることができない。あなたの災難は私の災難だ。つまり、アジア、アフリカを撲滅させんばかりで駆け抜けていくウイルスは、やがて再び先進国に戻ってくる。先進国から途上国に蔓延していったウイルスがその逆を辿らない保証はどこにもない。先進国で感染を抑え込んだかに見えても、感染は再びぶり返し、今年後半にも第二波として先進国を襲ってくる。その時、第一波を辛くも逃れた人々が、免疫を獲得しなかったがために今度は第二波のウイルスの格好の宿主になる。

世界は無数の国民国家に分断された

 第二は、新型コロナウイルスはグローバル化の波にのり、あっという間に世界中に蔓延したが、人々はこれに対するに、反グローバルな手法で立ち向かおうとしている。国境を閉め、人の移動を止め、空港で検疫を強化し、水際で侵入を防ごうとする。どこかのマスコミが言っていた。今や、世界は無数の島々に分けられたかのようだ。島と島を結ぶ連絡船は途絶した。

 世界は、無数の国民国家に分断された。あたかも1648年、30年戦争の災禍が過ぎた後のウエストファリア体制発足時のようだ。この時、世界は主権国家に分断され、領域内は各国の主権が支配した。各国は互いに連携することなく主権国家が並立する状況となった。

 今、先進国の首脳は、G7会合を開催はするが、テレビで顔を合わせ、互いの協調をアピールする宣言を発出するのがやっとだ。各国は自分のことで手いっぱいで、協調した手を打つどころでない。ここが2008年の金融危機の時と大きく違うところだ。あの時、少なくとも世界の首脳は金融財政政策を一致して打ち出す必要性を認識していたし、各国による一斉の財政出動が世界経済のV字回復をもたらした。今、問題は、金融財政の協調でない。金融財政なら協調して手の打ちようもある。今相手にするのは、各国が行き来を止めるだけが唯一の対策である感染症だ。各国はひたすら内向きになってウイルスとの戦いに没頭するしかない。

 ウイルスとの戦いは、国民国家こそが得意とする分野だ。その簡単な事実をウイルスは人々に思い知らせた。グローバル化が頂点に達したこの時点で、我々を救う手だては国民国家のみが持っていた。国民国家こそが検疫を強化し、国境を高くしてウイルスの侵入を防ぐことができる。グローバル化はいとも簡単にリバイバルの国民国家に主導権を譲り渡した。国民国家は喜び勇んでグローバル化の鎖を断ち切った。

 グローバリズムはウイルスとの戦いの主戦場たりえない。ウイルスとの戦いに国連は何をしたか。WHOは、パンデミック宣言発出後、とんと姿が見えにくくなった。ちなみに、ニューヨークの国連本部は、今、会議どころでない。安保理すら会議を開くことがままならず、テレビ会議で打ち合わせを繰り返す。EUは、4月9日、コロナ対策として5400億ユーロ(約64兆円)の経済対策を決めた。このまま何もしなければEUの存在意義が問われるといわれ、ようやく合意をまとめた。もっとも、コロナ債発行は北による南の財政救済だとして合意に至らなかった。

「グローバル化の鎖」の最も弱い部分を攻め立てたウイルス

 ウイルスはグローバル化をあざ笑うかのように猛威を振るう。グローバル化の下、世界は狭くなり一体化した。ウイルスにとりこんな好都合な環境はない。他方、グローバル化した世界は、未知のウイルスが蔓延した時、これに有効な手を打てるグローバルな体制を用意していたか。感染症対策は、これまで、国際協力のお定まりの題目だった。国際会議を開けば、どの会議であれ、各国協調の下、感染症対策を実施しなければならない、とのお定まりの文句が並べられた。しかし残念ながら、それ以上のものでなかった。

 結局、唯一有効な防御手段は各国が国境で行う検疫と人の行き来を止める都市封鎖だけだ。グローバル化で人の移動の自由を謳いながら、グローバル化はウイルスが蔓延した時の対策を用意していなかった。ウイルスは「グローバル化の鎖」の最も弱い部分をみごとに攻め立てた。これだけグローバル化が進んだ世界は、ウイルスの襲撃をうけ一気に「島国化」してしまった。

 ウイルスはグローバル化した世界経済の弱点も見事に攻め立てる。サプライチェーンだ。グローバル化により、世界は分業を極度に発展させた。その方が効率的で収益が上がる。かくて、一つの製品がいくつもの製造過程に分解され、一つ一つの部品が異なった場所で生産される。出来上がった部品は、最後に一カ所に集められ組み立てられて製品になる。このサプライチェーンが、今回、コロナにより寸断された。一カ所の工場がコロナの被害で生産を止めると、全工程が一気に止まる。

 今や、日本はマスクひとつですら中国の工場頼みだ。中国が止まれば日本はマスク一つ手にできない。コロナは極度に分業化が進んだ今の世界経済のサプライチェーンという最も脆弱な部分を直撃した。今後、各国は少なくとも中国一極頼みを見直していかざるを得まい。日本では、それに需要の急激な圧縮が輪をかける。インバウンド需要しかない今の日本は、供給と需要の両面から攻め立てられている。

「悪いものの拡散」に対する備えが必要だ

 グローバル化とは一体何だったのだろう。

 グローバル化とは、世界を一体化することだ。一体化とは「攪拌」だ。いいものも悪いものも一緒にしてかき混ぜる。当然、悪いものも世界中に拡散する。だから、グローバル化に当たっては「悪いものの拡散」に対する備えが必要だ。備えなしにかき混ぜるのは無謀でしかない。悪いもの、すなわち、ウイルスの拡散の可能性に対し、世界は、グローバル化以前の、国民国家による検疫しか対策として持ち合わせていなかった。

 EU統合もグローバル化の一つと見れば、統合はいいものも悪いものも「攪拌」する。シェンゲン協定で人の移動を自由にすれば、貧しい所から豊かな所へ移民が移動する。域外の紛争地域から域内の安定したところに難民が流入する。統合は「いいとこどり」で済むわけがない。人の移動の自由は移民、難民に対する備えあってこそのものだった。

 EUが、北の富裕国だけの統合から、南の比較的遅れた地域も取り込む統合になった時、格差の問題は避けられなかった。「後進地域の所得が引き上げられ皆が豊かになる」と考えるのは楽観過ぎるシナリオだ。富裕な国と遅れた国が「かき混ぜられれば」、遅れた国の問題が富裕な国を襲う。統合が、金融の一体化だけに終わり、財政の一体化を含まなかったのは「片肺飛行」と言わざるを得ない。遅れた国に対する財政移転なしに体制は安定しない。ユーロ危機で顕在化したこの問題は、今、コロナ債発行問題としてEUを揺さぶる。

 グローバル化はいいことばかりでない。その負の側面も直視し、万全の備えがあってこそ世界はグローバル化で繁栄する。ウイルスは冷戦後の30年、ひたすらグローバル化を追い求め、その正の側面だけに目を向けてきた我々の備えの不備を突いた。

 グローバル化を押し止めることはできない。しかし、コロナが一段落した時、世界は改めてグローバル化を見直すこととなろう。少なくとも感染症の予防として検疫だけしか有効な手立てを持ち合わせていない現状をどうするか。各国が協調して立ち向かうためにはどうするか。今回は、SARSの時とは比べ物にならないほどの教訓がある。