メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

中国の新型コロナ、初期対応〝失敗〟の検証

つまずいた習政権、混乱を嫌ったことが裏目に

村上太輝夫 朝日新聞オピニオン編集部 解説面編集長

初動がもたついた原因は

 新型コロナウイルスの感染は欧州、米国で拡大が続く一方、最初の集団感染の発生地だった中国はいち早く事態の収束に向かっているようにみえる。ここに至って感染を「うまく封じ込めた」と誇る習近平政権だが、昨年末から今年1月にかけての初期対応がもたついたことを忘れるわけにはいかない。

 なぜ失敗したのか。

 多くの論評が「地方政府が都合の悪い情報を中央に報告しなかった」「官僚機構が硬直化している」などと指摘してきた。これらは実のところ十分な説明ではないようにも思われる。政権がどう判断し、どう誤ったのか。限られた情報のもとだが、習政権のつまずきの原因を改めて考えてみた。

GR.Stocks/shutterstock.com

 湖北省武漢での感染症拡大初期の状況を最もよく伝えるのは中国雑誌「財新」だ。ネット上で2月26日夜に掲載された(間もなく削除された)記事は、関係機関、個人名を詳細に挙げ、信頼できる内容といえる。

 それによれば昨年12月27日ごろには新型コロナウイルスに関する情報が武漢の医師ら、ゲノム解析企業、そして北京の国家級研究機関である中国医学科学院病原生物研究所で共有されていた。また、他の報道によれば12月29日には国家衛生健康委員会に報告が上がり、31日に同委が調査のために現地入りしている。

 一般的には、地方政府が都合の悪い情報を隠し、中央に報告しないことは中国では頻繁に起きうる。しかし感染症に関しては専門家のネットワークがあることが「財新」記事からよくわかる。しかも所管官庁である国家衛生健康委が統括している。12月のうちに習近平政権まで情報は届いていたとみるのが自然だ。

李文亮医師の発信、そして死

 「情報隠し」という印象を持たれているのは李文亮事件のためだろう。

2月7日に亡くなった李文亮医師の写真に「送別」と書かれた人民日報のSNSの投稿

 武漢市中心病院の眼科医、李文亮医師がソーシャルメディア上でウイルスに関する情報を発信し、それが警察によって処罰された事件は、中国の政治体制のおかしさを象徴する言論封殺として受け止められた。李医師自身も新型コロナウイルスに感染し、「声は一つであってはならない」という重い言葉を遺して亡くなっている。

李文亮医師が亡くなった2月7日、北京市内の河川敷の雪上に「さようなら李文亮」との文字が書かれた=2020年2月7日、北京市、平井良和撮影

 「財新」の記事も、ウイルスを調べた関係者に対して国家衛生健康委や湖北省衛生健康委から、情報を外に出さないこと、検査サンプルを破棄することを求められた、と伝える。とはいえ、こうした統制は、情報が北京に届いていなかったことを意味するものではない。むしろ北京が情報を管理していたとみるべきだ。情報が市民の間に広がるのを阻んでいたという意味での情報隠しだ。(1月3日には中国から米国へ最初の感染症情報が伝えられた)

 その後、新型コロナウイルスがニュースとして表に出たのは、ようやく1月9日になってからだった。そして、習氏自身による感染症対策の指示が表に出たのは、さらに日が過ぎて1月20日だ。

 これは遅きに失した。春節(旧正月、1月24日)前後の休暇を前に、市民の大規模な国内外への移動が始まっていたからだ。この間に習氏はミャンマー訪問、雲南省視察という日程をこなしているが、このことと対応の遅れがどう関係しているかは不明だ。

 2月15日になってから共産党理論誌「求是」のウェブサイトで発表された習氏の署名論文は「1月7日の党常務委員会で感染症対策について要求を出した」とわざわざ触れている。1月20日まで何もしなかったわけではないことを示そうとしたのだろうか。

 これに対して香港紙「明報」(2月17日付)が異なる情報を突き付けている。

 中国疾病対策センターの高福副主任が1月6日、対策に一歩踏み出すよう求めたが、7日の党常務委員会では「用心しなくてはならないが、そのことで恐慌を来し、春節の雰囲気に影響させてはならない」と指示が出たのだという。

 この時点の習政権は、武漢の異常を察知していたはずだ。

避けたかった混乱、かかった正常化バイアス

 12月31日時点の武漢市当局の発表で発症者は27人。1月1日には、感染源と疑われる市場を封鎖したが、市場に立ち寄ったことのない人も感染し始めていた。武漢市内の住民の外出や移動を規制する、といった措置を直ちにとる選択肢はありえた。事態の正確な把握はまだ難しかった段階だが、それでも最悪の事態を想定するという身構えがあれば、動くことは可能だった。

 結果的に習政権は情報隠しと非難されても仕方がない事態を招いた。だが隠すこと自体が目的とも考えにくい。都合の悪い話を過小評価しようとする心理、いわゆる正常化バイアスが作用したということではないだろうか。

 「明報」の伝えるとおり、中国人にとって大事な春節の直前にあって、市民生活、経済活動への影響はできれば避けたい。そもそも中国経済の成長力はじりじりと下がっていた。若者の就職状況が悪化し、米国との対立の影響も暗い影を落としていた。2020年は2010年比で国内総生産を2倍にする目標年であり、第13次5カ年計画の最終年でもある。

 加えて、不用意に情報を出して市民を混乱させるような事態を引き起こしたくない、とも考えたはずだ。

 中国共産党はつねに、社会の安定を重視する観点から情報統制を正当化しようとする。

2020年2月20日の武漢市内。団地の入り口は柵でふさがれ、「家にとどまり、健康を保つように」との標語が掲げられた=市民提供
 正体不明の感染症が出始めているが、それほど広がることはあるまい、厳しい措置をとらなくても、なんとかおさまるだろう――、という期待交じりの判断だったのではないか。危機を放置する無責任な政治ではないのだとすれば、この正常化バイアスよりほかに、辻褄の合う説明ができないように思われる。もっとも、これは民主政治のもとでも往々にして起きることではある。

 感染症の拡大が深刻になると、習政権は都市封鎖、臨時病院建設など大胆な対応策を打ち出し、事態を沈静化させていった。速さと規模の大きさを伴う実行力を見せつけられると、なるほど中国だから強引な行動をとれるものだと印象づけられる。だからなおさら、なぜ初動でもたついたのかという疑念はいっそう強まる。

市民とのコミュニケーションが苦手な習政権

最初に新型コロナウイルスの集団感染が発生したとみられる武漢市の華南海鮮卸売市場。4月になっても封鎖されたまま=2020年4月8日

 感染症拡大の初期は、どのような政権でも決断が難しい。危機を察知したところで、予想される災厄が実感されないうちから自由を制限する措置はとりづらいためだ。そこで政治指導者は市民と対話し、説得することが求められる。中国共産党政権、とりわけ習政権は、このコミュニケーションがどうも苦手なようにみえる。

 1月20日の習氏の言葉として伝えられたのは感染症対策の指示ではあったが、市民に呼びかけて理解を求める性格のものではなかった。その3日後は春節を迎えるにあたっての演説があったが、驚くべきことに感染症には一切触れなかった。

 中国では、市民は政治参加から実質的に排除されている。「口を出すな、共産党に従っていれば安心だから」という体制である。とはいえすべて強引にことを運んでいるわけではない。独裁政権は市民を恐れている。広汎な市民の反発に遭いそうな判断は、はじめから避けようとする傾向がある。

 例えば税率の引き上げや公共料金の値上げにはきわめて慎重である。工場建設で引き起こされる環境問題で市民の抗議運動が起きると、地方政府はあっさり要求を呑む。政権批判が広がってしまうと収拾できなくなるため、普段は、少しでも危険だと見なされる言動は直ちに弾圧し、市民団体、知識人、弁護士らを厳しく監視し、メディアをきっちり管理する。

 統制の厳しさゆえに世論の実際の方向性や社会の変化をかえって把握しづらくなり、さらに警戒心を強める悪循環に陥ることにもなる。(今回、厳しいメディア統制の中で例外的に「財新」が目覚ましい報道ぶりをみせたのは引用した通り。背後に権力闘争めいた事情があったと想像されるが明らかではない)

遅すぎた専門家の起用

鍾南山医師=2006年撮影
 興味深いのは1月20日に習氏が指示を発した同じ日、鍾南山医師がメディアに登場して、人から人への感染があることを公にしたことだ。きわめて危険な感染症であるとの判断が、ここでようやく下されたのである。

 鍾医師は2002~03年の新型肺炎SARSの感染拡大時に、発生地の広州で献身的な活躍をみせ、庶民からも信頼されている人物だ。習政権といえども、社会の方向転換を働きかけるためには力のある専門家を利用しなくてはならなかったわけだ。

 ただ、鍾医師が武漢の様子を見てくるよう命じられたのは1月18日だった。あまりに遅すぎた。これ自体、政権の判断ミスの表れだ。彼は後日、「対応が5日早ければ感染者を3分の1に減らすことができた」と報告している。SARS経験者として、感染症への早めの対処が大事だと知っていたはずだ。このような専門家に独立性があればいいのだが、一党支配体制のもとでは共産党から相対的に独立することは望めない。中国では司法機関も中央銀行も独立していない。

 その後の強引な感染封じ込めは、もはや危機的状況が誰の目にも明らかで説得が不要な段階に達したからこそ可能になった。市民の多くは怖がり、敢えて外に出ようとはしなかった。共産党の機関紙「人民日報」(2月20日付)が掲載した中国社会科学院の姜輝氏の評論は、共産党の指導こそがリスクに打ち勝ち、常に勝利するカギである――、と虚勢を張っているが、空々しいと言うほかない。

素早かった台湾の対応、真の「人民への奉仕」とは

 対照的なのが台湾の蔡英文政権である。

 特筆すべきはその早さだ。

台湾で新型コロナウイルス感染者が確認された翌日の1月22日、台北にある総統府で記者会見を開く蔡英文総統(右)と陳建仁副総統。陳氏は公衆衛生の専門家でもある=総統府提供

 武漢で正体不明の肺炎患者が出始めていることに対し、12月のうちから情報収集と警戒に当たり、12月31日には武漢からの直行便の検疫を始めた。(その後、1月26日には中国人観光客の台湾入りを止め、2月6日に全面停止)

 一連の情報収集活動の中で、先述の李文亮医師らの投稿内容をつかんだことも、後に衛生当局者が明らかにしている。この鮮やかな対応ぶりは、中国の習政権がもっと早く手を打てたはずだという見方を補強するものだ。

 1月22日に蔡総統、陳建仁副総統が発表した談話は、防疫体制の現状から始まって、マスクの在庫に心配は要らないとか、自身の体温に気をつけようとか、丁寧な呼びかけをしている。厳しい対策はときに市民の反発も招く。だから疾病管制署は毎日記者会見を開き、情報公開に努めている。

 朝日新聞の取材に対して同署幹部は、当局者、専門家、市民が情報を共有するリスクコミュニケーションを心がけている、と答えている。市民一人ひとりの自覚を通じて感染症に対処する思想である。そうであればこそ、民主政治のもとでも強力な危機対応が可能なのだろう。

 海外から入ってきた者への厳しい監視など、私権制限に対しては警戒感もある。だが少なくとも、政府の対処方針の是非を議論できる自由は確保されているし、蔡政権のしたことはいずれ選挙で審判を仰ぐことになる。なお、現時点で蔡政権への支持は極めて高い。

 「人民に奉仕する」というのは中国共産党の古典的なスローガンだが、実のところ共産党は人民との信頼関係を築いていない。ここが問題の本質ではないか。

 一党支配だから感染症対策に失敗したとまでは言えない。しかし、わずか十数年前にSARSへの対処で失敗し、その当時から中央・地方で指導的立場にあった人々が今も政権内で重要な地位にいるにもかかわらず、失敗が繰り返されたというのもまた事実である。市民を説得して早めに手を打つという選択肢が、彼らには見えていなかったと思われる。

 以上はあくまで推測に推測を重ねたものだ。12月から1月にかけて実際に何があり、政権内でどんな議論をしてきたのか、経過を全て明らかにし、各国の公衆衛生政策の参考に供することが習政権の責務だ。そうしないなら、それこそが最も重大な情報隠しである。