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「9月入学」は拙速?わずか1ヶ月で実施した戦後義務教育改革から学ぶこと

「今しかない」「今ではない」の単純な二元論を超えた議論ができるか

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

自民党の秋季入学制度検討ワーキングチームの役員会で挨拶する柴山昌彦座長。左は岸田文雄政調会長=2020年5月12日、東京都千代田区の自民党本部

 新型コロナウイルスの感染拡大が学校の休校措置につながり、さらに善後策を論じるうちに転じて古くて新しい問題を再燃させた。

 「9月入学」問題である。

 賛否は喧(かまびす)しいが、それぞれ一長一短あり、それこそ拙速な判断は難しい。読売新聞が今月8日から10日にかけ実施した世論調査でも、賛成が54%で反対34%である。賛成が半数を超えたとみるか、賛否半ば、あるいは「総論賛成、各論反対」の範囲内とみるか。いずれにせよ論議は現在進行形の段階である。

9月入学をめぐる積極論と消極論

 積極論の典型は吉村洋文・大阪府知事である。今月6日のテレビ番組でも、「今やらないと日本は一生9月入学はできないと思っています。3月末までカリキュラムを詰め込んでやるよりも、今年1年半かけてじっくりやった方がいいんじゃないのかなと。やるとしたら今しかないと思います」と改めて主張した。

 休校措置により、今春以降のカリキュラムが未消化である事実は変えようがなく、それなら、かねて課題であった国際標準でもある9月入学を実現する好機にしよう、という発想なのだろう。

 他方、反対・慎重論は、制度改正の十分な議論や準備のないままの導入は拙速だという観点に基づく。

 文部科学省の前川喜平・元事務次官は5日の自身のツイッターで、9月入学を推す宮城県の村井嘉浩知事に対して「宮城県は休業要請は解除するのに県立学校の休校は延長する。順番が完全に狂っている。学校の再開が先だろ!」とつづり、「理不尽な休校を強いておきながら9月入学などと無責任なことを言うな。なぜ学校を再開できないのか科学的に説明せよ」と批判した。

 他のことでは文科省と対決することも多い日教組も、先月30日の臨時の幹部会合で、9月入学は拙速だとの認識で一致した。組合内には「新型コロナ対策と制度変更は分けて考えるべきだ」との慎重論があるという。

 むろん安倍政権に9月入学を政治問題化することで、休校措置に対する批判をかわす底意があるなら言語道断だ。ただ、学校現場の混乱を解消するための政策論として考えた場合、「今しかない」とする積極論と「今ではない」とする消極論とが交わらぬまま水掛け論に終始するのは、決して有益とは思えない。

拙速の極みだった「六・三制」の導入

 かつて、拙速といえば拙速の極みだったが結果的に戦後の日本社会に定着し、その復興を下支えした改革がある。

 現在まで続く義務教育制、いわゆる「六・三制」である。

 戦前の制度を改め、新たに中学校の3年を義務教育に加えるその改革を、吉田茂内閣が臨時閣議で正式に決めたのは1947(昭和22)年2月26日。同年4月1日からの実施のわずか1ヶ月あまり、文字どおり直前の拙速ぶりだったのである。

 当時表裏一枚の朝日新聞は、翌日の朝刊の一面トップで、淡々とその事実のみを伝えている。

「6・3制」の4月からの実施決定を報じる1947年2月27日の朝日新聞朝刊

 改革はなぜ、できたのか。

 答えの一つは、故高坂正堯元京大教授の『宰相 吉田茂』(中公叢書)の記述に明らかである。

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