メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

コロナ禍の今こそ知りたい顕微鏡の世界史/日本の栄光はいま…

次のパンデミックが発生すれば、日本は分析データを中国に依存することになりかねない

ゲーレ クリストフ 大阪大学蛋白質研究所 特任准教授

顕微鏡の歴史

 人間は視覚の動物です。私たちは、見ることによって世界を理解しています。たとえ抽象的な概念であっても、私たちはグラフィックな表現を使うことでそれらの意味を把握し、さらに発展させようとしています。

 自然界を理解するために聖書を読むのではなく、「見ること」を通じて行う最強のツールが科学です。

 それは約350年前にイギリスで誕生しました。アイザック・ニュートンやロバート・フックの登場、1660年の英王立協会の設立などが契機になりました。

 同じころ、オランダ人のアントニ・ファン・レーウェンフックが単細胞生物を見ることができる強力なレンズを備えた世界初の光学顕微鏡を発明しました。

アントニ・ファン・レーウェンフックの単式顕微鏡(ブールハーフェ博物館蔵)
 彼は池の水や唾液を観察し、藻類や微生物、精子などが鞭(べん)毛や繊毛などの運動器官を使って泳ぎ回るという新たな世界を発見し、驚きました。ロンドンの王立協会へ彼が送った手紙は、現在で言えば学術誌の論文のようなものですが、王立協会が彼の手紙の内容に疑問を持ち、当惑を抱いてオランダへ代表団を派遣するには十分過ぎるものでした。

 当時のオランダは、カトリック信仰の強制や、貿易の利権を奪ってきたスペインとの激しい戦いに勝利し、自由を得たばかりでもありました。

 レーウェンフックが発見した、肉眼では決して見ることのできない微生物の世界は、代表団に衝撃を与えました。現代の我々はもう知っていることですが、地球上のほぼすべての生命体は単細胞であり、それはあまりに小さいため顕微鏡なしに見ることはできません。残念ながらレーウェンフックが顕微鏡の作り方や観察方法を公開しなかったために、さらに強力な顕微鏡がドイツで登場するまでには100年以上の時間を要しました。

 1800年代になって、初めて微生物の世界が衛生上の概念として可視化できるようになり、人間の病と細菌の関係を考えることが、医学の主流になっていったのです。

新型コロナウイルス「SARS-CoV-2」(黄色)に感染した細胞(緑色)。電子顕微鏡で撮影。米国立アレルギー・感染症研究所提供=ロイター

クライオ電子顕微鏡の登場

 ウイルスは、細菌より10倍以上小さな姿をしています。

 光学顕微鏡で観察するには小さすぎるのですが、原子レベルまで映像化できる電子顕微鏡であれば、はっきりと見ることができます。さらに現代的なクライオ(低温)電子顕微鏡を使えば、ウイルスやその他の生命体について、非常に詳細な3D画像を得ることができます。

 今日、最も広く知られたウイルスの画像は、あらゆるメディアに登場している「SARS-CoV-2」でしょう。日本では「新型コロナウイルス」と呼ばれていますが、「COVID-19」という世界的な感染症の原因となった、あのウイルスです。

新型コロナウイルス「SARS-CoV-2」=米国立アレルギー・感染症研究所提供

 生体分子を理解するということは、原子レベル(0.1nm=ナノメートル)で立体的構造を知ることに大きく依存しています。いわゆる原子モデルと呼ばれる3次元(3D)マップを用いて形状を把握するのですが、従来は、病院で使うX線より何倍も強いものを使った「X線結晶構造解析」によってのみ、詳細な3Dマップを得ることができていました。タンパク質、DNA、ウイルスなどの解析も該当します。

 実は、日本はこの技術で世界をリードしてきました。兵庫県で「スプリング8」と呼ばれる、最も先進的で強いX線を放つ施設を運用しています。私が勤める大阪大学蛋白質研究所でも、特にウイルスの3D構造を分析するためにX線を使うことがあります。

大型放射光施設「スプリング8」(画面下)と、X線自由電子レーザー施設「SACLA」(画面右上)=2013年、兵庫県佐用町、朝日新聞社ヘリから

 しかし、この方法には欠点も存在します。ウイルスなどの試料を結晶化する必要があるのですが、作成は難しく、時間も要するのです。そのため、X線を使ったウイルス構造分析のパイオニアであるドイツ系アメリカ人微生物学者のマイケル・ロスマン氏(1930-2019)も、クライオ電子顕微鏡を用いてジカウイルスの原子マップを取得していました。

 クライオ電子顕微鏡の歴史はすでに40年以上になりますが、生体分子の撮影技術がさらに成熟し、薬の開発のためにも必要となるウイルスの詳細な3Dマップを短時間で得る能力を備えるようになったのは、わずか数年前でした。

 クライオ電子顕微鏡法の開発に貢献した3人の研究者が2017年にノーベル化学賞に選ばれたこともあり、さらに注目を集めています。敵を倒したいと望むなら、その敵をよく理解する必要がありますが、顕微鏡がそれを可能にするのです。

日本における電子顕微鏡の発展

 電子顕微鏡の歴史を少し振り返ってみましょう。

 その物語は1930年代にドイツで始まりました。エルンスト・ルスカ氏(1986年にノーベル物理学賞授賞)は新たな量子力学を応用し、電子の「波」の性質を利用して映像を描き出す方法に到達しました。これが電子光学の誕生となります。

 第2次世界大戦の混乱により電子顕微鏡の開発は約10年間停滞してしまいますが、戦後、シーメンスが製造した商用電子顕微鏡は、日本の医学部も含めた医学研究において急速に普及しました。

 そして、日本の電子顕微鏡も、世界で最も歴史のあるブランドであることは確かです。日立や日本電子のような日本企業は、早くから電子顕微鏡の設計や製造に着手しており、現在も世界の電子顕微鏡市場をリードしています。

 ただし、医学と生物学における電子顕微鏡の利用は、初期の数十年間はネガティブ染色法などに限定され、ウイルスや蛋白質、DNAの形状を観察できるだけで、3Dマップを作製することには使えませんでした。

 1960年代の後半、この状況に変化をもたらしたのが、かつてニュートンが活躍していた英国ケンブリッジの研究者たちです。彼らは、平面(2D)像から正確な立体(3D)像マップを取得するための数学的手法を開発し、実現させました。1970年代に入ると、若手科学者の小さなグループが電子顕微鏡と撮影技術を組み合わせて、ウイルスなどの生体分子を原子レベルで解明したいという夢を追い始めました。

 その一人が東京医科歯科大学特別栄誉教授である藤吉好則氏です。

・・・ログインして読む
(残り:約2710文字/本文:約5240文字)