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ドイツ再統一30年、連帯へ「光と影」語った大統領演説

【番外】ナショナリズム ドイツとは何か/壁崩壊が生んだ「平和革命」想起を呼びかけ

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

10月3日、ポツダムでのドイツ統一30年式典で演説するシュタインマイヤー大統領=連邦大統領サイトの動画より

【連載】ナショナリズム ドイツとは何か

 冷戦で東西に分断されていたドイツの再統一から30年になる10月3日、記念式典が首都ベルリン近郊のポツダムで開かれた。シュタインマイヤー大統領は演説で再統一後の光と影に言及。なお残る東西格差や欧州連合(EU)の動揺などの課題に触れつつ、自由と民主主義という観点からドイツの歴史を見つめ直し、未来への指針にしようと呼びかけた。

 「ドイツとは何か」を考えるこの連載への理解を深めていただく上で示唆に富む内容であり、番外として全文を紹介したい。ドイツ語での演説を、ドイツ連邦大統領サイトに掲載された英訳から私がさらに和訳したため、意味が通りにくい部分もあるかと思う。ご助言をいただければありがたい。

「コロナは私たちの誇りを奪えない」

 30分にわたる演説は、コロナ禍への言及から始まった。私が取材でドイツを訪れた2月は感染拡大前だったが、今や死者は9500人超。1500人超の日本を大きく上回る。演説を伝える動画は、参加者らが間隔を空けて座る会場の様子も映していた。

 私たちはみな、このドイツ統一30年を別の形で祝いたかった。ポツダムの数々のホールは満員で大きな祭りがあり、ドイツ各地や欧州の近隣諸国から何千もの人々が集まる。ドイツの多様性を現す祭りです。しかし、そうなりませんでした。私たちが慣れてしまったコロナウイルスのためです。統一の日の祭りを含む多くをパンデミック(大流行)が妨げました。

10月3日にポツダムで開かれたドイツ統一30年式典。コロナ対策で着席する参加者の間隔が空いている=連邦大統領サイトの動画より

 大きな祝い事はキャンセルされましたが、統一の日はなお重要です。喜び、回想、そして励ましの重要な瞬間です。私たちは(1990年の再統一をもたらした)平和革命を覚えています。(ベルリンの)壁の崩壊、国境での命を奪いかねない銃撃の終わり、国家(旧東ドイツ)による広範なスパイと指令の終わりを、喜びとともに思い出します。そして、1989年の秋に現れた勇敢な人々に励まされます。冷戦の終わりと新しい時代の幕開けを、感謝とともに振り返ります。
 
 私たちは、ヨーロッパの中心で(旧東ドイツと旧西ドイツが)再び一つになり、自由で民主的な国に向けてともに旅してきた道を振り返ることができます。何という幸運、何という功績でしょう。この日にあたり私たちは誇らしく、この感覚をパンデミックが奪うことはできません。

1990年3月、東ドイツの総選挙で西ドイツとの早期統一を求める勢力が勝ち、東ベルリンで西ドイツの国旗を振って喜ぶ人々=朝日新聞社

 会場から拍手が沸いた後、シュタインマイヤー大統領は歴史をさらに遡る。2020年は再統一30年にあたるとともに、近代国家としてドイツが初めて統一されてから約150年になる。そして同じドイツ統一の節目であっても、両者は「全く異なる」と語った。

「鉄血政策」の150年前との違い

 偉大な歴史的転換点の祝い事は、ふつう一面的です。しかし、今年の国家統一の記念には二つの顔があります。注目すべき偶然ですが、再統一30年の今年は、150年前の最初のドイツ国民国家(ドイツ帝国)の創設と重なります。この偶然の発生が焦点となります。なぜなら、この二つの出来事は極めて異なり、全く異なる考えによっていたのです。

 1871年の国家統一は近隣との戦争の後、鉄と血による粗暴な力によってもたらされました。それはプロイセンの支配、軍国主義とナショナリズムの上に築かれました。数週間前、私はドレスデンにあるドイツ連邦軍事史博物館を訪れました。無数の古い児童書が長いひもで天井からぶら下がっていました。その本の中で、テーブルの端をやっと見渡せるほどの背丈で、誇らしげに制服を着て、戦争に行く準備を熱心にする小さな男の子たちを見ました。この戦闘的ナショナリズムの栄光、この戦争の栄光と英雄の死は、この子たちが歩けるようになった頃から時代の運命的精神でした。ドイツ帝国の創設は、第一次大戦の大惨事へと間もなくつながります。

 「鉄と血」というのは、このドイツ帝国の宰相ビスマルクが進めた「鉄血政策」のことだ。ビスマルクは、いまのドイツ北部からポーランド西部にかけて広がっていたプロイセンの首相だった。軍備拡張を進めてオーストリアやフランスとの戦争で勝ち、小国に別れていたドイツをプロイセンを中心に統一へ導いたことで知られる。

国立ドイツ歴史博物館でのドイツ帝国に関する展示と首相ビスマルクの像の写真=2月、ベルリン。藤田撮影

 日本で言えば維新の元勲のような存在だが、そのビスマルクが体現した「戦闘的ナショナリズム」にシュタインマイヤー大統領は否定的だ。演説にあるようにドイツ帝国は第一次大戦で敗れ、帝政が潰える。

 30年前に起こった大きな変化について私たちが共有するイメージは、(ドイツ帝国と)何と異なることか。人々は壁の上で祝い、うれし泣きをし、抱き合います。(東ドイツの)兵士や人民警察の警官が銃を置きます。恐怖の局面は変わりました。国民は命令に従うことを拒み、強かった国家は力を失いました。

 他の変化もありました。1990年の再統一は軍事的な威嚇や征服の戦争によるものではなく、国際交渉から生まれ、合意に基づき、欧州と国際的な平和的秩序によって支えられました。長い冷戦下のあらゆる挫折にかかわらず、何世代にもわたる政治家たちが第二次大戦後にこの秩序を築いたのです。

 ポーランドやソ連との平和条約なしには、(第二次大戦後にドイツ・ポーランド国境となる)オーデル・ナイセ線の国際的な承認なしには、(1975年の全欧安全保障協力会議に始まる東西緊張緩和の)ヘルシンキ・プロセスなしには、NATO(北大西洋条約機構)とEUなしには、再統一はなかっただろうことを常に想起せねばなりません。同様に、近く90歳になる(元ソ連共産党書記長)ミハイル・ゴルバチョフの勇気なしには。このすべてを私たちは忘れず、感謝を述べます。

 また、米国なしには、米国の強くて尊敬される戦後秩序への基本的なコミットメントなしには、米国の欧州統合に対する無条件の支援なしには、今の私たちの再統一はなかったでしょう。この機会に米国に心から感謝を述べます。欧州の友人たちに対してと同様にです。

 軍事力を軸にした1871年の統一と異なり、冷戦下の曲折を経た1990年の再統一が国際的な協力と和解によって実現したと強調する。冷戦の勝者とされる米国だけでなく、冷戦終焉へソ連を導いたゴルバチョフにも感謝を述べるところが興味深い。

1997年、朝日新聞のインタビューに応じるゴルバチョフ元ソ連共産党書記長=モスクワ。朝日新聞社

「国際協力を支えることが歴史の教訓」

 そして、ドイツに再統一をもたらした国際協力が混沌とするいま、ドイツがそれを支えることが「私たちの歴史から引き出される教訓、義務です」と語る。ドイツの役割としてこの演説で繰り返される主題のひとつだ。

 統一の日は実際、いまの西側社会でも厳しい状況にある国際秩序がいかに貴重かを想起させます。私たちドイツ人は国際協力がより困難になっても支えます。強力で公正な国際秩序のために戦いたい。それは欧州のパートナーたちとともに担う課題です。私たちの歴史から引き出される教訓、義務です。

 1871年の世界が1990年の世界とどれほど根本的に異なっていたか。ドイツ帝国は鉄の手で統治されました。カトリック教徒、社会主義者、ユダヤ人は「帝国の敵」とみなされ、迫害され、疎外され、閉じ込められました。女性の政治参加は許されていませんでした。

 いま再統一された国に住む私たちは、みな同じであるべきだとは期待されません。「私たちは国民だ」とは、「私たちすべてが国民だ」ということを意味します。(ドイツ南部の)バイエルン人、(北部の)海岸に住む人々、そして東部のドイツ人は、それぞれのアイデンティティーを誇りにしています。田舎に暮らす人々は、都市住民とは違う布から切り取られます。キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ人、無神論者はすべて私たちの国の一部です。東ドイツ人、西ドイツ人(という考え方)はまだありますが、この区別は多くの人にとってもう重要ではありません。

 「私たちは国民だ」はドイツ語で”Wir sind das Volk”。もとは1989年、東ドイツ政府が首都ベルリンで建国四十年を祝う中でデモが広がり、壁崩壊に至った際のスローガンで、自由を縛る政府に対し「私たちが国民=主権者だ」と訴えたものだ。その言葉がいま、再統一から三十年で多様性を増した国民を包摂する意味で使われている。

 ドイツが国際社会に貢献できる存在であるためには、国民が一色に染まるのではなく、多様性を認め合わねばならない。シュタインマイヤー大統領は、再統一後のドイツとの対比で取り上げたドイツ帝国での差別を指摘したが、すぐ後で触れるナチス政権「第三帝国」でのホロコースト(大量虐殺)も念頭にあっただろう。そして現代に言及する。

ベルリンの一角に広がる「虐殺された欧州のユダヤ人のための記念碑」=2月。藤田撮影

「未来への疑問の答えを過去に探す人々」

 東側と西側がともに成長し、また移民と統合のおかげで、私たちの国は過去30年でますます多様になりました。いま直面する課題は、多くの異なる人々がともに平和に暮らせる方法を見つけることです。簡単なことではありません。しかし(多様性を支える)自由の表現とは、そのために多くの先人が戦い、それなしに私たちが生きようとは思わない、この国の特徴なのです。

 私たちの団結とは、自由と多様性における団結であり、ドイツはそれを常にヨーロッパの文脈で定義せねばなりません。私たちは独りよがりではなく、欧州の中にあるドイツのために決定しました。私たちが歩み続けたい道です。

 しかし、未来への疑問の答えを過去の中に探す人々はいつもいます。民主的に選ばれた(議員からなるベルリンの)連邦議会の前で、1871年のドイツ帝国の黒、白、赤の旗や、帝国の戦争旗を振る人は、何と歴史に無知なことか。彼らは攻撃的なやり方で、権威主義的で取り残されるような別の国家を望んでいます。彼らはこの共和国、私たちのこの民主主義を体現しない伝統に従っています。

今のドイツ国旗とともに、かつてのドイツ帝国旗(中央)を振って練り歩く右翼団体の集会参加者=2019年10月、ベルリン。朝日新聞社

 それは違うのです。いま、私たちは自由への運動の基盤と民主主義の歴史の上にしっかりと立っています。ハンバッハ・フェスト、(フランクフルトの)聖ポール教会、ワイマール共和国の民主主義、基本法(戦後憲法)、平和革命のアイデアを描いています。こうした歴史的ルーツのある自由と民主主義の伝統を誇りに思い、そしてユダヤ人の大量虐殺という底知れぬ闇から目をそらしません。この民主主義の歴史の色は(いまのドイツ国旗の)黒、赤、金――団結と正義と自由の色です。

 私たちの国の三色であり、民主主義の建物の前に示されています。この三色が追いやられ、虐げられ、吸収されることを許しません。私たちの色である黒、赤、金をしっかりと保ちます。

 いまのドイツでは、労働者としての移民に加え、紛争地からの難民への対応が課題だ。多様性を認め合い共存することを「この国の特徴である自由の表現」という言葉で示し、それがドイツの「民主主義の歴史」によって培われたことを説明する。

 その例として、第一次大戦後にできたドイツ初の民主制であるワイマール共和国、第二次大戦後に西ドイツの憲法となり再統一ドイツに継がれた基本法、そしてベルリンの壁崩壊から再統一にいたる平和革命を挙げる。

 ただ上の写真にあるように、その自由と民主主義を象徴するドイツ国旗(黒、赤、金)が、排外的な右翼団体の集会でドイツ帝国旗(黒、白、赤)とともに掲げられるのが、いまのドイツの一面でもある。

東側の疎外感と西側の無関心

 再統一から30年経ち、私たちはいまどこにいるのでしょう。私たちはパラドックスの中にいます。来るべきだったところまでは決して来ていません。しかし、思ったよりも遥かに進んでいます。

 再統一30年を祝ってきたシュタインマイヤー大統領は、「パラドックス」という表現でその光と影に言及する。まず影の部分、なお残る東西格差だ。

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