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大阪入管トルコ人暴行骨折事件で、国が謝罪し再発防止を約束するまで

和解の経緯と残された課題

岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員

 2017年7月12日、大阪入国管理局(現「大阪出入国在留管理局」。以下「大阪入管」)に収容されていたトルコ国籍のムラット・オルハンさんが、大阪入管の職員らから「制圧行為」と称し、右肩を骨折、右肘も捻挫する暴行を受けた。

 朝日新聞デジタル『強制収容トルコ人男性と国が和解 入管が異例の「謝罪」』で、ムラットさんが「制圧」される様子を映した生々しいカメラ映像(弁護団が公表)を見ることができるので参考にしてほしい。

 負傷後も収容生活が続く中、満足な治療やリハビリが受けられず後遺症が残ったムラットさんは、重大な損害を被ったとして2018年5月29日、大阪地裁に国家賠償請求訴訟を起こした。その後仮放免され、2年4か月が過ぎた2020年9月29日、国が謝罪し、300万円を支払うことなどによる和解が成立した。

 ここに至るまでの経緯を報告したい。

2020年10月1日、大阪地方裁判所の司法記者クラブにて会見するムラットさんと弁護団

裁判の争点

 今回の訴訟における主な論点は次のとおり。証拠資料としては「制圧行為」と称する上記映像資料が提出された。

①ムラットさんは、単独室(床が畳の部屋)から保護室(緑色のマットの部屋。被収容者からは「保護室」ではなく「懲罰室」とよばれていた)に移動させられた。頭痛薬を飲んだ後の服薬確認をめぐる些細な行き違いが発端で、「懲罰」など与える必要はなかった。
②「制圧」と称する暴行を受けたことにより、右肩を骨折、右肘も捻座する等負傷した。
③負傷した直後、本人が気を失った後も、後ろ手に10分間手錠をかけられ(負傷した右肩や右肘に負荷がかかる)、1時間半後に病院に搬送された。
④病院では手術を受けたが、その後適切なリハビリ治療を受けられなかったことにより、後遺障害が残った。

事件の発端は「コミュニケーション」の齟齬

 尋問期日に弁護団から提出されたビデオを見ると、薬と水を小さな窓から手渡され、その場で飲むムラットさんの姿があった。

 その後、彼より年の若い大阪入管の職員が、口を大きく開けて舌を出しながら「ア、ア」とだけ言う。本当に服薬したかどうかを確認するための行為だというが、普段は自ら口を空けて服薬確認に協力していたムラットさんは、自分より年下の職員から挑発を受け、侮辱されたと感じたそうだ。

 「渡された頭痛薬を飲む様子を彼は目の前で見ていたのに、なぜまたそんな行為をさせようとするのか。『ア、ア』はトルコでは子どもに対して使う言葉。普通に『口を開けて』と言われたら応じようと、抗議の意で口をつぐんでいた」

 その後入管職員は他の職員らに応援を頼み、入れ替わり立ち替わり「おい」などと声をかける。だんまりを決め込んでいたムラットさんも苛立ち、(職員の方ではなく)誰もいない部屋のすみへ本を放り投げて怒りを示した。それをみた一人の職員は、肩をつかんで揺さぶった。

 収容場内にはエアコンがきいておらず(それだけでも大きな人権侵害だが)、上半身裸でいたムラットさんに他人が素手でさわる行為は、トルコのようなイスラム教圏ではタブーである。相手の同意なく「肌に触れる」、ましてや「つかんで揺らす」ことは、挑発や攻撃の意味をもつ。

 そのときまで黙っていたムラットさんは「私に触らないで!」と強く抗議した。しばらくすると大勢の人に抱えられるように、収容者の間で「懲罰室」と呼ばれている緑色のマットの部屋まで連れていかれた。

 その部屋に入るや否や、ある職員がムラットさんに足払いを仕掛けて倒し、その上に合計7人もの職員が次々と覆いかぶさる。右肘に関節技をかけられ、右腕を不自然にねじりあげられ、しばらくしてぐったり倒れこんでいるムラットさんは(本人によれば15分くらいは気絶していたそうだ)、後ろ手で手錠をかけられていた。

 「薬飲んだらちゃんと飲んだか確認いつもやってるでしょ。ね。それには応じてください。わかりましたか。話できる? 座って話できますか?」と一方的に話しかけたりする様子が明らかになった。

 ちなみに職員がしかけたこの関節技(肩関節を後ろからねじり上げる)は、弁護団や後遺障害認定をした医師によると、レスリングなどの格闘技では「ハンマーロック(Hammer Lock )」と呼ばれ、骨折等しやすく“危険技”として禁止されているそうだ(しかしハンマーロックは逮捕術における重要な拘束技術の一つだそうで、警察官や警備官は「逮捕術教育」の中でこの技術を教育されているという)。

 結果、ムラットさんは、右上腕骨近位端骨折(プレート固定術後肩関節拘縮)、右肘関節過伸展捻挫(靭帯関節包損傷の疑い)、上腕骨小頭および橈骨頭部骨軟骨骨折(骨挫傷)、右腋窩神経損傷後の怪我を負い、後遺障害も生じたと診断された。

提携病院では満足な医療を受けられず

 事件後気が付いたムラットさんは、激しい痛みから骨折を疑い、「病院へ行きたい」と強く主張するも、最初は看護師が氷まくらをもってきただけだったという。

 それでも強く訴えたところ、ようやく受診がかなった。翌日(13日)に入院、翌々日(14日)に手術を受けた(このときの処置方法も、後遺障害認定をおこなった医師によると、必要以上に大がかりな手術が行われており、疑問が残るとのこと)。

 7月18日に退院した後は、大阪入管での収容が再開される。その後、通院は月に1回程度しか認められず、通院時に通訳者が同席することもなかった。リハビリを希望しても、理学療法士が関与することなく、医師からは「自分で適当に動かしておいて」と言われただけだという。

 ムラットさんいわく、「どんなリハビリ方法かわからなかいから聞いているのに、見捨てられていると感じた」。

 入管は、収容という行為で自由を奪う以上、被収容者が罹病し、または負傷したときは、医師の診察を受けさせ、病状により適切な措置を講じる義務を負っている(被収容者処遇規則第30条)。加害者であるというべき大阪入管がこの義務を怠っていたという事実は、深く反省されるべきである。

十数年前とまったく変わっていない体質

 収容場には色々な国の人が収容されている以上、世界の様々な文化に対する理解を深めることが職員の資質に問われると思うが、そういう研修はまったくされていないと聞く。ムラットさんを必要以上に追い詰めた挙句「脅威を感じた」ということで、職員が大人数で連れ込みいきなり転倒させる行為は、もっと他にコミュニケーションの術があったのではと感じる。権力の濫用が日常的に行われていることが、この映像からも明らかになった。

 入管の収容施設がどのようなところか、そこでどのようなことがおこなわれているかは私自身、大阪府茨木市に「西日本入国管理センター」があった頃、UNHCRの職員と一緒に難民申請中のトルコ国籍の収容者の通訳をしたことがありよくわかる。

 初めて聞き取りをしたときは、そのあまりに非人道的な処遇に非常な衝撃を受けた。

 「仮放免中、毎月出頭し、毎月延長されていた。ところがある日突然、即収容となった。ちょうど妻と2歳の子どもが来日したばかりで、ロビーで待たせていたので、『せめて全く日本語のできない妻に事情を一言伝えさせて』といったがダメだった。夕方閉庁するまで何時間もずっと2人で待ち続け、不安と悲しみで途方にくれたと後日面会に来た妻から知らされ、自分がとてもやるせなかった」
 「ここ(=西日本入国管理センター)はまだ暴力が振るわれないからよい。これまで2か所の収容場を経験してきたが、名古屋でも大村でも、殴られたり足でけられたりすることは日常的におこなわれていた」
 「トルコ人留学生が自分の通訳に呼ばれたが、クルド人で迫害を受けた行為の数々を述べると、『この人はうそをついています。私の国でこんな話はきいたことがない』と、すべての証言を否定された。実体験を話しているのに、通訳からも差別されるとは」

 もう十数年前のことだが、一つ一つの証言が、まるで昨日のことのように思い出される。

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