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スウェーデンの新型コロナ対策の背後にあるもの

花田吉隆 元防衛大学校教授

ストックホルムの街を行き交う人たち。マスク姿はほぼ見かけなかった=10月5日、下司佳代子撮影

 新型コロナの感染拡大が止まらない。北海道、東京、愛知、大阪等、過去最多を記録するところが目白押しだ。政府分科会の提言に基づき、11月21日、政府はGo Toトラベル運用見直しを表明した。

 目を世界に転じれば、事態ははるかに深刻だ。米国は、一日当たり感染者数がとうとう17万人を超え、欧州は、再度のロックダウンに追い込まれた。そういう中で、ただ一国、スウェーデンのみがロックダウンと無縁の我が道を行く。

 スウェーデンとて感染被害は甚大だ。それでも頑として、マスク・フリー、ロックダウン・フリーを止めようとしない。この春、パンデミックが欧州を襲い多くの犠牲者を出した時、スウェーデンはロックダウンをせずそのまま通常営業を続け、町は、マスクなしの多くの人であふれた。その光景は今も変わらない。スウェーデン独自のコロナ対策の背後にある考えは何か。このまま今の政策を続けていけるのか。

 スウェーデンが、他の欧州諸国を尻目に、頑としてロックダウンを拒み続けるのは、パンデミック対策は各人の責任において行われるべきであり、国がとやかく規制すべきでない、と考えるからだ。コロナ対策の基本は、PCR検査の拡充と感染者の行動追跡だ。国がそれ以上踏み込んでも、規制が細かくなればなるほど守らない者も出るし、そうなれば効果も薄れる。それよりむしろ、国民が各自の責任で、社会的距離を取りテレワークを実践する方がずっと効果的ではないか、という。

集団免疫の考えに立った感染対策

 スウェーデンといえば、社会福祉が最も進んだ国であり、ゆりかごから墓場まで、国が生活のあらゆる面にわたり面倒を見るとのイメージが強い。そういうところで、感染防止についてだけ、国は面倒見ない、各自が自分の責任でやれ、というのも矛盾する気がするが、ことコロナ対策に関し、効果的なのは自己責任主義しかない、というのがスウェーデンの考えらしい。

 ところで、スウェーデンの感染対策が、基本的に集団免疫の考えに立っていることはよく知られる。集団免疫とは、集団の一定数が免疫を獲得した時、初めて感染が終息するとの考えであり、ワクチンができるまで、これが唯一の有効な手段だ、とする。ロックダウンは、一時的効果はあるが、人が動き出せばまた感染が広がってしまう。

 問題は、社会が集団免疫を獲得するまで犠牲を覚悟しなければならないことだ。現に、スウェーデンは多くの犠牲者を出している。高齢者を中心に死亡者が6000人以上に上る。スウェーデンは人口1000万の小国だから10万人当たりの死亡者数に直せば60人になる。これは近隣のノルウェーやフィンランドに比べ10倍も多い値だ。ロックダウンをしていれば被害は1/10に抑えられたかもしれず、集団免疫の致命的欠点がこの点にある。

 英国も、初め集団免疫を目指したが、ジョンソン首相自身が集中治療室に入り、また、感染拡大が止まらない中、そうも言っていられなくなった。結局、最後は国民が音を上げロックダウン導入に転換するしかなかった。

 集団免疫が効果を発揮するには、社会の一定数が免疫を獲得する必要がある。しかしそれには長い時間が必要だ。スウェーデンが春の第一波に襲われた時、免疫を獲得したのは国民の2割程度に過ぎず、それから半年以上経過した現在、この数値は相応の上昇はしていようが集団免疫になるにはほど遠い。それでも第一波がひとまず終息に向かったのは、社会的距離やテレワークの実践に加え国民の免疫獲得があったからだ、というのだが。

政府に対する「信頼度」が高いスウェーデン

 スウェーデン国民は、今のところ政府の政策を支持している。英国とスウェーデンを分けるのは、結局、社会がどれだけ犠牲を許容できるかだ。スウェーデンは許容度がはるかに高い。つまり、政府に対する「信頼度」が高いから、半ば過激とも思える集団免疫政策を続行できる。逆に言えば、

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