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オンラインが変える対面の世界

デジタルがアナログを駆逐することはない、両者はいかに棲み分けていくか

花田吉隆 元防衛大学校教授

複数の大学の吹奏楽部員たちが受講した特別講義の画面=2020年5月17日

 新型コロナウイルスは我々が見る世界の風景を一変させた。2020年の年初、誰がこのような変化を予想しただろう。今、我々はコロナ前とは全く別の世界に住むことになった。

 この一年で世界は激変した。政治も(安倍前首相やトランプ大統領もコロナがなければ別の形で年明けを迎えたかもしれない)経済も(特定の業態が立ち行かなくなるとは誰も予想しなかったし、巨額に膨れ上がった債務は今後我々に重くのしかかっていく)、そして何より我々の心理も(非接触の世界がどういうものか、我々は嫌というほど思い知らされた)コロナがいいようのない暗い影を落としている。後世、2020年が歴史の大きな転換点として記憶されることは間違いない。

 コロナは我々の生活を大きく変えた。その中の一つに、デジタル化の加速がある。テレワークは思いもしないスピードで我々の生活に浸透した。思えば2020年春、いきなりパソコンを前にし、さあテレワークを始めろ、と言われた時は驚愕した。若年層はともかく、年齢の高い層は、こういう文明の利器に抵抗感がある。高齢者がパソコンを使いこなせず、急激に進むデジタル化の流れの中で、取り残された存在になりつつあるのは大きな社会問題だとして、それより若い世代でも、いきなりテレワークをやれと言われれば誰もが戸惑いを覚えざるを得ない。しかし、コロナは有無を言わさなかった。

「移動」の意味を問い直したテレワーク

 しかし、やってみればテレワークに多くの利点があることが分かった。テレワークとは、「移動」が所与の条件でないということだ。これは大きい。

 これまで我々は、空間を移動して活動することを当然のことと考えていた。コロナはそれに疑問を呈し、「空間の距離」が絶対の条件でないことを示した。今、人は「空間的距離」を考えずに活動できる。

 その結果、オフィスの意味が問い直され、地方在住のまま都心の勤務が可能になった。無論、テレワークには揺り戻しがある。コロナが一服した夏ごろ、テレワークから通常のオフィス勤務へ回帰する向きも多くあった。しかし、一度味わった蜜の味は忘れられない。長期の大きな流れとして、テレワークを否定し去ることはもはやできない。我々は昨日の世界に戻ることはない。

 テレワークとかオンラインが「移動」の意味を問い直したことは大きい。例えば、我々は、長時間かけ地方から都心の会議室に集まる必要がない。全国どこでも、離れた場所からオンラインで会議に参加できる。やってみればこんな便利なことはない。今まで半日仕事だった会議への出席がほんの一時間で済む。移動に要する時間が大幅に短縮だ。

 会議といっても色々だ。ひざを突き合わせた、対面での会議でなければこなせない議題もあるが、逆に、会議をしたこと自体に意味があるのも多い。こういう形式的なもののため、半日かけて集まることの非効率は改めて説明の要がない。オンラインはこの非効率を一気に解消した。

オンライン授業が思わぬ効果

 春、オンライン授業をいきなりやれと言われた多くの教師は面食らった。やむを得ず見よう見まねで取り組み、何とか一年が過ぎた。冷や汗ものだ。当初、オンライン授業は対面を代替するものではない、教室でじかに学生と触れる機会こそが何物にも代えがたい教育と思っていた。今も、その考えに変わりないが、オンラインが思わぬ効果を持つことも知った。

 第一に、学生は大学の所在地にいる必要がない。学生は全国津々浦々に居ながらにして遠隔の大学に通学できる。例えば、どうしても実家から離れることができず、やむを得ず地方に在住する学生も、都心の大学に通うことができるようになった。学生は日本にいることすら必要でない。世界中から受講が可能だ。無論、時差があるから、ニューヨーク在住の学生は日本時間の早朝に開講される授業しか受けられない。しかし、早朝の授業なら地球の裏側からの参加も可能だ。今、世界中の学生は、無限の留学の可能性を手にすることとなった。

 第二に、リカレント教育の可能性も広がった。高齢化社会にあって学び直しは重要だ。マーケットにはその大きな需要がある。ということは、少子化による学生数の減少は、社会に出てから学び直すリカレント教育の需要で穴埋めできるということだ。

 オンラインは、通学時間を気にせず空いた時間を利用しコンパクトに学習することを可能にする。仕事をテレワークで片づけ、

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