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暗闘、駆け引き、失速、混迷……2020年日本政治の検証と21年の展望

新型コロナ、安倍政権退陣、菅新政権誕生、解散・総選挙……激動の政治の来し方行く末

星浩 政治ジャーナリスト

 2020年秋、安倍晋三首相が退陣し、菅義偉官房長官が後継首相に選ばれた。新型コロナウイルスの感染拡大で大きく揺れた日本政治の底流で何が起きていたのか。そして、21年の日本政治には何が待ち受けているのか。検証と展望を書いてみたい。(肩書は当時)

5月には「安倍vs菅」の対立が始まっていた

 元建設相で、いまは立憲民主党の中村喜四郎衆院議員は、2020年5月23日付の読売新聞の朝刊を読んでピンときた。

 「これは政変の幕開けだな」

 黒川弘務東京高検検事長が、賭けマージャンの責任を取って辞任、黒川氏の定年延長とそれを一般化する検察庁法改正案の成立断念の経緯を解説する記事だった。安倍晋三首相が周辺にぼやいたという発言が紹介されていた。

 「菅さんが『やった方がいい』と言っている。仕方がない」

 世論の強い反発を浴びた黒川氏の定年延長も検察庁法の改正も、菅義偉官房長官が主導した案件であり、安倍氏は乗り気ではなかったというのだ。

 「評判が悪かった黒川問題を、安倍氏は菅氏の責任にしようとしている。菅氏がその雰囲気を察知して反発するのは間違いない」と中村氏は見抜いた。「安倍vs.菅」の政変の匂いを感じ取っていたのだ。

 中村氏は1990年代前半、自民党の中核だった田中・竹下派のプリンスと言われながら、小沢一郎元幹事長との権力闘争や収賄罪での実刑判決などで政界の表舞台から姿を消していた。それでも、持ち前の鋭い政局観は衰えず、いまは自民党に対抗できる野党勢力結集に向けて、野党各党間の接着剤の役回りを演じている。

 中村氏の見立て通り、首相官邸では新型コロナウイルスの感染拡大をめぐっても、安倍首相と菅官房長官にすきま風が吹いていた。そんななか、休日返上でコロナ対策の会議に臨む安倍氏には、疲労の色がにじんでいた。

インタビューに応じる中村喜四郎衆院議員=2019年9月17日、東京・永田町

二階氏は菅氏は「脈あり」と見定めた

 30年ほど前、田中・竹下派で中村氏と同じ釜の飯を食った二階俊博幹事長も、5月には「ポスト安倍」に向けた動きを察知していた。コロナへの対応が後手に回り、安倍政権への逆風が強まっていた。「安倍首相は秋まで持つまい。自分が次の政権でも生き残るにはどうすればいいのか」と思いを巡らせていた。

 通常国会が閉幕した6月17日。二階氏は東京・東麻布の中国料理店で菅官房長官と会食した。森山裕国会対策委員長らが同席した。冒頭で菅氏が「150日間の長丁場、お疲れさまでした」と二階氏らに感謝した。料理がひと段落した後、二階氏が話しかけた。「菅さん、あんたも次のことを考えないとね」。安倍首相の後継に手を上げてはどうかという誘い水だった。部屋中が一瞬、静まり返った。

 「いやいや」と笑いながら答えた菅氏。二階氏は「脈あり」と見定めた。この後、菅氏は二階氏にとって「ポスト安倍」に向けた有力なカードとなっていく。

安倍首相は岸田政調会長を推していたが……

 安倍首相は後継に岸田文雄政調会長を推していた。岸田氏は2018年の総裁選で出馬を見送り、安倍氏を支持。総裁選は安倍氏と石破茂元幹事長との一騎打ちとなった。岸田派(宏池会)が安倍氏を推したことでしたことで安倍氏圧勝の流れができた。

 安倍氏が岸田氏を推したのは、この「恩義」に加えて、岸田政権なら安倍氏の影響力を残せるという計算があった。安倍氏の指南役でもある読売新聞の渡辺恒雄主筆も、岸田氏を推していた。渡辺氏は、岸田氏の父親、故文武氏(元通産省中小企業庁長官、衆院議員)の友人だった。

 岸田氏自身も安倍氏からの事実上の「禅譲」を期待していた。一方で、石破氏も総裁選に意欲を示し、「反安倍」の路線を鮮明にしていた。石破政権になれば、森友問題や桜を見る会の問題などが再調査され、安倍氏の影響力が大きくそがれていくことは明らかだった。

 そうした状況下で、二階氏の打つ手は巧みだった。石破氏を「有力な総裁候補」と持ち上げて、安倍氏を揺さぶる。岸田氏については、「政策判断が優柔不断で、日本を任せられない」と不満を明らかにしていた。次第に二階氏の求心力が強まっていったが、二階氏は「菅後継」というカードを表に出すことはなかった。

自民党の役員会に臨む菅義偉首相(右)と二階俊博幹事長=2020年12月15日、東京・永田町の自民党本部

菅氏は二階氏に「よろしくお願いします」と頭を下げた

 安倍首相は連日のコロナ対策の心労もあって、持病の潰瘍性大腸炎の再発に悩まされていた。8月17日、慶応病院で検査と診察を受けた。7時間ほど滞在したが、そのうち6時間ほどはベッドで眠っていたという。疲労は極限に達していた。

 8月24日にも再び慶応病院で診察を受けた安倍氏は、首相を続けることは困難だと判断。28日には退陣を表明した。7年8カ月の長期政権が幕を閉じることになった。

 二階氏の動きは素早かった。翌29日、国会近くのホテルで森山国対委員長、林幹雄幹事長代理と総裁選の日程などを話し合った後、「菅さんの考えも聞いてみよう」と提案。マスコミに気づかれない場所を探すことになり、東京・赤坂の衆院議員宿舎内の会議室を予約した。夜8時過ぎ、二階、森山、林の3氏に菅氏が加わって、総裁選の方法や日程を詰めた。

 ひとしきり、話し合いが終わったところで、二階氏が切り出した。

 「こうなったら菅さん、あんたがやればいい」

 森山、林両氏の視線も集まる中、菅氏が突然、起立し、頭を下げた。

 「よろしくお願いします」

 初めて口にする出馬表明だった。

退陣表明から2日で流れができた

 二階氏は、二階派の幹部でもある林氏に命じた。

 「派閥の全員に菅さん支持の署名を書かせろ。書かない奴は即、除名だ」

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