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コロナ禍に乗じてアルジェリア政府がデモを規制、高まる国民の不満

[21]貧困層が35%、憲法改正の国民投票もボイコット

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 アルジェリアでは2019年2月から市民による大規模な反政府デモが続いている。世界的な天然ガスの生産国でありながら、腐敗と不効率な国政運営によって経済格差や貧困、失業が拡大したことへの国民の不満が噴き出した。2020年春のコロナ感染拡大に際し、政府は外出禁止策に乗じて、デモの抑え込みを図ったが、逆に経済危機や医療危機が表面化し、国民の批判はさらに広がっている。

 アルジェリアの新型コロナウイルスの感染状況は、2月5日時点で確認陽性者が10万8116人、死者2900人である。2月1日の100万人あたりの陽性者数は2453人、死者は66人と、4400万の人口としては極めて少ない。一方で隣国のチュニジアは100万人あたりの陽性者が1万7772人、死者576人で、それぞれアルジェリアの約7~8倍となっている。

アルジェリアの新型コロナウイルス感染状況(2021年2月5日時点) 出典:世界保健機関アルジェリアの新型コロナウイルス感染状況(2021年2月5日時点) 出典:世界保健機関

 両国は気候も風土も国情も大差はないため、アルジェリアはコロナの検査が決定的に不十分で感染状況を把握できていないか、政府が意図的に実数を隠しているか、どちらかの可能性が考えられる。実際、国内では市民のSNSで、政府発表は実際の数字を割り引いているのではないかと疑う声が出ている。

 アルジェリアでは2020年2月25日に初めての陽性者が確認され、3月17日に貨物以外の陸路、空路、海路を封鎖し、さらにすべてのデモを禁止した。同22日には航空機の国内便も停止し、学校、大学、レストラン、ナイトクラブ、公共交通機関を封鎖した。23日からは全国的に夕方から早朝までの外出禁止令を発出した。

 一連のコロナ対策の中で注目されたのは、海外との交通を遮断した3月17日に国内のデモを禁止したことだ。テブン大統領は「感染症の拡大は国家的な医療セキュリティの問題であり、国民の健康を一時的に守るために、あらゆる形式の集会や行進を禁止するなど国民の自由を制限する」と語った。

 アルジェリアでは、金曜日ごとに大規模なデモが続いてきた。大統領演説の3日後の3月20日、デモ禁止令の後、初めての金曜日で、1年以上ぶりに街頭デモが行われなかった。デモを主導してきた市民の民主化勢力「ヒラーク」(「運動」の意味)がデモの停止を呼びかけたためである。

 デモは1999年に就任したブーテフリカ大統領が2020年2月に第5期を目指すと発表したことをきっかけに始まった。当時82歳だった大統領は2013年に脳卒中を患って以降、公の場にほとんど姿を現していなかった。そのため実質的に権力を押さえている軍の傀儡になっていた。ブーテフリカ氏の立候補に反対するデモが始まり、2019年4月に大統領は辞任に追い込まれた。その後も、大規模な金曜デモは「軍主導体制の終焉」を求めて続いた。

 市民組織のヒラークには特定の指導者や指導部、特定の思想・信条はなく、体制改革を求める市民組織や政党、個人が集まっていた。政府は2019年12月に大統領選挙を実施し、ブーテフリカ政権で首相を務めたアブデルマジド・テブン氏が当選した。テブン大統領は就任とともにヒラークとの対話を掲げ、活動家の一部を釈放した。しかし、2020年1月、2月と市民のデモが続くなかで、コロナが襲来した。

アブデルマジド・テブンアルジェリアのアブデルマジド・テブン大統領

 政府は3月中旬の外出禁止令に乗じて、ヒラークに対する弾圧を強めた。その象徴となったのは、フランスに拠点を置く「国境なき記者団」のアルジェリア契約記者であるジャーナリスト、ハーレド・ドラレニ氏の逮捕だった。

 ドラレニ氏は3月初めにデモを報道して逮捕された。この時は、国境なき記者団や米国の「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)の非難を受けて3日後に釈放した。しかし、3月下旬の外出禁止令後に再び警察に逮捕され、「集会を煽り、国家の統一を乱した」として訴追された。ドラレニ氏は9月に禁固2年の判決を言い渡された。

 政府は4月初めに外出禁止など新型コロナ対策に従わない行為を犯罪として、その中に「フェイクニュースやうわさ」の拡散を「国家の治安を侵害する行為」として加える刑法改正を閣議で承認した。CPJはこれを政府による言論規制だとして、「報道の自由を侵害している」と非難した。4月上旬と5月上旬にそれぞれ3つ、計6つのニュースサイトがブロックされ、読者がアクセスできなくなったという。

 デンマークに本拠を置く「欧州・地中海人権ネットワーク」は2020年6月中旬の記事で「ヒラークは感染対策で、逮捕ではなく隔離された」と皮肉るタイトルの記事で次のように書いた。

 「ヒラークは3月初めからコロナの感染拡大を食い止めるためにすべてのデモの停止を決めたが、政府はヒラークの活動家の逮捕を続け、3月半ばから(6月半ばまでに)100人を拘束している。コロナ感染が広がる中で、多くの人権活動家、市民組織活動家が拘束されている」

コロナ禍による政府の支援は国民一人80ドル

治安当局と対峙するアルジェの市民たち= 2019年3月19日 BkhStudio/Shutterstock.com治安当局と対峙するアルジェの市民たち= 2019年3月19日 BkhStudio/Shutterstock.com

 政府がとった外出禁止令や集会禁止令はコロナ対策という名目だったが、国民には1992年から2011年まで19年間続いた「テロ対策」としての非常事態令の記憶と重なった。1991年、総選挙でイスラム系政党が圧勝する形勢になった際、軍がクーデターによって選挙を中止してイスラム系政党を非合法化し、翌92年から非常事態宣言を発出した。そしてイスラム過激派と軍の衝突が続いて内戦状態となり、90年代末までに10万人以上の死者を出した。

 しかし、1990年代後半にはイスラム過激派は制圧され、その後、非常事態宣言は「テロ対策」の口実で、政府批判勢力を封じる手段に使われた。ところが、2011年に「アラブの春」が始まり、チュニジア、エジプトで政権が崩壊し、アルジェリアでもデモが始まったため、政府は民主化のポーズをとるために非常事態宣言を解除した。

 政府はコロナ対策で非常事態として強権的な手法をとったが、経済的に大きな犠牲を国民に強いるものであり、かつ、経済支援の不十分さや医療環境の脆弱さが露呈した。

 米ワシントンに拠点を置き貧困問題に取り組むボルゲン・プロジェクトのサイトに「アルジェリアは4200万の人口で集中治療室(ICU)がわずか420床しかない」とする記事が出た。「アルジェリアは石油関連産業から富を得ているが、政府は病院を拡充したり、近代化することにわずかの資金しか配分しなかった。2014年に政府は5つの近代的な大学付属病院を建設する計画を提案したが、実現することはなかった」と書いている。

 さらにコロナ禍による世界的な経済減速で、石油価格が急落したことが、政府の財政状況を悪化させた。世界銀行の資料によると、石油・ガス収入は、輸出の94%、国内総生産(GDP)の19.5%、政府歳入の41%を占める。2020年春の石油価格の下落によって、政府は5月初めに公共支出の50%削減を発表した。国際通貨基金(IMF)は2020年の経済成長率をマイナス5.5%と予測している。

 財源の大幅な減少で、コロナ対策に伴う経済政策としての支援は国民一人80ドル(8500円)にとどまった。5月半ば、外出禁止令の6月中旬までの延期が発表された。アラブ紙「シャルクルアウサト」によれば東部の2都市で中小企業者による営業再開を求めるデモが起こったという。

 デモに参加した家電販売店主は「政府の都市封鎖によってみな破産寸前なのに、政府は我々が求める税金や電気・水道料金の免除をしない。みんな怒っている」と語る。さらに

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