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人口あたりの病床数は世界一なのにコロナ医療が逼迫する日本に必要なのは…

「医は仁術」という精神が希薄に?「ヒポクラテスの誓い」に忠実であれ

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

 所用で日本に帰国中、コロナ禍を報じるテレビのドキュメンタリー番組を見ていて、違和感を感じたシーンがあった。かなり大きな私立病院の事務局長が、新型コロナの影響で経営が困難に陥ったことを訴えたシーンだ。

 トイレ、バス付きの「1泊1万円」の病室(複数)を自慢げに見せながら、「新型コロナの影響で全室の空き室状態が続いている」と嘆き、従って「経営が苦しい」と訴えたのだ。ホテルの経営者ではない。病院の事務局長、つまり経営担当者だ。

 一方で、集中治療室が足りなく、しかも、日夜、疲労困憊しながら重症患者の治療に当たっている病院がある中で、この事務局長の堂々たる嘆きにはショックを受けた。

医療現場からの切実な声

 知人の友人の医師の告白を聞いたばかりだったこともある。彼は東京近郊の公立病院で、医師も看護師も不足する真の医療崩壊状態の中で、必死に100人以上のコロナ患者の治療に当たった。

 「コロナの治療に当たることができる医師や看護師、病床のうち、実際に対応に当たっているのは2割程度というのが日本の現状だ。残り8割は逆にコロナ禍で暇をかこっている。医療資源の適材配置が全くできておらず、医師会も行政も医師や医療スタッフを不足している窮地の現場へ動かそうとしない」

 これが現場からの声に他ならない。

ベッドを透明シートで囲み個室化した救命救急センターの大部屋=2020年10月13日、川崎市

人口あたり病床数は世界一

 フランスでは新型コロナによる重症者が急増した昨年春から夏にかけて、パリなどの大都市病院の集中治療室に収容しきれず、患者を航空機やヘリ、仏新幹線TGVで集中治療室の空きのある地方の病院に転送していた。マクロン大統領は、「これは(コロナとの)戦争だ」と断言し、当時、最も感染者が多かった仏東部ミュールーズにある軍病院(仏全土に軍病院は8棟)の敷地に野戦病院を設営し、急きょ40の集中治療室を設置した。

 これに対し、日本の人口あたりの病床数は世界で最も多い。日本医師会の2021年1月発表によると、急性期医療病床数は人口1000人当たり日本は7.8(2018年)、ドイツ6.0(2017年)、フランス3.0(2018年)、イタリア2.6(2018年)、米国2.5(2017年)だ。総病床数になると、日本13.0(2018年)、ドイツ8.0、フランス5.9(2018年)、イタリア3.1(2018年)、米国2.9(2017年)と断トツだ。

 また、日本はこれだけ多数の病院があるのに、PCR検査などが容易に受けられない。いささか私怨めいて恐縮だが、フランスが1月末、英国型の変異ウイルスが発見された日本など多数の国との原則的な出入国禁止を決めたので、パリに戻る前に急きょ、72時間以内のコロナ検査の陰性証明書が必要になった。ところが、保健所は無症状者の面倒はみない。やっと見つけた検査受付の医療機関で、約3万円也を払って証明書を入手したが、フランスなら無料なのに、と思わざるを得なかった。

偏差値の高い子どもが医学部に進む現実

 なぜ、日本の医療はここまでチグハグなのか。まったくのシロウト考えだが、日本で「医は仁術」という精神が希薄になっているからではないかと思えてならない。

 一般的に「お医者さまはお金持ち」と見られている。「親が医師なら、子供に跡を継がせる」も多い。また、偏差値の高い子供が名門大学の医学部に進むという傾向も否めない。そもそも、本当に医師になりたくて医者になった医師が日本には何パーセントいるのか。残念なことに、こうした統計は見当たらないが、知性や仕事への情熱があることと偏差値が高いこととは別物だと思う。

 知人のフランス人の外科医が、「女の子にうつつを抜かしていて、バカロレア(大学入学資格試験、通常6月実施)に落ちたが、医師にどうしてもなりたくて、バカンス中に猛勉強して秋の追試験で合格した」と言っていた。無事、パリ第5大学(医学部)を卒業して大学の付属病院の外科医になり、同大教授にもなった。

「ヒポクラテスの誓い」を読み上げて医師に

 この教授が試験官を務めた医学部の学生が晴れて卒業し、医師になった式典を覗(のぞ)いたことがある。

 式典が実施された大学内の一室には、ギリシャ時代の理想の医師ヒポクラテスの巨大な肖像画が掲げられていた。3人の学生が分厚い卒業論文を前に、内容を審査委員長の教授、各自の主任教授の計4人の試験官の前で約30分、説明した後、教授たちの質問に答える一種の口頭試問だ。すでに論文審査には通った後なので形式的なものだった。

 3人という人数の少なさに加えて、仏の教育制度で重視されている高度な口頭試問と異なり、質問も門外漢の私でも理解できる常識的なものが含まれていたのには驚かされた。特に意外だったのが、この外科医の主任教授が学生に発した「なぜ外科医になりたいのか」の質問だった。それまで淀(よど)みなく答えていた学生が一瞬、絶句した。

 後刻、教授に質問の理由を尋ねたら、「彼は頭脳明晰、極めて優秀な学生だが、外科医には向いていないと思うので、これまでも専門を変えるように忠告してきた」と。なぜ、「外科医に向いていないかといえば、「即断ができないから」という。「手術で開腹したら、予想を覆す事態が待ち構えていることがある。その時、動揺せずに即刻、正しい判断を下し、周囲にきちんと指図できないとダメだから」

 この口頭試問が終わると、3人が揃って「ヒポクラテスの誓い」(注)を読み上げ、審査委員長の教授が、「これで諸君は医師になりました」と述べて式典は終わった。この「誓い」は日本では各大学の裁量にまかせており、実施している大学はごくまれと聞くが、フランスでは必須だ。

(注)「ヒポクラテスの誓い」
医師が守るべき倫理や任務などについての宣誓文。患者の生命・健康保護の思想、患者のプライバシー保護など、医師がまもるべき倫理がうたわれている

「国境なき医師団」を始めたクシュネルの述懐

 ノーベル平和賞に輝いた「国境なき医師団」の共同創始者であるベルナール・クシュネルは、「ビアフラの深部で、疲労困憊した夜の闇の中で、ヒポクラテスの古い原則を思い出しながら、この誓いに忠実でありたいと思った」と述懐したことがある。

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