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朝鮮戦争から見る台湾海峡有事のリスク~戦争に駆り出された日本人

歴史を繰りかえさせないためにも対米追従一辺倒からの脱却を

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

 東西冷戦時代に朝鮮戦争が勃発。占領下の日本で連合国軍総司令部(GHQ)は多くの日本人を戦乱の朝鮮海域に動員した。それから約70年を経ていま、台湾海峡有事の危機が高まっている。

 中国が台湾に侵攻し、米国が応戦するという台湾有事になれば、自衛隊が米軍の後方支援の名目で戦地に送り込まれ、兵站(へいたん)のために民間の船舶従事者が、そして医療行為のために医師や看護師らが派遣されることになりかねない。

米中対立は「新冷戦」の段階に

 バイデン米大統領は習近平国家主席を「専制主義者」と公言し、米中対立は「新冷戦」といっていい段階に達した。3月末の就任後初の記者会見においても、米中関係を「21世紀における民主主義と専制主義の闘い」と位置づけた。

 4月にはホワイトハウスで日米首脳会談がおこなわれ、「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記した共同声明を発表。首脳が交わした文書で「台湾」にふれるのは、52年ぶりのこととなった。アジア太平洋地域のパワーバランスにきしみが生じはじめたのは明らかだ。

 米国は米中対立の枠組みに日本を組み込むことで、台湾有事の際に自衛隊の軍事協力をスムーズにしたいと考えているようだ。3月の米上院軍事委公聴会でのインド太平洋軍のデービッドソン司令官による「6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある」との証言が、いよいよ現実味をもって聞こえてくることにもなった。

日米首脳会談を終え、共同会見へ臨む菅義偉首相とバイデン大統領=2021年4月16日、ワシントンのホワイトハウス

「日本人が戦地へ」は絵空事ではない

 「台湾」を明記した日米共同声明に中国は強く反発。「台湾は国内問題であり、内政干渉は許されない」として、日米双方の動きを強く牽制した。日本はこれまで、中国と台湾の両岸関係について「一つの中国を、理解し尊重する」との立場をとってきたが、今回の声明はその微妙な関係を揺るがしたかたちだ。

 中国の東・南シナ海への強引な海洋進出、対中貿易の不均衡、新疆ウイグル自治区や香港の人権状況などに神経をとがらせる米国にとって、地政学的にも最前線に位置する日本の取り込みは、最重要事項の一つに数えられる。

 外交経験が乏しい菅義偉首相は、バイデン大統領就任後の初の対面による首脳に選ばれたことを政治的な成果として喰いついたようだが、その代償は決してすくなくはない。「一つの中国」路線を譲らない習主席が、台湾問題を優先し軸足を置くようなことになれば、台湾有事は起こりうる。

 日本にとって台湾有事は、経済的なダメージや台湾から難民が押し寄せてくるといった問題にとどまらない。安倍晋三政権が憲法9条の解釈変更を断行、集団的自衛権が認められ、2015年に安保関連法が整備されたことで、憲法問題をふくめて状況はこれまでと一変している。

 日本は自国が攻められたときにのみ個別的自衛権を発動するという段階から、緊密な関係にある米国が攻撃された場合も応戦するという役割を担うことになった。一定の要件を満たさなければならないが、自衛隊をはじめ日本人が戦地に向かうことは、もはや絵空事ではなく、日本列島がその最前線となるのは避けられない。

motioncenter/shutterstock.com

軍事輸送船になった優美な帆船・日本丸

 歴史を約70年前に巻き戻そう。平和憲法が施行されてまもない1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争で、GHQの指令によって多くの日本人が駆り出された史実をみたい。

 あまり知られていないが、太平洋に浮かぶ優美な大型練習帆船の初代日本丸(2278㌧)や、海上保安庁所属の旧日本海軍掃海部隊、民間の船乗りらが、朝鮮海域で米兵や韓国兵、武器・弾薬の輸送、掃海作業に携わった。日本国内では韓国兵らの軍事訓練がおこなわれ、旧国鉄がフル稼働して軍事輸送をすることとなった。

 たとえば、「太平洋の白鳥」と呼ばれた日本丸は、帆を降ろし船体を黒く塗り、「黒鳥」となってエンジンで航海。米兵や韓国兵、韓国人避難民らを輸送した。『練習帆船日本丸・海王丸50年史』(1980年刊)によると、日本丸は1950-51年にかけて九州・佐世保から韓国の釜山や仁川などに向けて3航海している。

みなとみらい21地区に係留されている帆船日本丸=2018年6月13日、横浜市西区

 日本丸の航海日誌には、「(大分で)1950年10月23日18時、米兵8人と韓国兵512人が乗船」「韓国兵512人は(仁川で)10月29日6時に下船した」などと記録されている。朝鮮戦争当時に米軍が使用していた日本の演習場は全国各地に散らばるが、大分で日本丸に乗り込んだ韓国兵512人は、朝鮮半島にもっとも近い大分県の日出生台演習場で最後の軍事訓練を終えて出撃したと考えられる。

 憲法9条を掲げる平和憲法が施行されて3年後の日本で、米兵だけでなく韓国兵を軍事訓練して朝鮮半島の戦場に送り込んでいたという事実は、憲法違反に問われてもおかしくないのではないか。

 朝鮮戦争を契機に、GHQは日本の再軍備化を進め、自衛隊創設にいたった。日本の民間人の米国による戦争への動員は、占領という特殊な状況下において起こったことではなく、台湾有事においても同様のことがありうると考えるべきではないか。

戦後初の「戦死」を30年間近く秘匿

 朝鮮戦争開戦から約3カ月後、海上保安庁特別掃海隊が戦乱の朝鮮海域に動員された。
期間は2カ月あまり、技術の高さに定評がある約1200人の旧海軍軍人が掃海艇46隻に乗り込み、元山、群山、仁川などの海域で掃海に従事した。機雷27個を処分し国連軍の軍事作戦に寄与したものの掃海艇1隻が触雷・沈没、死者1人と重軽傷者18人をだした。

 だが、戦後に「戦死者」をだしたことと、旧日本海軍軍人を出動させた事実は30年間近く秘匿された。

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