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彼女はこうしてテロリスト扱いされ旅券を没収された(上)

イスラム国が憎む“西洋の退廃芸術”好きの女性が公安に見張られるまで

安田純平 フリージャーナリスト

 携帯電話に「イスラム国」(ISILまたはIS)戦闘員のネット画像が保存されていたために「ISILと関与」とみなされ、旅券を没収された日本人女性がいる。「ISIL」で処分された国内唯一の事例とみられるが、旅券没収の取り消しを求める裁判や本人への取材から見えてきたのは、容易に人が“テロリスト”扱いされている現実だった。

 新型コロナウイルス感染拡大防止のための3回目の緊急事態措置が始まった4月下旬、都内のカフェのテラス席で取材に応じてくれたAさんは顔の下半分をマスクで覆っていたが、胸まで下ろした黒髪が周囲の目に映ることは気にしていない様子だった。

 ロックミュージックやヘヴィメタルが好きで、中部地方の音楽スタジオで一昨年から働いており、音楽教室の受付や輸入雑貨の販売などをしている。特にファンだという英国のハードロックグループ「ユーライア・ヒープ」は欧州公演を聴きに行くほどで、今の仕事はそのファンコミュニティの仲間が誘ってくれた。

「イスラム国」が敵視するロックを愛する女性

 Aさんが「関与」を疑われているISILは、シリア内戦に乗じ、イラクやシリアにまたがる地域を支配して2014年に「カリフ制国家」の樹立を宣言した。その後、米国などの攻撃で支配地域を失ったが、ゲリラ的な活動を続けている。

「イスラム国」(ISIL)の戦闘員。シリア・アレッポ県で、自由シリア軍がISILから奪還した街に残されていたPCに保存されていた写真を、筆者が入手した「イスラム国」(ISIL)の戦闘員。シリア・アレッポ県で、自由シリア軍がISILから奪還した街に残されていたPCに保存されていた写真を、筆者が入手した

 イスラム教の厳格な解釈に基づいて支配したISILは、人々の生活の細部まで監視し、「性的」「悪魔崇拝」「神への冒涜」とみなしたものをイスラムに反するとして厳しく罰した。女性には全身を覆うニカブの着用を義務付け、違反すれば鞭打ちや罰金を課した。ロックやメタルなどの音楽は“退廃した西洋”の象徴とされ、ヘヴィメタルバンドのTシャツを着ているだけでも投獄し、携帯に1曲入っているごとに30~40回の鞭打ちの刑となった。電子キーボードを弾いたことで90回鞭打ちされたバンドグループもいたという。

 ISILは2015年11月、メタルバンドのコンサートが開かれていたパリの劇場を襲撃し、89人を殺害した。犯行声明はフランスを「売春とわいせつの首都」と嘲笑し、「(同劇場に)何百人もの背教者が売春婦のパーティに集まっていた」と非難した。また、イラクのクルドの民族宗教であるヤズディ教徒は「悪魔崇拝」とみなされて多数殺害され、女性は性奴隷とされた。

「悪魔と魔法使い」といったアルバムを出しているロックグループが好きで欧州にまで追いかけ、ファンコミュニティの飲み会にも参加し、髪を隠すこともないAさんからISILに通じるものは感じられないが、日本の外務省はそうは考えていない。

ユーライア・ヒープのギタリスト、ミック・ボックス=Chris James Ryan Photography/shutterstockユーライア・ヒープのギタリスト、ミック・ボックス=Chris James Ryan Photography/shutterstock

 Aさんは2017年5月、東欧ブルガリアなどを旅行しようと日本を発ったが、乗り継ぎの経由地である中東クウェートで取り調べを受け、「携帯電話にISIL戦闘員の写真が保存されていること等」を理由に拘束された。3日後に退去強制処分となり、再入国禁止とされたことを根拠に在クウェート日本大使から旅券返納命令を受け、没収された。

携帯電話に戦闘員の写真が保存されていた

 一般旅券返納命令書には『貴殿は、当国クウェートにおいて、貴殿の所持する携帯電話にISIL戦闘員の写真が保存されていること等から、ISILと関与のある人物として拘束された後、国外退去強制処分を受け、「再入国禁止」の措置が付されたことにより、旅券法第13条第1項第1号に該当する者となり、その結果、同法第19条第1項第2号に規定する『一般旅券の名義人が、当該一般旅券の交付の後に、第13条第1項各号のいずれかに該当するに至った場合』と判断されるに至ったため』と記載されている。

 旅券法13条1項は旅券発給拒否にかかわる法律で、1~7号のいずれかに該当した場合に「旅券を発給しないことができる」とうたっている。1号とは「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」というもので、Aさんはクウェートから「再入国禁止」の措置を受けたためにこれに該当し、旅券返納に関する同法19条に基づき旅券返納命令が出された、という説明だ。

 しかし、ダウンロードしたISIL戦闘員の写真が携帯に保存されている人など世の中にいくらでもいるだろう。それがなぜAさんは「ISILと関与」とまで言われて旅券没収される事態になったのか。

「イスラム国(ISIL)」を揶揄するコラージュの作り方を解説する画像を見せるAさん。日付は2015年2月で、クウェート空港で「ISと関与」とされた際にも携帯に入っていたという。Aさんはコロナ対策のマスクはしているが髪は隠していない「イスラム国(ISIL)」を揶揄するコラージュの作り方を解説する画像を見せるAさん。日付は2015年2月で、クウェート空港で「ISと関与」とされた際にも携帯に入っていたという。Aさんはコロナ対策のマスクはしているが髪は隠していない

 Aさんが疑われたきっかけは、イスラム法学者で元大学教授の中田考さんからアラビア語の個人レッスンを受けたことだ。中田さんはISIL司令官との人脈があり、2014年までに複数回、シリアのISIL支配地域を訪れている。2014年10月には、ISILへ参加するためにシリアへの渡航を準備した北大生に渡航支援をしたとして、私戦予備・陰謀容疑で警視庁による家宅捜索と事情聴取を受け、報道されていた。

 Aさんが中田さんから個人レッスンを受けたのは2015年9月から12月。当時、英語圏やアラブ圏を含めた海外への留学を考えており、フランス語、ドイツ語などと並行してアラビア語の勉強を始めた。

 「日本人よりも外国人が好き。外国に行ったら男の子と知り合いたいので言葉を覚えたい」というAさんは、高校卒業後に通った外国語専門学校で英語やスペイン語、モンゴル語を学んで以来、さまざまな言語に取り組んできた。

 アラビア語に関心を持ったのもその延長だ。「中東はかっこいい男の子とかわいい女の子がいるイメージ」で、イラクやシリアの情勢を詳しく追っていたわけでもなく、中田さんについての報道もほとんど接していなかったという。

イスラム法学者からアラビア語の個人レッスン

 「アラビア語を勉強しようと思ってネット検索したら、最初に出てきたのが中田さんだった。教室に通うと学費が高いし、どのような人か特に調べることなくSNSで本人を見つけて自分から連絡をとった」といい、千葉県内のカフェで3~4回、周囲からも見えるテーブル席で個人レッスンを受けた。

 この間、「アラビア語を本当に理解したければイスラム教に改宗したほうがいい」と中田さんに勧められ、都内のモスクを訪れた際にも「アラブ圏には改宗しないと留学できない学校もある」と聞いたため、そのモスクで改宗をした。しかし、イスラム教徒らしくヒジャーブ(スカーフ)などで髪を隠したのは「中田さんに会うときくらい」だったという。

 中田さんには隠していたが、当時、Aさんは都内で“水商売”の仕事をしていた。詳細は避けるが、イスラム教では禁じられている行為であり、ISILはそうした女性を多数処刑した。「ISILに関与」するほどISILの宗教観に共感を抱く人物ならば激しく憎む「反イスラム」的行為であり、それでも現役でその仕事を続けながら「ISILに関与」するなどおよそ考えにくい。

日本外国特派員協会で会見するイスラム法学者の中田考氏日本外国特派員協会で会見するイスラム法学者の中田考氏

 Aさんは、中田さんからアラビア語を習っていることを友人に話したところ、「ニュースになっていた人だから気をつけたほうがいいよ」と言われ、2015年12月でレッスンを取りやめ、以降は連絡を取っていない。

 この直後の2016年1月、Aさんは前述のハードロックグループの日本公演を聴き、会場で知り合ったファンとその後も交流を深めている。ファンコミュニティに参加したのもこのころで、飲み会にも参加してきた。

 Aさんの周囲に捜査が及んだのは2016年11月になってからだ。Aさんが北海道旅行をしていた間に、Aさんが当時勤務していた店に「公安」を名乗る男女が訪れたという。おそらく警視庁公安部外事三課である。しかし、Aさん自身への事情聴取や家宅捜索は行われていない。警察がAさんに関心を持ったのは、あくまで中田さんの捜査のためだったとみるのが妥当だろう。店にまで来て“水商売”の仕事をしていることを確認している警察がAさんを「ISILと関与」と考えなかったとしても極めて自然なことだ。

イスラエルで入国拒否

 Aさんは2017年1月、イスラエルへの観光旅行を計画した。「義理の親戚にユダヤ人がいるし、フェイスブックでも知り合いがいたので行ってみたいと思った」からだが、Aさんへの直接の動きがあったのはこのときからだ。

 出発のため成田空港に着いたところで外務省領事局と入国管理局(現・出入国在留管理庁)の各1人に渡航先と渡航目的を問われ、旅行スケジュールを渡した。無事出国してイスラエルには着いたものの、空港で厳しい荷物検査を受け、携帯電話に保存されていたISIL戦闘員の画像を見せられたほか、中田さんとの関係を問われ、結局、入国を拒否され帰国した。到着した成田空港でも外務省職員から事情を聞かれている。

 旅行者に対してもイスラエルの入国審査が厳しいことはよく知られているが、この経緯を見れば、日本の外務省から「怪しい人物」として情報提供されていたとみるのが自然だろう。しかし、イスラエルからの帰国後も警察はAさんに接触していない。

 その後、Aさんは旅券を紛失したため2017年3月28日に一般旅券の発給を申請した。申請書の「外国で入国拒否、退去命令又は処罰されたことがありますか」の欄に、イスラエルの件を念頭に「はい」と印をつけたため窓口の職員に事情を聞かれ、旅券法13条1項1号に該当とされた。記入を求められた「渡航事情説明書」には渡航目的を観光、渡航先を「イースター島(成田→ダラス・フォートワース、アルトゥーロ、メリノベニテス→アタベリ)、アメリカ、チリ、トルコ、香港(マカオ)」と書いて提出。4月3日、すべての地域を渡航先とする通常の一般旅券が発給された。

 Aさんはその後、

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