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菅政権に見る官邸機能強化の功と罪 リーダーシップの在り方、再考の時

グリーン・デジタル・ワクチン/変化に愚鈍では世界に取り残される

花田吉隆 元防衛大学校教授

東京・永田町にある首相官邸。政治改革が目指した目標の一つが、官邸機能強化だった
 1990年代、「政」の「官」に対する弱さが指摘され、官邸機能強化が叫ばれた。今の政権は、この強化された官邸が率いる政権だ。強い官邸のリーダーシップは、次第に成果を見せ始めるが、近年、逆に行き過ぎによる弊害も見られるようになった。我々は、リーダーシップの在り方について、今一度立ち止まり考えてみるべきではないか。

 では、官邸機能強化の「功」とは何か。

世界の「化石」だった日本、所信表明で大転換

COP25でのこの日の自身の演説に「化石賞」が贈られたことについてコメントする小泉進次郎環境相=2019年12月11日、マドリード
 2020年10月、菅義偉総理は就任後初の所信表明演説で、2050年までの温室効果ガス排出量実質ゼロを宣言した。即ち、日本社会は、2050年を目途にカーボンニュートラルを達成、脱炭素社会の実現を目指す。

 これは、それまでの方針の大きな転換で、その意味するところは絶大だ。それまで、日本は、2050年までに温室効果ガスを80%削減するとしていたが、世界の評価を得るには至らなかった。2019年12月、マドリッドで開催された国連気候変動枠組条約会合(COP 25)では、出席した小泉進次郎環境相が批判の矢面に立たされ、日本はありがたくもない「化石賞」を受賞した。そのころ国内では、温室効果ガス削減に対し消極的意見が大勢で、世界の趨勢に逆行する日本の姿はますます際立つばかりだった。

 この流れを冒頭の所信表明演説が大きく変えた。

臨時国会の所信表明演説で、2050年に温室効果ガスの排出を実質ゼロにすると宣言した菅義偉首相=2020年10月26日

グリーンとデジタル、世界から遅れ命取りになる前に

 菅政権は、グリーンとデジタルを二本柱とする。いずれも、日本が世界の趨勢から取り残されかねない分野でその巻き返しは喫緊の問題だ。

 グリーンについては、世界が大きく舵を切った今、これに逆行した姿勢をいつまでも取り続ければ、徒に投資機会を失い経済的損失を被るばかりか、日本の発言力が失われ、存在自体が霞んでしまいかねない。

 デジタルの方は、場合によってはもっと深刻かもしれない。今や、世界はデジタル革命の真っただ中であり、アナログからデジタルにその仕組みの全てが変わろうとしている。その時に変革の意味を理解せず、いつまでもハンコと稟議書廻しに終始するとすれば、日本は競争力を喪失し、世界から置いてきぼりを食う羽目になる。グリーンとデジタルがそれほどの意味を持つにもかかわらず、日本が、変化を感じ取ることなくいつまでもノホホンとしていたのでは命取りになりかねない。

 思えば、明治維新前夜、維新の志士たちにとり、植民地勢力の接近は自明だったが、幕閣はその変化を感じ取るに於いて余りに鈍感だった。残念ながら、日本には「変化に愚鈍」な構造があるのだろうか、グリーンとデジタルは危うくそのいい例になるところだった。

対コロナでも出遅れた安倍政権。日本社会の暗部か

 新型コロナウイルスのワクチン接種で日本は大きく出遅れた。なぜそうなったか、日本は十分反省しなければならないが、それはともかく、ようやく政府もここに来てワクチン接種の意味を理解し、一気に物事が進み始めた。

 一回接種した人は、65歳以上の高齢者で39.3%、総人口で15.8%(6月16日現在)になった。自衛隊による大規模接種も64歳以下に枠が広がり、一部企業では職場接種も始まった。職場と大学の接種がもっと本格化していけば、接種スピードはさらに加速されよう。

築地市場跡地に設置された新型コロナワクチンの大規模接種会場で、傘をさして並ぶ人たち=2021年6月14日、東京都中央区
新型コロナウイルスのワクチン接種対象年齢が64歳以下に引き下げられた自衛隊大規模接種センターで、接種を受ける女性=2021年6月17日、東京都千代田区

 なぜ、もっと早く手を打たなかったか、とは言うまい。やらないよりはましだ。何より、安倍政権の時の苦い思いを考えれば、格段の進歩に違いない。

 当時、安倍総理は、何度もPCR検査を拡充しなければならないと訴えたし、また、拡充すると明言した。国会でも発言したし国民にも約束した。それにもかかわらず、検査数が増えることはほとんどなかった。これほど不思議なことはない。

 一国の総理が、国民や国会に対し約束した。それにも拘らず事態が一向に改善されないことに、日本社会が抱える暗部を見た人も多かったのではないか。

緊急事態宣言の解除について記者会見した安倍晋三・前首相。「日本モデルの力を示した」と語った=2020年5月25日、首相官邸

「動き始めた」ワクチン接種。悟った首相のリーダーシップ

 それを考えれば、今、とにかく接種が大車輪で進み始めたことは評価していい。何といっても物事が「動き始めた」のだ。

 こういう一連の動きが、総理のリーダーシップによることは否定しがたい。特にワクチン接種は、その成否が政権の命運を握るまでになり、総理自身、最早なりふり構っていられない、と悟ったようだ。

 接種に関与する大臣も、厚労相、経済再生相、ワクチン接種担当相の他、防衛相、総務相も加わり都合5名になった。河野太郎担当相の下には、総理から催促の電話が一日何度もかかってきたという。日本中が我先にと、ワクチン接種に沸き返っている。

官邸機能強化の改革が奏功

橋本龍太郎首相の直属審議機関である「行政改革会議」は1996年11月28日、首相官邸で初会合を開き、中央省庁再編に向けた議論をスタートさせた
 現在の官邸は、その機能が格段に強化された。1990年代、国の権限が各省に分掌され、省あって国なしといわれた。その弊を改善すべく官邸の機能強化が叫ばれ、今の官邸が出来上がった。

 確かに、この改革は実を結んだ。グリーンもデジタルもワクチンも、もし、各省に権限が分掌され官邸の統括権限が弱いままだったら、一向に前に進むことがなかったかもしれない。その意味で、官邸の機能強化は大きな意義を持つ改革だった。

 しかし今、その弊害もまた指摘される。

内閣人事局発足式が行われ看板かけをする、(左から)加藤勝信内閣人事局長、稲田朋美国家公務員制度相、安倍晋三首相、菅義偉官房長官=2014年5月30日

権力集中で弊害も。制度は運用次第

 何事も完全な制度はない。制度はプラス、マイナスを持ち、どちらがより大きいか、でしかない。結局運用にあたる者が、マイナスをできるだけ抑え、プラスが存分に発揮されるよう動かしていくしかない。その意味で、もし今、弊害が指摘されるとすれば、制度の運用にあたる者にこそ、その責任があるというべきかもしれない。

 報道で承知する限り、今の政権は全ての権限が総理に集中する。総理がもつ閣僚及び官僚組織に対する掌握力は強く、何事も総理にお伺いを立てることなく最終判断を下すわけにはいかない、という。

 先日、北海道、広島に緊急事態宣言が出された時、当初の政府案はこれをまんえん防止等重点措置に止めるものだったが、分科会で異論が噴出し緊急事態宣言に代えるということがあった。その際、西村康稔担当相が会議途中で抜け出し官邸に直行、総理の判断を仰ぎ分科会の意見を最終的に受け入れることになったが、これなどそのいい例かもしれない。

 西村担当相は、行き先として官房長官の顔が頭をよぎることはなかっただろう。確かに、これだけの内容は総理の判断が必要だが、安倍政権の時だったら、まず官房長官に相談し、その後総理の判断を仰ぐこととしてもおかしくはなかった。

北海道などへの措置を当初方針から緊急事態宣言に急遽変更した5月14日、衆院内閣委での質問に答弁する西村康稔担当相

首相の顔色うかがい「忖度」。意に沿う側近の重用

 ことほど左様に、権限がすべて総理に集中しているのが今の政権の特徴だが、一部報道では、その結果、官房長官、その他の閣僚の姿が霞んでいるという。つまり、総理は兼官房長官、兼厚労相、兼経産相、兼総務相、兼環境相なのだ。総理が各省庁を「直轄」している。

 その結果、閣僚も官僚もトップの顔色をうかがい、言うべきことを言わず口をつぐむようになってしまった。その行き着いた先が「忖度」であることは言うまでもない。

 これが行き過ぎると、トップの意向に沿う者は厚遇され、反する者は冷遇されるとの弊害を生む。一部側近やブレーンが重用される半面、先頃の学術会議会員任命拒否のようなことも起きる。

専門家の意見を「自主的研究」とみなす閣僚

「基本的対処方針分科会」に出席した西村康稔担当相(右から2人目)、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(中央)、田村憲久厚生労働相(左端)=2021年6月17日
 最近では、分科会の尾身茂会長が煙たがられていると報道される。田村憲久厚労相は、その後釈明し自身の発言を訂正したようだが、当初、尾身会長他有志によるオリンピック・パラリンピックの感染拡大リスクに関する提言を「自主的な研究成果の発表」として受け止める、と発言した。

 しかし国民から見れば、最近の会長発言こそが至極もっともに思える。

 開催した時の不安が依然消えないのに、単に「国民の命と健康を守る」「安心安全な開催を目指す」だけで国民が納得できるわけがない。いつの間にか「有観客」が既成事実になり、今は「1万人の観客を入れる」とのことだ。こういう物事のなし崩し的な進め方はいただけない。最終判断は政府がするとしても、専門家の意見は「自主的研究」などと言わず、真剣に受け止めてもらう必要がある。

 新型コロナとの戦いは、レフェリーが付いているようなものだ。戦いが一区切りつけば、白か黒か、レフェリーの旗がさっと上がる。これまでのように、何か月議論してもらちが明かず、そうこうしている間に問題が忘れ去られ、結局、強い者がまかり通るのとはわけが違う。成績表が、感染者数という形で直ちに戦いの参加者に配られるのだ。政府の対応が正しければ白、誤っていれば黒(イヤ、赤点か)とはっきり出る。

 オリンピックもこの点に於いて同じだ。だから、専門家に対し、決めるのは政府だ、と強がってばかりもいられないのだ。

首相官邸を出る菅義偉首相。エントランスホールには東京五輪・パラリンピックのマスコット人形が飾られている=2021年3月3日

改革の弊害が出れば改善を。トップのあるべき姿とは

 先人は、各省分掌の体制は、リーダーシップを弱めるとしてこれを改革した。所期の目的が達せられ、強いリーダーシップが発揮される体制が出来上がった。しかし、今、この制度改革の弊害が指摘される。

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