メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

感染爆発に緊急事態宣言が効かないのはなぜか――心に響かぬ菅総理の言葉

次の総理に求められるのは、国民との対話を絶やさない姿勢だ

花田吉隆 元防衛大学校教授

専門家の予測を上回る急拡大

千葉大学病院の集中治療室で新型コロナウイルス感染症の患者に対応する看護師や臨床工学技士。現場の状況は「坂道を転がるように悪化している」といい、一般診療や手術の制限をかける事態も視野に入れているという=2021年7月30日、千葉市中央区
 感染の急拡大が止まらない。新型コロナウイルスの新規感染者数は、東京では連日3000人、4000人と大台を記録し、首都圏をはじめ全国各地でも過去最多の人数を繰り返す。全国の1日の新規感染者がついに1万4千人を突破。事態は、専門家の予測を大幅に上回るスピードで進んでいる。東京の新規感染者が8月末に1万人を超えるとの試算も示され、我々は明らかに経験したことのない局面に入った。

 政府はまたも、緊急事態宣言での対応を強いられた。7月半ばから、東京都への4度目の発令に踏み切り、東京五輪を宣言下で開催。ところが感染状況は悪化の一途をたどったため、政府は東京と沖縄での宣言を延長するとともに、新たに4府県にも発令した。さらに、猛威は全国規模で広がり、まん延防止等重点措置の対象地域を拡大する事態となった。

新型コロナウイルス感染者の入院を制限する政府の新方針をめぐり与党からも撤回要求が出ていることについて、菅義偉首相は記者団に見解を問われ、撤回しない考えを示した。愛知など8県にまん延防止等重点措置の適用を決めたことも表明した=2021年8月4日、首相官邸

1年半は単なる序章 デルタ株が世界規模で猛威

 これまでの1年半は単なる序章で、ついに「本番」が始まったかの如くだ。

 本番の主役は紛れもなくデルタ株だ。このインド由来の変異ウイルスは、これまでのものより感染力や重症化リスクが極めて高いとする報告が各国の研究者から相次いでいる。単なる変異ではなく、新種のウイルスが発生したと考えるべきだ、とすら言う専門家もいる。

 それほどのデルタ株の猛威だ。我々は、既にこの株の威力を目の当たりにしている。インドは、それまで比較的平穏に推移していたが、この株の出現でたちまち全土が医療崩壊の波に飲み込まれた。死者を火葬する場所にも事欠くほどだった。東南アジア諸国は、これまで感染封じ込めの優等生と目されてきたが、今やインドネシア等、世界の感染の中心に位置付けられている。

インド・ニューデリーでの新型コロナウイルスに感染して亡くなった人たちの火葬(Exposure Visuals Shutterstock.com)
インドネシア・ジャカルタのコロナ専用墓地。墓標で埋め尽くされ敷地が足りなくなっている

日本列島にもデルタ株

 その猛威を振るうデルタ株がついに日本列島に上陸し始めた。我々が最も恐れるのは、事態がコントロール不能になることだ。感染が制御不能になれば、インドやインドネシアで起きたことは最早対岸の火事でない。デルタ株の蔓延は急速で、事態はあっという間に急展開する。我々は、その可能性を十分念頭に置いておかなければならない。

 一部には、新規感染者数だけに目を奪われてはならない、との見方もある。高齢者のワクチン接種率が高まった結果、重症者の割合が抑えられている。都幹部は、「いたずらに不安を煽るべきでない」という。

緊急事態宣言中も混雑が続く東京・池袋の繁華街=2021年7月27日、東京都豊島区
 しかし、新たに重症者の中心となった40代、50代は、今は中等症でもこれから重症化する危険は十分あるし、何より、これだけ感染者が増えればそのうちの一定割合で重症者が増えていくのは明らかだ。今、重症者が増えていないからといって安心できるものではない。医療現場の逼迫は日に日に増しており、入院先が見つからないケースも増えている。

政府の「入院制限」方針は大丈夫か

 今後の医療現場の逼迫は必至であり、政府はそれを踏まえ、今後は中等症などの患者は自宅療養を基本とし、入院は重症者と重症化リスクの高い患者に限る、とする新たな方針を決めた。つまり、この先、症状が余程重篤でない限り入院もできなくなる。

 これだけの感染急拡大を前に、病床数が限られていることを考えれば、いずれ、入院できる者を限定するのも不可避化かとは思っていたが、この新方針を見て、正直、果たしてこれが機能するかと不安なしとしない。

 というのは、この病気の怖さは、容体が短時間のうちに急変することにあり、今、症状は軽いと安心していても、それが次の時点で命にかかわるほどの危険な状態に急変することにある。そういう例はいくらでもある。そこで対応を誤れば命を落としかねないのだ。この方針で本当に大丈夫だろうか。

新型コロナウイルスの感染者の入院を制限する方針を決めた関係閣僚会議。菅義偉首相(右)、西村康稔経済再生相、田村憲久厚生労働相らが出席した=2021年8月2日、首相官邸

緊急事態宣言を出しても感染爆発

 何より心配されるのが、緊急事態宣言の効果が薄れたことだ。これまで3回の宣言では、2週間もすれば事態は沈静化の方向に向かっていた。今回は明らかに異なり、2週間たった今、逆に感染者数が幾何級数的に増えている。

 つまり、デルタ株の前に、これまでの対策が無力化したかのようだ。緊急事態宣言が効かなくなったとすれば、最早手の打ちようがない。全国知事会はロックダウンのような手法の在り方も検討すべしという。

 政府には手詰まり感が広がり、頼みの綱はワクチンと、何かと言えばそればかり強調するが、今、我々が戦っているのは今日、明日の敵だ。何か月か先に接種率が目標を達成したところで何の意味もない。今の事態をコントロールできるかどうかが勝敗の分かれ目なのだ。

全床が埋まった新型コロナ専用病棟。感染防御のための透明のパーティションの向こうで、看護師らは患者の対応を続けていた。都内の新規感染者数はこの日、3千人を超えた=2021年7月28日午後、東京都立川市の立川相互病院
 確かに政府の呼びかけに対する国民の反応は鈍い。政府は盛んに人流の減少を強調するが、緊急事態を宣言すれば人流が減るのは当然であり、問題はどれだけ減ったかだ。それが今回、思わしくない。

 過去3回、それなりに顕著な人出の減少がみられたが、今回は明らかに減り方が少なく、場所によっては逆に増えているところすらある。我々の肌感覚で見ても、土日など、繁華街は黒山のような人だかりであり、三密回避、社会的距離の維持は一体どこへいったか、と思うほどだ。

緊急事態宣言中の東京・渋谷のスクランブル交差点。午後8時をすぎて広告の明かりが消えても人波が続いた=2021年7月28日

自粛疲れの国民 政府の言を真に受けられぬ

 国民の側に、緊急事態慣れや自粛疲れがあることは否定できない。既に、新型コロナが広がり1年半だ。その間、人々はほぼ間断なく自粛を求められてきた。最早、緊急事態は「非常事態」でなく「常態」だ。今更、宣言が発出されたところで、緊張感をもってこれを受け止めるとの雰囲気はどこを見てもない。自然、人流の減り方は芳しくなく、逆にウイルスにとっては格好の条件が整えられつつある。

 政府がコロナ対応の目玉とする酒類提供の停止もここに来て綻びが目立つ。ある調査によれば、東京の飲食店の5割が自粛要請に応じていないという。これまで、色々不満はあっても、政府の要請には大半が協力してきた。それが今や、公然と自粛やぶりが行われ、町にはかつてない光景が広がる。

 背景にあるのが協力金支給の遅れだ。店の側にも支払いの都合がある。家賃や賃金を払えなければ店をたたむしかなく、当てにした協力金がいつまでも支払われなければ店を開けるしかない、もはや政府の言うことを真に受けてはいられない、という。

深夜まで営業しているバー。長らく要請に従い休業していたが、協力金がなかなか入らず店を開けた。家賃負担など資金繰りの厳しさから、店主は精神的にも追い詰められたという=2021年7月

五輪開催が分かりづらさに拍車

 オリンピック開催も、政府のメッセージを分かりづらいものにした。オリンピックでお祭りムードを盛り上げておきながら、他方で、緊急事態で自粛せよといっても国民は迷うだけだ。今は非常事態だ、国民はこれまでになく気を引き締め、感染防止を徹底してもらいたい、とのメッセージに統一できれば効果は格段に上がったはずだ。

 緊急事態宣言のメッセージが国民に届かなくなったことを、政府の分科会の尾身茂会長は、危機感の共有がなされていないという。政府ばかり慌てても、国民は一向に応じない。では、どうしてこうなったか。

東京五輪の開会を告げる花火が、緊急事態宣言下の東京の街を照らした=2021年7月23日、国立競技場
東京五輪の金メダリストを電話で祝福する菅義偉首相=2021年7月25日、首相公邸

日本の対策は信頼関係が前提

 日本の対策は欧米と異なり、法律で強い措置を講じるのではなく、要請という緩やかな措置にとどめるところにその特徴がある。これが機能する前提は、政府と国民との間に信頼関係があることだ。信頼関係が揺らげば、政府がいくら要請しても国民はこれを受入れようとしない。

 今、この信頼関係に揺らぎがみられるのではないか。ロックダウン云々の前に、今一度政治の根本に立ち返り考えてみる必要があるのでないか。政治に求められているのは何か。

東京都と沖縄県での緊急事態宣言の延長と、首都圏と大阪の4府県への宣言の新たな発出について、会見で説明する菅義偉首相=2021年7月30日、首相官邸

官僚作文棒読みの菅総理 リーダーの決意はあるのか

 緊急事態宣言の延長・拡大方針を発表した7月30日の記者会見で、総理は強いメッセージを打ち出してくるのではないかと期待した。しかし結果は外れた。質疑応答はともかく、冒頭発言は官僚がつくった作文の棒読みだった。数字が一杯ちりばめられ、細部にわたる説明が繰り返されたが、終わって心に残るものは何もない。

 国民が聞きたいのは、そういう細かいことではなかっただろう。リーダーの決意、思いのたけこそを聞いてみたかった。

 もし、今の事態がこれまでのような序章でなく本番なのだとしたら、今こそ、緊急事態を真剣に受け止め、国民一丸となってこれに対峙していかなければならない。もし事態がそれほど「緊急」であるなら、我々は今こそ、トップの強い決意のもと、改めて気を引き締め直す必要がある。

 総理の本気度が言葉の端々に溢れ、国民に伝わってくるのであれば、国民は本気で行動を自粛するに違いない。何せ、感染がこれだけのスピードで広がっている。国民の側にもこれまでにない危機感がある。

 要は、リーダーの側に、訴える力があるか、その気構えがあるか、その決意のもとに国民を引っ張っていこうとする気があるかなのだ。

・・・ログインして読む
(残り:約458文字/本文:約4163文字)