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【15】 「過労死」という文化と「生き甲斐」という桎梏

テクノロジーがもたらす「自由の困難」という大問題

塩原俊彦 高知大学准教授

 最近、「日本の過労死文化は警告であった(Japan’s karoshi culture was a warning)」という記事を読んだ。「日本では何十年もの間、過労死問題に取り組んできた。今や世界的な問題となっている」という副題のついたこの記事は、2021年5月に公表されたばかりの世界保健機関(WHO)と国際労働機関(ILO)の共同研究の結果である、「長期労働への曝露に起因する虚血性心疾患と脳卒中の世界・地域・国別負担額(2000~2016年、194カ国)」を紹介している。

 2016年の場合、世界人口の8.9%にあたる4億8800万人が週55時間以上の長時間労働にさらされており、それが原因で、虚血性心疾患と脳卒中で死亡した人数は74万5194人にのぼったという。たしかに、日本語の「過労死」が英語のkaroshiとして通用するほどに、もはやこの問題は地球規模の問題となっているようだ。

 ここで論じたいのは、日本の文化の一つとまでみられてきた「過労死文化」についてである。そこには、「ニッポン不全」という病弊にかかわる要因に関連する何ものかがあるはずなのだ。

日本の「過労死文化」

 2016年11月9日付で「論座」にアップロードされた記事のタイトルは、「日本企業の「文化」と化している長時間労働」であった。2015年に電通に勤務していた新入社員の女性が自殺した事件が注目を集めていたころの話である。

 筆者の佐々木亮弁護士は、「36協定の締結で過労死基準を超える労働を許容する企業は数多く、日本企業社会は『文化』として長時間労働を受け入れてしまっている」と指摘している。この36(さぶろく)協定とは、使用者が労働者の過半数を代表する者もしくは過半数を組織する労働組合との間で結ぶ労使協定(労働基準法36条に基づく)を意味している。労働基準法上の労働時間の制限は1日8時間、1週間40時間とされているが、36協定の締結により、この制限を労災認定の基準になる「過労死ライン」(脳・心臓疾患は80時間、精神障害は100時間)を超えて働かせることが可能となってしまっているというのだ。

「働き方改革」のもたらしたもの

 こんな日本だったが、過労死などがなく、仕事と生活を調和させ、健康で充実して働き続けることのできる社会の実現に寄与することを目的として、2014年11月に「過労死等防止対策推進法」が施行された。同法第2条により、「過労死等」が①業務における過重な負荷による脳血管疾患・心臓疾患を原因とする死亡、②業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡、③死亡には至らないが、これらの脳血管疾患・心臓疾患、精神障害――と定義づけられるようになった。

 2018年には、安倍晋三政権下で「働き方改革」が推進され、2019年4月1日から「働き方改革関連法」が順次施行されつつある。たとえば、法律上、残業時間の上限がなかった状況を改め、月45時間、年360時間を上限とし、臨時的な特別な事情がある場合でも年720時間、単月100時間未満(休日労働含む)、複数月平均80時間(休日労働含む)を限度に設定することになった。この月平均80時間というのは、前述した過労死ラインからみて信じられないほど高い。単月100時間未満というのも、精神障害を引き起こすかもしれないが、「まあ、単月ならかまわない」と言っているようなものだ。

 前述したWHOとILOの報告書には、「長時間労働者(週55時間以上)は、標準的な労働時間(週35~40時間)と比較して、虚血性心疾患および脳卒中のリスクが高いという十分な証拠が報告されている」と明記されている。これを知れば、日本の上限規制が緩すぎることがわかるだろう。はっきり言えば、過労死を容認しているかにみえる改革は改革の名に値しないと断罪すべきなのである。

 2019年の各国の労働時間を調査した結果をみても、下図に示したように、週49時間以上働く日本人男性の割合は、英独仏はもちろん、米国に比べても高いままだ。どうやら「過労死文化」はそう簡単に改まりそうもない。

図 諸外国における「週労働時間が49時間以上の者」の割合
(出所)『令和2年版過労死等防止対策白書』(2020)厚生労働省, p. 18

 最初に紹介した記事では、「現状では企業が違反しても罰則はほとんどなく、600万社ある日本の企業を管理する労働監督官も約3300人しかいない」と指摘されている。さらに、雇用主は従業員の労働時間を記録する義務もなく、労働時間の開示を求められると困るので、ほとんどの雇用主は記録していないという話も紹介されている。

 こんな状況が放置されている結果、いつまでたっても、「過労死文化」は日本企業のなかで生き残りつづけそうな雲行きだ。

「生き甲斐」と仕事

 自由民主党は企業と癒着しながら、つまり、大量の企業献金に依存しつつ、企業経営者に有利な秩序づくりに奔走してきた。この戦後政治の堅固な「レジーム」こそ、過労死をいわば「世間」のムードとして容認する時代錯誤の雰囲気をつくりあげてきたのではないだろうか。

 ここで、「イキガイ。仕事と生活を向上させる日本のコンセプト」というBBCの興味深い記事を紹介したい。2017年8月に公表されたこの記事では、「日本の従業員の約4分の1は月に80時間以上の残業をしており、年間2000人以上の人が亡くなる『karoshi』(過労死)という悲劇も起きている」と指摘している。そのうえで、「イキガイ(生き甲斐)とは、自分の仕事が人々の生活に貢献していると感じること」であるとして、この生き甲斐という「人生の価値観を包括的に捉えた概念」が仕事と必要以上に結びつけられることで日本人を苦しめている面があると

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