メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

難民受け入れへ官民の連携を~人道危機のアフガニスタンに日本は何ができるか

国内に留まる脆弱な人々、国外への脱出を望む人々にどう対応支援するかが喫緊の課題に

折居 徳正 一般財団法人パスウェイズ・ジャパン代表理事

 2021年8月15日のタリバン政権によるカブール占領と、前政権の崩壊は、日本社会の多くに驚きをもって受け止められた。それは、人道支援関係者がいくども社会に「忘れないで」と訴えてきた国が、再び注目を浴びるようになった瞬間でもあった。

 本稿では、筆者が微力ながら2002年よりアフガニスタンの人道支援に関わり、さらに2016年からはシリア難民の日本への受け入れに従事してきた立場から、現在の状況を踏まえて、日本社会にできることについて考察を加えたい。

アフガニスタン東部の農村風景(日本のNGO提供)©パスウェイズ・ジャパン

政権崩壊を予感していた現場の関係者

 今回の事態において、特に8月6日の最初の州都制圧から、カブールへの進撃、ガニ前大統領のあっけない亡命に至る最後の2週間の展開は、筆者を含め、多くの識者の予想を超える早さで進展したといえる。

 しかし、そこに至るまで、具体的には2010年頃からタリバン勢力が優勢となり、NATO軍による制圧の見通しはほぼなくなった頃から、多くの人道関係者は、いつかはこのような日が来ざるを得ないこと、あるいはそれ以外に戦闘は終わりようがないことも感じていた。

 そして、2018年からトランプ政権がタリバンとの交渉を開始、2020年2月に両者が合意に達して以降、撤退に向けてむしろ戦闘は激化し、民間人の死傷者が増加するのを目の当たりにして、現場で活動する多くの人道支援関係者と共に筆者も憤りを感じ、戦闘の終結を願っていた。今年7月頃からタリバンが支配地域を拡大し、米欧諸国が過去に関わりを持ったアフガニスタン人の退避を進めた時点で、カブールの政権がいつもまでもつかわからないとは、現場の関係者は感じていたのである。

国内の脆弱な人たちに支援をどう届けるか

 カブール以外の各都市の制圧については、現場で活動するNGOから「入念に計画されたとしか思えないような、平和的な制圧 」との報告もある(参照:シャンティ国際ボランティア会、「2021年8月16日シャンティからのお知らせ【アフガニスタン】人道援助の継続より」=2021年9月15日最終アクセス)。陥落後のカブール、もっといえば国際空港周辺の騒ぎと、各地域の伝統社会における受け止め方が異なっていることにも、注意を払う必要がある。

 人道関係者の報告によれば、国際空港や国外に移動する手段を何ら持たない多くの人々は、不安とあきらめの内に情勢を見守っている。

 現在のところ、1990年代から2000年代初めまで統治したかつてのタリバンと、現代のより多極的な世界におけるタリバンが、どのように異なるのか、それともその本質は変わっていないのか、確実に見通すことは難しい。このまま国内の戦闘が終結に至れば、仮に西側諸国が重視する形での人権や自由の保障がされず、女性を含む少数者への深刻な抑圧はあるとしても、一定の秩序がもたらされる可能性もある。

 いずれにせよ、今後の国家運営についてタリバンの意図と政策を、注視していくしかないのが現状であるが、人道という面では、国内に留まる脆弱(ぜいじゃく)な人々にどのように支援を届けるかが、喫緊の課題となっている。

伝統的な土塀で囲まれた村落内の日常風景(日本のNGO提供)©パスウェイズ・ジャパン

国外逃避を希望する人々にどう対応するか

 その一方で、かつて米欧諸国、そして日本と関わり、行政や人道支援等に関わっていた人々、あるいは民族的少数派や女性達が、恐怖と不安を感じ、実際に暴力や危険に遭遇し、国外に逃れることを望んでいることもまた、人権・人道上の緊急の課題である。

 タリバン指導部の政治的意図がどこにあるにせよ、急激な支配体制の変化に伴う混乱、個々の兵士の統率や練度の問題、あるいは明確な攻撃の意図に基づいて、旧政権や米欧諸国、そして日本と繋がる人々に対し、脅迫や迫害、暴力等様々な事態が発生することも、十分にあり得るとの想定が必要であろう。

 過去に日本に関わったことで危険に直面し助けを求めている人々、さらに女性や少数民族など高い危険に晒(さら)されている人々を、日本社会がどのように受け入れることができるのかが、日本の政府そして市民社会に、重大な課題として突きつけられている。

日本政府のアフガン人救援決定の意義

 日本は8月23日に政府救援機の派遣を決定し、退避希望の数名の邦人に加えて、過去に日本と関わりのあるアフガニスタン人の救出に取り組んだ。この退避ミッションについては、当初目的と報道された約500人のアフガニスタン人の退避を達成することはできず、様々な検証や批判もなされているが、ここではその成否の検討には立ち入らない。

 むしろ筆者は、日本が今回、他国の人々を事実上の難民として日本に迎え入れようと決断、行動したという事実は、歴史的な決定として評価すべきと考えており、1980年代のインドシナ難民の受け入れ以降初めて、日本が当事者として、地域の難民受け入れという課題に向き合うことになった出来事と捉えている。

 救援機の搭乗対象には、大使館・JICAの雇用者とその家族に加えて、ODA事業に従事したNGOの職員、さらに政府奨学金による元留学生達も含まれていた。人道支援における退避計画等では、用意した退避手段に空いたスペースがある限りそこに他の関係者を乗せて退避を行うが、政府が直接雇用した職員に加え、民間雇用の職員や元留学生をも含めた事実は、一定の評価をしたい。

 他方、様々な制約から民間の雇用者・元留学生の家族の帯同は認められなかったため、搭乗を諦めざるを得なかった、おそらく数倍に上る人々があることも見逃せない事実である。

村落部の家庭の煮炊きを行う台所の様子(日本のNGO提供)©パスウェイズ・ジャパン

アフガン人呼び寄せに動き出した大学・NGO

 それらの人々が現在どの程度のリスクに晒(さら)されているのかはそれぞれ異なるが、筆者が関係者から聞き取った中には、タリバン関係者の所在確認を逃れるため親族宅を転々としたり、すでに脱出したという嘘の報告を家族にしてもらったうえで所在を隠したりしているケースもあった。

賑わうアフガニスタン東部の町(日本のNGO提供)©パスウェイズ・ジャパン
 そのような人々から、過去に何らかの形で関わりのある日本の人々のもとに、現在救援を求める切実な声が寄せられている。そして、その声に応えて、呼び寄せのため動こうとする大学、NGO、企業等がすでに出てきている。
・・・ログインして読む
(残り:約2251文字/本文:約4889文字)