メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

新型コロナ対策の初期対応を誤らせた日本独特の感染症法~上昌広氏に聞く

コロナ対策徹底批判【第二部】~上昌広・医療ガバナンス研究所理事長インタビュー⑤

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

 世界中の医学者・科学者が注目する英医学誌『ランセット』が昨年(2020年)1月24日、「コロナに無症状感染者が存在する」という香港大学の研究チームによる緊急論文を掲載したことは、前回触れた(参照:「新型コロナ対応の初期に日本が犯したプロにあるまじき失態~上昌広氏に聞く」)。

 だが、この最重要論文を見逃してしまった厚生労働省・医系技官。その後すぐに無症状感染者の存在に気が付くが、それに基づいて対策を変えることはなかった。また、無症状感染者が多数存在し、周囲にウイルスをばらまくリスクがあるのに、いまだにPCR検査を抑制し続けている。

 さらに、厚労省・医系技官はもう一つ巨大な間違いを犯し続けている。それは、「医療」と「隔離」をいまだに区別していないことだ。国民は「医療」を受ける権利も「隔離」を受ける権利も持っているが、この二つは別のことだ。「医療」は病院で受けるべきだし、「隔離」はホテルや保養所などで受けるべきだ。この二つを一緒くたにしてしまった戦前の考え方を引き継ぐ感染症法の立て付けをいつまでも放っておいたからだ。

 このために、多数の無症状感染者を生むコロナウイルスの登場を前にして立ち往生してしまった。全員を病院に入院させれば「医療崩壊」を起こしてしまう。だが、感染症法の立て付け上、病院以外での「隔離」は当初難しかった。

 厚労省・医系技官はこの問題の解決を政権党・自民党の政治家に働きかけず、安倍晋三・元首相や菅義偉・前首相をはじめ加藤勝信・元厚労相、田村憲久・前厚労相たちも問題の所在に気づかなかったようにみえる。さらに厚労省・医系技官に寄り添う厚労省記者クラブの記者も、政治家や国民に警告を発する使命を十分に果たしてはいない。

 日本のコロナ対策について、上昌広・医療ガバナンス研究所理事長へのインタビューを通じて考える連載企画「コロナ対策徹底批判」。第2部では、日本に新型コロナウイルスが入ってきた初期対応を考える。日本は初期対応になぜ、しくじったのだろうか。

インタビューにこたえる上昌広・医療ガバナンス研究所理事長

2019年末にコロナ対策の準備に着手

――前回「新型コロナ対応の初期に日本が犯したプロにあるまじき失態~上昌広氏に聞く」に引き続き、日本のコロナウイルス対策の初期対応についてお聞きします。日本がコロナ対策に着手したのは、いつだったのですか。

 国は2019年の年末から感染症法と検疫法に基づいて、コロナ対策の準備をしています。この法律を両方とも担当しているのが、厚労省の健康局結核感染症課です。その課長の裁量でどう発令するかを決めるわけです。

――2020年の初めではなくて、2019年の年末から準備していたわけですね。

 そうです。2019年末から準備を始め、2020年初めに発令したんです。

――そういうことですか。しかし、その最初の段階では感染症法の定め通りに実行するしかない。

 そうです。それは仕方がないと思います。公務員だからイノベーティヴである必要はないし、粛々と進めたんです。

無症状感染者の存在を伝えた『ランセット』の緊急論文

――ところが、前回も触れたように1月24日、『ランセット』が「コロナに無症状感染者が存在する」という香港大学の研究チームによる緊急論文を掲載しました。

 『ランセット』にこの記事が出た瞬間、すぐに「危ない」と思わなきゃいけないんです。たぶん、読んでなかったんだと思いますよ。もしくは、読んだとしても、重要なポイントが何かわからなかったんじゃないかな。そう私は思いますが……。

――なるほど。

 でも、この問題は、新聞社の科学部記者にも責任があると思いますよ。日本の科学記者は厚労省の研究班が発表したものばかり書いていて、自分で『ランセット』なんかを読んで取材しないんです。だから、厚労省の担当課長やその周囲の人間がわからなければ、記者もスルーしちゃうんです。それが日本の科学界の弱点なんです。

 別に読者がほとんどいない業界紙まで読めと言っているわけではなくて、世界の医学界を代表する『ランセット』ぐらいは、すぐに読みなさいと言っているわけです。

――ちなみに上さんご自身は、昨年1月24日に掲載された『ランセット』の香港大学レポートにいつ気づかれましたか。

 その日に読みましたよ。

――1月24日に?

 はい。だって、『ランセット』編集部はきちんと定期的に送ってきますから、その日に読んで「ああ、そうなんだな」と思いました。

――ということは、厚労省の医系技官は、『ランセット』からメール・アラートとして厚労省の結核感染症課に送られてきた論文を、その日のうちにすぐに読んで、上さんのように「ああ、そういうことなんだな」とならなければおかしいわけですね。

 そうです。しかも、その時は、まさにそのこと、コロナウイルスの感染症が起こった場合に無症状感染者がいるのかどうかが、世界中の関心事だったんです。

 無症状感染者がさらに他に感染させるのかどうかは、もっと後にならなければわからなかったのですが、最初の段階では、無症状感染者が存在するのかどうかが関心事でした。それは、感染症に関するトレーニングをある程度積めば、誰にでもわかることだと思います。

上昌広・医療ガバナンス研究所理事長

2020年秋に無症状感染者からの感染を確認

――無症状感染者が他の人に感染させるかどうかは、その時はわからなかったんですね。

 それがわかったのはもっと後です。無症状感染者でもPCR検査では陽性となり、CTを撮れば肺炎像があること、ウイルスを大量に吐き出すということは、すぐにわかったんです。しかし、彼らが生きたウイルスを吐き出して、そのウイルスが他人に感染するかどうかはわからなかった。

 PCR(Polymerase Chain Reaction)検査は鼻腔や口腔内、唾液内に存在するウイルス遺伝子を取り出して増幅し、その増幅のサイクル数(Ct値)に応じてウイルス量を推定する検査。Ct値を高く設定すれば微量のウイルス量でも陽性と判定されるが、実際に感染させるCt値はよくわかっていない。無症状感染者のウイルスが実際に感染性を持っているのかどうかは、当初はわからなかった。

――わかったのはいつごろですか。

 半年ほど後のことです。アメリカ海軍の新兵たちをある施設に隔離して、2週間継続して全員を検査で追いかけたんです。そうすると、無症状感染者が広がっていったんですね。

 全員ほぼ無症状感染者で、これだけ広がっていったということは無症状感染者もやはり感染させるんだ、ということが科学的に初めて証明されたわけです。

 2020年5月から7月にかけて、米国の海軍医学研究センターとマウントサイナイ医科大学の研究チームは、海軍の新兵を対象とした大規模実験を行った。1848人の新兵が被験者となり、2週間の自宅隔離の後、研究チームの監視を受けながら2週間の訓練を受けた。
 被験調査期間中、マスクの着用や6フィート(約1.8メートル)の社会的距離の維持、定期的な手洗いなどの規則に従って共同生活。2日目、7日目、14日目にPCR検査を実施したが、2日目に1848人中16人(約0.9%)が感染、7日目と14日目の検査では合計35人(約1.9%)の陽性者が出た。無症状がほとんどだった。

――米海軍の実験によって無症状感染者からも感染することが証明されたわけですね。

 はい。海軍の新兵を対象に大規模な実験をやり、その結果を2020年の秋に『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に発表したんです。これは重要なことです。たぶんそうだろうということと、実際の調査結果を発表するということは全然レベルが違う話です。無症状感染者が実際に感染させるのかどうかは、これぐらい大規模な実験をしなければわからなかったわけです。

 エボラ出血熱やコレラなどは、無症状感染者があまりいないんです。無症状感染者がいなければ、症状のある人だけを隔離すれば済むわけです。ところが、無症状の人がいればそうはいかない。ここが一番大きいんですよ。

 そういう重要なファクターは、『ランセット』みたいな世界的な医学誌が真っ先に報じるはずなので、注目していなければいけません。ところが、世界的な感染症対策をめぐるそういう基本的なマナーを知らない人が、国の対策を決めるところにいたわけです。国民にとって大変な不幸であり、損失です。

厚生労働省

厚労省課長の恥ずかしい記者会見

――担当者である厚労省・結核感染症課長の日下英司さんは、武漢からの帰国者の中に無症状の感染者がいることがわかって、1月30日になって慌てて記者会見を開きました。

 本当に恥ずかしい事態でした。無症状感染者の存在は『ランセット』でとっくに報じられているのに、「新たに発見されました」などという会見は、

・・・ログインして読む
(残り:約3134文字/本文:約6898文字)