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自民党との連立で「質的役割」を果たした公明党~ライバルは日本維新の会か

「政党」としての公明党~一学究の徒の政治学研究【1】

岡野裕元 一般財団法人行政管理研究センター研究員

 「論座」では「『政党』としての公明党~一学究の徒の政治学研究」を始めます。1999年に自民党と連立を組んでから、民主党政権の時期をのぞき、一貫して与党であり続けたこの党はどういう党なのか。実証的に研究します。おおむね月に1回のペースで「公開」する予定です。ご期待ください。(論座編集部)

◆連載 「政党」としての公明党~一学究の徒の政治学研究

公明党東京都本部=2021年7月17日、東京都新宿区南元町、朝日新聞社ヘリから

なぜ、公明党を研究するのか

 公明党とは、いったいどのような政党なのか。本連載を行う機縁は、この点につきる。

 おそらく、社会一般に多くの国民が知っている公明党像は、「自民党と連立している政党で、支持母体が創価学会である」という程度だろう。実際、公明党を対象とした書物を概観すると、支持母体との関係を扱ったものが多い。

 政治学の研究においても、自民党研究偏重のため、公明党研究(野党についても)の数が相対的に少なく、それは大学教育の場にも反映されている。自民党以外の政党について、大学教員がよく分かっていないだけでなく、授業時間の制約もある。

 要するに、社会一般や学術とも「公明党についてよく分からない」というのが大方の実情ではないだろうか。筆者は特定の政党の党員・支持者や支持団体のメンバーではない。しかし、こうした状況を鑑みると、一学究の徒として筆を執らずにはいられない。1999年10月、小渕恵三政権下で自民党と連立を組んで以来、民主党政権期の一時期を除き、公明党が与党の一角として、国政・地方政治を問わず「質的役割」を果たしてきたのは、紛れもない政治的事実だからである。

統治構造改革で政治力を増したのは誰か

 では、与党として公明党が果たしてきた「質的役割」とは何なのか。平成期の日本で進められた「統治構造改革」を立体的に紐解くと、それを抽出することができる。「鍵」を握るのは、統治構造改革における環境変化で相対的に政治力を増したアクターは誰であったのか、である。

内閣総理大臣とその周辺部

 そうしたアクターの第一が、内閣総理大臣とその周辺部であることは言うに及ばない。とりわけ、歴代最長となった安倍晋三政権で「官邸主導」は顕著となり、メディアでその言葉を目や耳にしない日はないほどであった。

 こうした状況をもたらしたのは、まず行政改革である。中央省庁等改革による省庁再編では、内閣府が設置され、内閣官房の機能強化が図られた。さらに公務員制度改革もその後に行われ、内閣人事局が設置されるに至った。こうした組織機構、人事といった制度設計面だけでなく実際の制度運用面でも、官邸機能強化へとベクトルが動いた。

 政治改革も寄与した。政策本位で政党が競合することにより、政権交代可能な二大政党制の構築が目指され、選挙制度改革の帰結として、二度の政権交代が起きた。小選挙区比例代表並立制という選挙制度では、党首の顔や政策パッケージが重要性を増し、派閥の存在感も薄れた。結果として、党首としての内閣総理、総理を支える周辺が力を持つに至ったのである。

 とはいえ、その一方で日本の国会には、衆参それぞれに自律的な国会運営、会期不継続の原則、会期日数の短さなどの特徴が、依然として残ったままである。これらは、政府・与党二元体制と与党事前審査制の発達、維持を促した。さらに、幾度か生じたねじれ国会においては、「強い参議院」の存在が表面化した。いずれも、官邸主導を制約する側面といえる。

首相官邸(左上)と首相公邸=2021年11月15日、東京都千代田区、朝日新聞社ヘリから

首長と地方議員

 統治構造改革における環境変化で政治力を増した第二のアクターは、地方の首長と地方議員である。地方分権改革(第一次地方分権改革、第二次地方分権改革)と三位一体改革により、中央・地方の行財政面のつながりが大きく変化し、地方の自律性が拡大したからだ。

 具体的には、1995年から6年間続いた第一次地方分権改革で、国と地方の関係がそれまでの「上下」から「対等」になった。これによって、地方を統治する首長の存在感が強まった。また、地方自治法などの法改正の推移を現在までたどると、明らかに地方議会(地方議員)に対して梃入れを行い、その強化を意図している。現在進行形で地方議会改革、地方選挙改革が叫ばれているのは、この文脈につながる。

国会議員と地方議員のリンケージが弱体化

 このように、政治改革、選挙制度改革、行政改革、地方分権改革、公務員制度改革などが次々と行われた結果、首相官邸と首長・地方議会(地方議員)がそれぞれの領域で力を増した。と同時に、政治改革、選挙制度改革によって、国会議員・地方議員のリンケージが総体として弱まるという帰結がもたらされた。

 中選挙区制下の衆院選では、同じ自民党の候補者同士が激しく競合する環境にあった。選挙で勝利するためには、地方議員を系列化し、維持する必要に迫られた。地方議員も戦略的にこの系列関係を利用した。しかし、政治改革、選挙制度改革によって小選挙区制が導入された結果、「衆議院議員は、選挙区内のすべての自民党系の地方議員の協力を得ることができるようになり、系列を維持するインセンティブが弱まった」(中北浩爾『自民党—「一強」の実像』中央公論新社、2017、p.267)。

 こうして(圧倒的に割合が多い自民党や保守系無所属の)地方議員は、より自律化した。ただ、その一方で、行財政面での中央・地方関係については、地方分権改革以前よりも分離が進行しているとはいえ、依然として融合したままの面も持ち合わせている。

 それでは、弱体化した政治における中央・地方関係をリンケージを補う存在として、どのようなアクターが考えられるであろうか。その役割を果たすのは、政治改革で「政党本位」として重視されるようになった政党組織(中央・地方)しかない。

「二大政党」中央と地方の対立が表面化

 では現在、政党はその任にたえるのか。統治構造改革後の政党組織の実態を見ると、悲観せざるを得ない。というのも、平成時代の「二大政党」だった自民党と、民主党に源をもつ政党ともに共通しているのは、中央・地方関係が上手くリンケージできていない実態だからである。

 自民党における中央・地方の組織関係を見ると、県連が自律化したことにともない、党中央との対立が表面化するようになった(笹部真理子『「自民党型政治」の形成・確立・展開—分権的組織と県連の多様性—』木鐸社、2017年)。また、国会議員を媒介とする党本部と県連のリンクが弱まり、両者の足並みの乱れも生じたことも少なくないと指摘されている(中北浩爾『自民党—「一強」の実像』中央公論新社、2017年、p.271)。

自由民主党本部=2021年7月17日、東京都千代田区永田町、朝日新聞社ヘリから

 そもそも自民党の場合、国政での意思決定は、全て国会議員によって行われ、地方側の意向が反映されにくいという構造があった。くわえて、地方分権改革のなかで、自治体の行財政強化の視点(「受け皿論」)から平成の大合併が生じ、自民党と親和性のある保守系無所属議員が大幅に減少した。数の面においても、中央・地方のリンケージは弱体化の一途をたどっていると言っていい。

 内閣への政策決定一元化を目指した民主党政権でも、党内ガバナンスの不全から、政権運営がぎくしゃくしただけでなく、中央・地方間の関係においても状況は芳しくなかった。当時の一つの象徴的事例として、民主党神奈川県連のパーティーに出席した岡田克也幹事長(菅直人政権)が、「帰れコール」のヤジを浴びせられるという“事件”も発生している。

連立政権が定着した平成時代

 平成期の日本政治史を振り返ると、二大政党へと目が行きがちであるが、実態は連立政権の定着にあった。自民党・公明党(・自由党→保守党→保守新党)と、民主党・国民新党(・社民党)の枠組みである。

 連立政権が続いた要因としては、①参議院が自律しており、選挙結果次第で「強い参議院」にもなり得ること、②衆議院と参議院とでは選挙制度や選挙時期(しかも、参議院は半数ずつの改選)が異なり、両院の選挙とも比例代表制の要素を加味していること――などが挙げられる。

 実際、参議院では、自民党が単独で過半数の議席を有しない事態が平成期以降に常態化しており、数の面からも自民党が連立を組むことが迫られた。2009年衆院選後に民主党が政権を樹立するに際しても、連立政権となった要因はやはり参議院の存在であった。

 いずれにせよ、連立政権による政治が定着したことは、与党間の調整メカニズムを、試行錯誤を繰り返しつつも、発達させた。

国・地方議員が「ヨコ」関係でつながる公明党

公明党本部=2020年11月13日、東京都新宿区南元町

 筆者は、公明党が連立与党に加わることで、党として「国政における政治の安定」(衆参の議席数、与党事前審査制による党内ガバナンス、与党間の調整メカニズム)だけでなく、「政治面での中央・地方関係の安定」をもたらす役割も果たしてきたと主張したい。

 理由としては、公明党の政党組織研究を通じ、党内において、地方議員の意見がダイレクトに伝わる仕組みが採用されていたことを知ったことを挙げたい(岡野裕元「公明党の立体的政策形成――「ヨコ」関係の軸となる国会議員・地方議員・事務局との協働ネットワーク――」奥健太郎・黒澤良[編著]『官邸主導と自民党政治――小泉政権の史的検証』吉田書店、2022年2月上旬刊行予定)。公明党の規模が中規模で、機動的な党活動ができるという面もプラスに働いている。

 日本政治には、①国政での連立政権の常態化と調整メカニズムの発達、②国政での政府・与党二元代表制、③二大政党における党中央・地方組織(国会議員・地方議員)のリンケージの弱さ――という特徴がある。とすれば、与党である大政党と連立する中小政党が「政治面での中央・地方関係の安定」の役割を担わない限り、政治の安定はない。

 そうした役割を担えるのは、国会議員と地方議員が「タテ」でなく、「ヨコ」関係でリンケージしている“党内文化”を持つ政党である。そうした党内文化を持つ政党には、議席数という数の面だけにとどまらない「質的役割」がある。公明党はまさしく、その条件に合致する政党といえる。

公明党と日本維新の会の四つの類似点

 では、公明党以外にその役割を担える政党はないのだろうか。筆者は、日本維新の会がその候補になりうると考えている(日本共産党については、学術研究の進捗状況からすると、現時点で判断する材料が乏しいので、留保したい。政治学の視点から今後、研究していきたいと考えている)。

地方議会から国政に進出

 公明党と日本維新の会には、党組織の特徴にいくつか類似点がある。第一に、時代が異なるが、いずれも地方議会を足場に国政に進出した歴史を持つことである。これは、自民党や社会党、民主党とは大きく異なる特徴である。

 公明党(前身は公明政治連盟、さらにその原点は創価学会文化部)の原点は地方議会にある。1955年4月の第3回統一地方選挙で、創価学会から文化部員として任命された54人が立候補し、東京都や東京都特別区などで当選者を出している(公明党史編纂委員会『大衆とともに—公明党50年の歩み』公明党機関紙委員会、2014年、p.22)。公明党が今も地方議会選挙(代表的事例は都議選)に注力するのには、こうした歴史が関係している。

 一方、日本維新の会の出自は、現在も地域政党として存在する大阪維新の会である。2010年4月結成当時の大阪維新の会のメンバーは、代表が大阪府知事の橋下徹であり、議員が大阪府議27人、大阪市議1人、堺市議5人であった(塩田潮『解剖 日本維新の会 大阪発「新型政党」の軌跡』平凡社、2021年、p.67)。いわゆる首長政党であり、当時の議員の多くは自民党出身であった。

国・地方議員の関係がフラット

 第二に、両党とも、決定の歴史を背景に、国会議員と地方議員とがフラットな関係に立つという“党内文化”を醸成した点である。

 公明党については、たとえば中央幹事会(自民党で言えば総務会)に地方議員が出席、政務調査活動にも地方議員が参加している点が挙げられる。住民からの市民相談の対応でも、市区町村議、都道府県議、国会議員の、垣根を越えた連絡が活発に行われ、スムーズに進む。

 日本維新の会も公明党同様、党内構造が分権的であり、国会議員と地方議員は同等であるという(塩田潮『解剖 日本維新の会 大阪発「新型政党」の軌跡』平凡社、2021年、p.96)。

 もちろん、両党とも国会議員と地方議員の関係がすべてがフラットかと言えば、そうでない部分もあるだろう。しかし、それでも、国会議員と地方議員が明確に「上下」の関係にある自民党とは、大きく異なっている。そもそも自民党の地方議員は、国会議員候補者の人材の供給源であり、国会議員への転出は「昇進」でもあった。

政策面の立ち位置

 第三に、政策面の立ち位置において、両党とも自民党と親和性がある。

 公明党は「中道政治」を掲げているものの、連立与党として、行政需要、財政・金融の状況等に目を配りながら決断するなかで、徐々に現実化。自民党と近接した。一方、日本維新の会は、「日本大改革プラン」「政策提言 維新八策2021」といった政策集を打ち出し、松井一郎代表がその実現に向けて、自民党改革派との連携も主張している(塩田潮『解剖 日本維新の会 大阪発「新型政党」の軌跡』平凡社、2021年、p.201)。

 憲法改正に関しても、改憲を党是とする自民党に対し、公明党は加憲、日本維新の会は統治構造を中心とした部分改正と、自民党とは一線を画しつつも、改憲そのものについては容認する立場である。

教育・福祉分野に強い関心

 第四に、両党ともに、教育や福祉分野に強い関心を有している。

 日本では地方政府が教育、福祉の様々な実務を担っている。また、住民の関心が強く、首長、地方議員が直面する分野であるため、地方選挙で目立つアジェンダのひとつでもある。市区町村、都道府県の域を越えた広域行政で対応しなければ解決が難しい課題や、ナショナル・ミニマムと関係するものもある。共通点の第一(党の歴史)、第二(党内文化)で挙げた点からもあって教育と福祉の優先順位は高くなり、党の政策に反映されやすくなる。

日本維新の会の常任役員会に出席した松井一郎代表(左)と吉村洋文副代表=2021年11月6日、大阪市中央区

ライバルは日本維新の会

 このように類似点が多い公明党と日本維新の会は、それゆえライバル関係にも立つ。両党が基盤とする選挙区が重なるという事情がそれを加速する。公明党の支持母体である創価学会は、伝統的に関西に地盤を有している。大阪維新の会もまた、地域政党、首長政党として関西の多くの住民から支持を得ている。

 2021年10月31日の衆議院議員総選挙で、公明党は29→32議席と議席を伸ばした。一方、日本維新の会は11→41議席と大きく勢力を増やし、公明党の議席を上回った。国政政党としての維新は、不振な時期もあったが、大阪維新の会が2019年4月のダブルクロス選挙(大阪府知事選、大阪府議選、大阪市長選、大阪市議選)のすべてに勝利をおさめたことで勢いを取り戻し、2021年総選挙でも大きく躍進をした。

 日本維新の会のwebページによると、現在、都道府県総支部は24存在している(2022年1月19日現在)。具体的には、北海道、茨城県、埼玉県、東京都、千葉県、神奈川県、長野県、富山県、福井県、石川県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、岡山県、広島県、徳島県、福岡県、大分県である。東北地方には、総支部が一つもない。(参照:日本維新の会「都道府県総支部」(2022年1月28日閲覧)」

 2023年4月は第20回統一地方選挙がある。日本維新の会にすれば、これらの総支部を橋頭保に、地方議会へどれだけ進出し、議席を増やせるかが課題になっている(維新の会の全国化)。衆院選での躍進の結果、政党交付金(2022年分)は前年比57.5%増の30億2700万円となる見込みであり(参照:「維新、57%増の30億円 最多は自民160億円―22年政党交付金」『時事ドットコムニュース』2022年1月18日、22年1月28日閲覧)、地方での政治活動の財政的担保も確保されている。

 これまで公明党のライバル政党といえば、同じ組織政党であり、支持者層も重なり合う日本共産党であると指摘されることが一般的であった。しかし、令和期においては、類似性の観点からも、存在感を増している日本維新の会がライバルになると言っていいのではないだろうか。

参議院兵庫県選挙区の分析

 公明党は今年(2022年)7月の参議院選での選挙協力をめぐり、自民党との相互推薦をしない方針といわれる(2022年1月28日現在)。(「自民との相互推薦見送り 参院選、地方幹部に伝達—公明」『時事ドットコムニュース』2022年1月16日 2022年1月28日閲覧)。要因の一つは、兵庫県選挙区で自民党が公明党へ推薦を出すことに難色を示したことである(「公明、参院選の協力調整に不満「自民で理解進んでない」」『朝日新聞デジタル』2022年1月14日 2022年1月28日閲覧)。

 なぜ、自民党は公明党への推薦を拒否したのか。焦点になっている兵庫県選挙区について、自公連立以降の選挙結果から分析してみよう。

 兵庫県選挙区の改選定数は2016年以後(2019年、2016年)が3人、それ以前(2013年、2010年、2007年、2004年、2001年)が2人である。一般に、参院選の3人区では、自民党が議席を獲得できない、という事態はまず想定されない。ただし、この選挙区では、地方議会のレベルでは公明党と維新が一定の地盤を構築している。

 はじめに日本共産党の絶対得票率だが、2013年から3回立候補していた金田峰生が3.61%(2019年・5位)、4.94%(2016年・5位)、4.85%(2013年・4位)を獲得している。野党第1党は、安田真理(立憲民主党)9.45%(2019年・次点4位)、水岡俊一(民進党)9.07%(2016年・次点4位)、辻泰弘(民主党)7.56%(2013年・次点3位)であり、すべて次点であった。

 両方の絶対得票率を単純に合算すると1位当選が可能となる。仮に夏の参院選で立憲民主党と日本共産党の選挙協力(たとえば共産党が候補者をおろす)が成立すれば、当選する可能性が高く、野党共闘が成果を出した「象徴的選挙区」になり得る。

 そうなったとき、誰が落選するかを次に考えてみよう。2019年は清水貴之(日本維新の会・12.46%)、髙橋光男(公明党・10.94%)、加田裕之(自民党・10.13%)、2016年が末松信介(自民党・13.86%)、伊藤孝江(公明党・11.70%)、片山大介(おおさか維新の会・11.47%)が当選、自民、公明、維新の3党で議席を分け合っている。2022年選挙には、現職の末松、伊藤、片山が臨む。

 維新は2021年衆院選で勝利し、勢いが継続している状況にある。維新が従来より多く野得票を得た場合、自公いずれかが押し出され、立憲に議席を奪われる可能性は、たしかに考えられる。

 自公の選挙協力の実態はどうか。実は2人区時代と3人区時代では、両党の姿勢は異なる。2人区時代、公明党は候補者を擁立をしていない。公明党は、「絶対当選主義」を掲げおり、当選が難しそうな選挙区には候補者を擁立しないからだ。そのため、自民党が下野していた2010年を除き、自民党に推薦・支持を出していた。

 だが3人区時代になると、公明党が自民党から推薦・支持を得て、当選者を出すようになった。逆に自民党は、公明党から推薦・支持を得られなくなった。つまり、公明党の当選は、選挙区の定数が増えたためだけではなく、自公連立から得られた成果の一つでもあった。

 こうした各党の事情や選挙区の歴史的背景を考慮すると、兵庫県選挙区で自民党が公明党に推薦・支持を出さないことで、公明党内に強い危機感が出るのは当然だと思われる。その引き金を引いたのが、維新の衆院選での躍進なのは明らかだ。

終わりに

 連載の第1回目では、日本の統治構造の現状から、与党・公明党の質的存在意義を抽出した。また、公明党と日本維新の会は、党の歴史・文化で類似性があり、今後ライバル関係にもなる可能性があると指摘した。日本維新の会は公明党と同様、「質的役割」を果たす存在になるかもしれない。

 次回以降、公明党が政治の中央・地方関係のリンケージで具体的にどのような役割を果たしているのかを中心に、この党の実態を深掘りしていきたい。(続く)