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プーチンのねらいを考える:NATOの東方拡大阻止の意味

塩原俊彦 高知大学准教授

プーチンプーチン大統領=shutterstock.com
 ロシアのウクライナ侵攻計画が米国政府によるディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)であったとしても、ウラジーミル・プーチン大統領がロシア軍を、ウクライナ国境に軍事演習を名目にして大規模に配備したことは事実だ。そうであるならば、プーチンのねらいはどこにあるのか。

 合成開口レーダー(SAR)を搭載した衛星や偵察機を使えば、冬場の曇天であっても地上の様子は手に取るようにわかる。ゆえに、プーチンは正々堂々と兵員を集結させたことになる。それを、「侵攻計画」とみなす米国政府はどうかしているとの立場から、すでにこのサイトでいくつか持論を展開してきた(「「ロシアのウクライナ侵攻」はディスインフォメーション」「「ロシアのウクライナ侵攻」という騒ぎを読み解く」「ウクライナで「ドローン戦争」か?」)。そこで、今回はプーチンの側にたって、そのねらいについて考えてみたい。

NATOの東方拡大

 2021年12月17日、ロシア外務省は米国側に、「ロシア連邦とアメリカ合衆国との間の安全保障に関する条約案」と、「ロシア連邦と北大西洋条約機構(NATO)加盟国の安全を確保するための措置に関する協定」を提示した。

 前者においては、第四条でつぎのように記されている。

 米国は、北大西洋条約機構(NATO)のさらなる東方拡大を排除し、かつてソビエト社会主義共和国連邦の一部だった国々の同盟への加盟を拒否することを約束する。
 米国は、北大西洋条約機構に加盟していない旧ソビエト社会主義共和国連邦の領土に軍事基地を設置せず、そのインフラをいかなる軍事活動にも利用せず、2国間軍事協力も展開しない。

 後者においては、第六条で、「北大西洋条約機構の加盟国であるメンバーは、ウクライナの加盟を含め、NATOのさらなる拡大を妨げるような約束をする」とか、第四条で、「ロシア連邦及び1997年5月27日の時点で北大西洋条約機構の加盟国であったすべての加盟国は、1997年5月27日の時点で他のすべての欧州諸国の領域に駐留していた部隊に加えて、その軍および軍備をそれぞれ駐留させないものとする」とか、第五条で、「加盟国は、中距離及び短距離陸上ミサイルを、他の加盟国の領域の目標を交戦することが可能な地域に配備することを排除する」と書かれている。

ウクライナ国旗色とNATOのシンボル=shutterstock.comウクライナ国旗色とNATOのシンボル=shutterstock.com

 これからわかるように、プーチンはNATOの東方拡大、とくにウクライナのNATO加盟への動きに神経質になっていることがわかる。だが、北大西洋条約の締約国が加盟したい国の希望をもとに加入招請できる「オープン・ドア」政策という原則は同条約第十条に定められており、米国政府やその他の締約国が簡単に応じるはずもない。

 スペインの新聞「El Pais」にリークされた、米国やNATOのロシアへの回答によると、ロシアが提示した条約案も協定も基本的に無視されたかたちになっている。

NATO拡大を嫌がる理由

 なぜプーチンはいまになって、NATOの東方拡大を問題にするようになったのか。その理由をわかりやすく語ったのが、2022年2月1日に行われたハンガリーのヴィクトル・オルバン首相との会談後の記者会見でのプーチンの発言である。

 「私の言うことを注意深く聞いてください。何しろ、ウクライナ自身の教義文書(たとえば、ウクライナの内閣は、2021年9月、クリミアの「脱占領と再統合」のための戦略を実施するための行動計画を承認した:引用者注)に軍事的手段も含めてクリミアを奪還すると書かれているのですから、観衆に話すのではなく文書に書かれていることです。
 ウクライナがNATOに加盟したとしましょう。武器がいっぱいとなり、ポーランドやルーマニアと同じように、最新の優れたシステムをもつことを、だれが妨げるのか。そして、クリミアで作戦を開始し、そうとなってはドンバスの話さえしない。これは、ロシアの主権がおよぶ領域の話です。この意味で、この問いは私たちのなかで完結しています。NATO加盟国であるウクライナがこのような軍事作戦を開始したと仮定してみましょう。私たちはNATOブロックと戦争する必要があるのでしょうか。だれか、このことについて考えたことがありますか。」

 プーチンの「深謀遠慮」は理解できなくもない。ただ、ウクライナがNATOに加盟する話は将来の可能性であって、いま現在、具体的なロードマップが存在するわけではない。そんな話をなぜいまの時点で、国際協議の場に持ち出したのか。

NATO加盟国に揺さぶりをかける

 まず、時期について言うと、2022年3月に予定されているNATO首脳会議で、NATOは10年先を見据えた戦略構想を採択する見通しだ。2021年12月にラトビアの首都リガで開かれたNATO外相会合でも、「ロシアの攻撃的な行動」や「より自己主張の強い中国」、新しく画期的な技術、気候変動の安全保障への影響など、新しい現実を考慮した戦略が練り上げられる計画であった。こうした時期だからこそ、NATOの今後を問うタイミングとして適していたと考えられるわけだ。

 それでは、プーチンのねらいは何か。唯一、考えられるのはNATO加盟国に揺さぶりをかけて、米国べったりの英国やポーランド、リトアニアなどの勢力と、ドイツやフランスといったヨーロッパ大陸の主要国との間にくさびを打ち込むことにあるのではないか。おりしも、米国軍のアフガニスタンからの完全撤退という米国の「身勝手」に映る行動がNATOの連帯に軋(きし)みを生んでいる時期だけに、米英と大陸諸国との亀裂を広げる絶好のチャンスのようにプーチンには見えたのだろう。

ロシアとNATOの関係:我慢の限界

 NATOの東方拡大に対して、ロシア側が我慢の限界に達しているという面も知っておく必要がある。1990年、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領がミハイル・ゴルバチョフ大統領に「口約束」したとされる、ドイツが統一されたとき、NATOの軍事インフラは西独から東独の領域には拡大しないという合意がある。これは、ドイツだけにしか適用されない話だった。残りの「社会主義陣営」は、まだ解散していないワルシャワ条約機構メンバーであったから、これらの国のNATO加盟など、話されたわけではない。

 その後、旧ユーゴスラビアを構成したボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の独立をめぐって、1992年4月、民族間で紛争が勃発、1995年12月のデイトン和平合意の成立まで戦闘がつづいた。この間、1994年2月、NATO軍機がセルビア軍機を撃墜させる事件が起き、同年4月以降、NATOは小規模な空爆を開始する。1995年8月からは大規模空爆に踏み切る。

 注目すべきは、1993年8月、ボリス・エリツィン大統領がポーランド、チェコを訪問した際、中欧のNATO加盟容認する発言を行ったことである。しかし、帰国後ロシア国内で軍部・保守派が一斉反発し、発言は取り消された。1994年1月には、NATOが旧東側諸国との間で個別に結ぶ協力協定である、「平和のための協力協定」がNATO首脳会議で決定される。加盟を望む中・東欧諸国とそれに強硬に反対するロシアの双方に配慮してとられた措置だが、こうしてエリツィンは西側に取り込まれてゆく。1994年7月にナポリで開催された主要国首脳会議にエリツィンは初めて正式メンバーとして参加し、ボスニア・ヘルツェゴビナ問題などを協議した。こんな牧歌的とも言える状況があったのだ。

 1999年3月、チェコ、ハンガリー、ポーランドのNATO加盟が承認された。それにもかかわらず、2000年5月に大統領に就任したプーチンはNATO拡大を事実上、受け入れた。それだけでなく、2002年にローマ近郊で開かれたNATO首脳会議にプーチンが参加したことで、NATO・ロシア理事会の設立が調印されるまでになる。常設の対話機構と代表部が開設されることになった。

 2007年には、プーチンはミュンヘンでの国際会議で、米国がポーランドやチェコにミサイル防衛システムの配備を計画していることについて批判し、NATO拡大に反対する姿勢を明確に示す。それでも、プーチンに代わって大統領に就任したドミトリー・メドベージェフは2010年のリスボン・サミットに参加する。問題の「リセット」が提示されたのだが、「アラブの春」への対応やプーチンの再登場で、事態は悪化に向かう。

 2014年のクリミア併合とドンバス紛争の結果、ロシアとNATOの蜜月は終了する。そして、2021年10月、セルゲイ・ラブロフ外相は、ロシアがNATOの常設代表部の業務を停止していることを明らかにした。これは、NATOがスパイ容疑でロシア側の外交官8人を追放し、外交官枠を20人から10人に半減するという決定へのモスクワの反応であった。同時に、ロシアはモスクワのNATO軍事連絡団を停止し、2022年11月1日付でその職員の認定を取り消し、ベルギー大使館のもとに設置されていたロシアのNATO情報局を終了させたのである。プーチンからすれば、もう我慢の限界を通り過ぎてしまったということか。

「安全保障体制の選択の自由」の制限は可能か

 戦略家のプーチンがNATO加盟国に問いかけているのは、「安全保障体制の選択の自由」という問題だ。東西冷戦下の1975年ヘルシンキでの首脳会合で設置が決まった欧州安全保障協力機構(OSCE)の1999年のイスタンブール首脳会議で署名された「欧州安全保障憲章」にある、いわゆる「安全保障の不可分性」が守られていない現実を問題視したのである。

OSCEの加盟国OSCEの加盟国=shutterstock.com

 同憲章には、つぎのような記述がある。

 「各参加国は、安全保障に対する平等な権利を有する。我々は、同盟条約を含む安全保障上の取り決めを、その進展に応じて自由に選択し、または変更することができるという、各参加国の固有の権利を再確認する。各国はまた、中立の権利を有する。各参加国は、これらの点に関し、他のすべての国の権利を尊重する。また、他国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化することはない。OSCEにおいては、いかなる国、国家群または組織も、OSCE域内の平和と安定の維持に卓越した責任を負わず、OSCE域内のいかなる部分も自らの影響圏と見なすことはできない。」

 つまり、OSCEに加盟しているウクライナは、同じくOSCEに加盟しているロシアの安全保障を犠牲にして、NATOに加盟することで自国の安全保障を強化してはならないと解釈可能というわけだ。

 2010年12月にカザフスタンの首都アスタナ(当時の名称)で開催されたOSCE首脳会議では、「安全保障共同体に向けたアスタナ記念宣言」のなかで、同じ内容が再確認されている。それだけではない。OSCEの1994年の「政治的・軍事的側面に関する安全保障行動規範」には、つぎのように記されている(注)。
 (注)正確には、この時点の名称は「欧州安全保障協力会議」(Conference on Securi ty and Co-operation in Europe, CSCE)で、このCSCE は1995年1月から「欧州安全保障協力機構」(Organization for Security and Co-operation in Europe, OSCE)と名称を変更し、現在に至っている。

 「安全保障は不可分であり、各自の安全保障は他のすべての者の安全保障と不可分に結びついていることを確信しつづける。彼らは、他の国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化することはない。彼らは、OSCE地域及びそれを越える地域における安全及び安定を強化するための共通の努力に適合するよう、自国の安全保障上の利益を追求するものである。」

 実は、この記述から「安全保障の不可分性」という概念が注目され、他国を犠牲にして自国の安全を強化しないという大原則が生まれたはずだった。しかし、それが蔑(ないがし)ろにされつづけているというのである。

 だからこそ、プーチンは前述した記者会見で、つぎのように話している。

 「なぜ私たちは、イスタンブールやアスタナで、いかなる国も他者の安全を犠牲にして自国の安全を確保しることはできないと書かれた条約や関連する協定に署名したのでしょうか。ここでは、ウクライナのNATO加盟は私たちの安全保障を損なうものであり、このことに注意を払うように求めているのです。」

 冷静にみて、そういう経緯があるのならば、プーチンの言い分にも一理あると思うのが普通の人の感覚ではなかろうか。

問題化する「選択の自由」

 簡単に言えば、いわゆる西側諸国は「安全保障の不可分性」を軽んじて、選択の自由を重視してきた。ウクライナがNATOに加盟しようと、それはウクライナの選択の自由であり、ロシアとは無関係と言いたいのだ。しかし、それは前記の「約束」に反している。もちろん、ソ連やロシアもまた、不可分性を軽視してきた過去があるかもしれない。そうであっても、不可分性の重視について世界各国はもっと真摯(しんし)に向き合わなければならないだろう。

 他方で、こうした「選択の自由」を重視する姿勢はすでにNATO内部に亀裂を生じさせている。

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