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「熊が来る」という嘘:「二度あることは三度」か、それとも「三度目の正直」か

塩原俊彦 高知大学准教授

サリバン米大統領補佐官ホワイトハウスで会見するサリバン米大統領補佐官=2021年8月23日
 2022年2月11日、国家安全保障担当のジェイク・サリバン米大統領補佐官は、「ウラジーミル・プーチンが命令すれば、いつでも侵略が始まる可能性のある時期に来ている」として、冬季五輪の期間中でも侵略がはじまる可能性があると警告した。そのうえで、ウクライナにいる米国人はできるだけ早く、いずれにせよ24時間から48時間以内に退去する必要があるとした。これは、「熊が来る」と騒ぎ立てるジョー・バイデン政権の三度目の大騒ぎということかもしれない。「二度あることは三度」か、それとも「三度目の正直」か。

「五日間戦争」の教訓

 心配なのは、2008年8月にグルジア(現ジョージア)で起きた戦争、いわゆる「五日間戦争」の再現だ。このサイトの拙稿「ウクライナで「ドローン戦争」か?:陸上戦に自信 をもつウクライナ・米国」において書いたように、南オセチアやアブハジアの領有権をかかえるグルジアに対して、北大西洋条約機構(NATO)は同年4月、ルーマニアのブカレストで開催されたNATO首脳会議で、グルジアとウクライナにNATO加盟を約束した。これが引き金となって、NATO支援の確約と受け取ったミヘイル・サーカシヴィリ大統領(当時)は2008年8月8日に開催される夏季北京五輪の前夜、南オセチア侵攻の先端を開く決断をした。

 当時、ロシアはグルジアに何度も挑発的な軍事演習などを繰り返しており、それがサーカシヴィリによる奇襲につながった。

 ここでの記述は、欧州連合(EU)理事会が2008年12月に設置した「グルジア紛争に関する独立国際事実調査団」の報告書に書かれていることに基づいている。

 興味深いのは、戦争の混乱のなかで、あるいは、ディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)に惑わされて、当初、どちらが攻撃をはじめたのかがはっきりしなかったことである。2009年9月に公表された報告書によって事実が認定されるまで、諸説が入り乱れた。

 この事例からわかるのは、戦争の発端を偽ることは難しくないということだ。つまり、ロシア軍が侵攻を開始するのではなくて、ウクライナ軍あるいはウクライナのナショナリストを中核とする義勇軍(アゾフ)が攻撃を仕掛け、反撃してくるドネツク(ドネツィク)やルガンスク(ルハンシク)の軍隊(ウクライナのいう分離主義派軍)との間で、戦闘を激化させてロシア軍の直接介入を誘い、全面的な戦争に発展させても、「ロシアが侵攻してきたから反撃した」と叫びまくれば、事実はそう簡単には露見しそうもない。

 もっと狡猾(こうかつ)に立ち回るためには、分離派軍が戦闘をはじめたかのような衛星動画を「ディープフェイク」で流せばいい(ディープフェイクについては、拙稿「深刻なディープフェイク問題を議論しよう」を参照)。真偽を確定するのに時間がかかるから、当面、ロシアを侵略者として制裁対象として懲らしめることもできるだろう。

 こんな状況をみると、ウクライナで同じように、先制攻撃を仕掛けても、多くの人々を騙(だま)すことは容易であるのかもしれないと思う、いわゆる「ネオコン」が出てきても不思議ではない(ネオコンについては、拙稿「「ロシアのウクライナ侵攻」という騒ぎを読み解く」を参照)。

五日間戦争との比較

 ここで、現在のウクライナ情勢と五日間戦争当時の状況を比較してみたい。ソ連崩壊後の混乱のなかで、南オセチアはグルジアの自治州、北オセチアは同共和国としてロシア連邦の構成体となる。南オセチアでは、グルジアからの独立を求める運動があり、それがグルジア政府との紛争を引き起こす。1992年6月24日、ソチにおいて、「グルジア・オセチア紛争の和解原則に関する合意」がサーカシヴィリとボリス・エリツィン大統領(当時)の間で結ばれる。流血の即時停止と包括的な和解達成がはかられたのである。

 合意には、対立する当事者の代表で構成される混合管理委員会が設置され、そのなかに「平和の確立と秩序の維持を目的とした活動の調整に関する合同部隊」を置くことも盛り込まれていた。だが、結局、2008年の戦争に突入した。

 ウクライナの場合をみてみよう。2014年4月、ドネツク州の行政府が親プーチンとされる勢力によって占拠され、ドネツク人民共和国の独立が宣言された。さらに、ルガンスク州でも、ルガンス人民共和国が生まれる。だが、ウクライナ政府はこれらを認めず、内戦状態に陥る。その後、2014年9月5日付「ミンスク議定書」および9月19日付「ミンスク覚書」が結ばれた。

 この二つの延長線上で、2015年2月12日、ハイディ・タリヤヴィニ 欧州安全保障協力機構(OSCE) 代表者、 レオニード・クチマ元ウクライナ大統領、駐ウクライナロシア大使ミハイル・ズラボフ、ドネツクとルガンスクの人民共和国のトップ、アレクサンドル・ザハルチェンコと イーゴリ・プロトニツキーが「ミンスク協定遂行措置」を採択・署名し、それを当時のロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスのトップ(プーチン、ペトロ・ポロシェンコ、アンゲラ・メルケル、フランソワ・オランド)が承認した。これがいわゆる「ミンスク合意」だ。

 だが、第十一項目にある、「非中央集権化という主要要素を前提とする新しい憲法の2015年末までの施行を伴ったウクライナでの憲法改革の実施と、同じく、2015年末までのドネツク・ルガンスク州の個々の地区の特別の地位に関する永続法の採択」が実現できず、第九項目の「対立するすべてのゾーンでのウクライナ政府側による国境の完全なコントロールの回復は、地方選後の初日から開始され、第11項 の遂行条件である2015年末までに包括的政治和解(ウクライナ法および憲法改革に基づくドネツク・ルガンスク州の個々の地区での地方選)の後に完了されなければならない」という規定も頓挫したままだ。

攻守ところを代えたウクライナ

 今回の騒動はグルジアのときと攻守が異なっているとみればわかりやすい。ウクライナ政府がグルジアであり、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領がサーカシヴィリの立場にいる。前者は後者ほど親米ではないが、反ロでは共通している。五日間戦争のときには、ロシアがグルジアから南オセチアなどを奪うためにサーカシヴィリを戦争に誘い込み、実際の戦闘で勝利してその目的を果たした。

 今回は、ロシアの「ちょっかい」を逆手にとって、ウクライナではなく米国がロシアを戦争に引きずり込んで、ドンバスやクリミアを奪還しようとしているようにみえるのだ。その意味で、当事者能力という点で、ゼレンスキーよりもバイデン、実質的にはヌーランドが主導権を握っているようにみえる。

民主化集会ウクライナ東部ハリコフで開かれた民主化集会。取りざたされるロシア侵攻への抗議を訴えた=2022年2月11日

 ロシア、ウクライナ、NATOの軍事演習に注意を払った出来事を以下に提示する。2021年春からウクライナ国境付近での演習が活発化していることがわかる。ロシアばかりが悪者のように扱う日米欧の報道とは異なり、実際には、NATOもウクライナも頻繁に大規模な演習を実施していることがわかるだろう。

◎今回の「ウクライナ侵攻」に関連する出来事
《2021年》
3月11日 ウクライナ付近で、スモレンスク、ヴォロネジなど地域に駐留する統合軍の編隊を対象に、1週間にわたる指揮・幕僚演習が始まる
3月17日 バイデンはプーチンを「殺人者」と呼ぶことに合意(ABCとのインタビューで)
3月18-19日 2000人の兵士と500個の装備品が参加して、クリミアで演習
3月25日 ウクライナ大統領、「軍事安全保障戦略」を承認
3月30日 ロシア、ウクライナ国境の軍備増強
4月8日 ウクライナは黒海での演習を開始
4月9日 米国、米軍艦2隻が来週、ボスポラス海峡から黒海に向かうことをトルコに通知したと、トルコ外務省が発表(その後、米は通航中止を通告)
4月13日 バイデンはプーチンと電話会談し、首脳会談を要請
4月22日 ショイグ国防相はクリミアでの演習を視察。
4月24日から6カ月間 ロシア海軍が黒海で演習を行う
6月7日 米国を含むNATO諸国を中心に、26カ国から集まった約2万8000人の多国籍軍を統合し、12カ国30カ所以上の訓練場でほぼ同時進行の作戦を実施する「DEFENDER-Europe 21」がスタート
6月16日 ジュネーブで米ロ首脳会談
6月18日 米国とその同盟国(日本、韓国、オーストラリアなどを含む32カ国が参加)は、黒海で7月10日まで行われる大規模な多国籍演習「シー・ブリーズ2021」を開始
7月12日 プーチン、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」を公表
8月24日 ウクライナ、独立30周年記念
9月17日 ロシア下院選
9月20日 米国とウクライナの共同軍事演習「Rapid Trident-2021」がスタート。NATO加盟国11カ国を含む15カ国から6000人の兵士が参加するこの演習は10月1日まで実施
9月22日 NATO11カ国が参加してウクライナ領内で行われる多国籍演習「Combined Efforts-2021」がスタート。1万2500人が参加予定で、9月30日まで
12月3日 「ロシア、ウクライナに対して17万5000人の部隊がかかわる大規模な軍事攻撃を計画、米情報機関が警告」と「ワシントン・ポスト」が大々的に報道
12月7日 米ロ首脳、ビデオ会談
12月17日 ロシア、米国およびNATOとの間の条約要請案を公表
12月25日 南部軍管区は1万人の部隊を1カ月間の野外演習の後、恒久的な基地に帰還させる
《2022年》
1月6日 カザフスタンのトカエフ大統領の要請で、集団安全保障条約機構(CSTO)に平和維持部隊としてロシア軍を派遣
1月10日 米ロ協議
1月11日 スモレンスク、ベルゴロド、ブリャンスク、ヴォロネジ地方で、約3000人の軍人が参加する演習がスタート
1月12日 ロシア、NATOと協議
1月17日 ロシア兵、ベラルーシとの共同軍事演習のためベラルーシに到着
1月20日 ロシア国防省は、140隻以上の艦船と1万人以上の兵力が参加するロシア海軍の一連の演習の開始を発表
1月21日 米ロ外相会談
1月26日 欧州における安全保障に関するロシアの提案に対する米国とNATOの回答書がロシアに
1月28日 プーチン、マクロンと電話協議(31日も)
1月29日 25日から1000人以上の西部軍管区所属隊員が参加して始まった戦闘態勢の定期点検が終了し、基地に戻っているとの報道あり
2月1日 米ロ外相、電話会談
2月2日 米国防総省は数日中に約3000人を欧州に増派。ポーランドとルーマニアを増強。緊急事態に備えた8500人の警戒態勢は維持
2月3日 トルコ大統領、ウクライナを訪問し、仲介を提案
2月3日 米政府、ウクライナがロシアを攻撃したと誤認させる、偽のプロパガンダ映像をロシア政府が作成、侵攻の口実作りの恐れがあると発表
2月3日 ウクライナのゼレンスキー大統領とトルコのエルドアン大統領、より多くのトルコ製のドローン「バイラクタル無人機」(TB2)を共同で製造する契約に署名
2月4日 中ロ首脳会談、共同声明でNATO拡大に反対
2月4日 ウクライナ軍、米提供の対戦車ミサイルやランチャーなどを用い、西部基地で軍事演習
2月7日 モスクワでロ仏首脳会談(マクロン、8日にゼレンスキーと会談)
2月7日 ワシントンで米独首脳会談(ショルツは14日にキエフ、15日にモスクワで首脳会談)
2月8日 独仏ポーランドの首脳がベルリンで会談
2月10日 ロシアとベラルーシ、ベラルーシ国内で共同軍事演習開始(20日まで)
2月10日 ウクライナ軍、全国的な演習開始
2月11日 国防総省、ポーランドに3000人の追加部隊を命じ、過去2週間に欧州に送られた増援部隊数は5000人に
2月11日 ドンバスでロシア支援の分離主義者が演習
2月12日 米ロ首脳、電話会談(プーチンはマクロン、ルカシェンコとも電話会談)
2月12日 「キエフ政権と第三国による挑発の可能性」を理由に、ロシア外務省は外交官をウクライナから引き揚げると発表
2月12日 ロシア海軍、黒海で演習開始
 (The Economistなど、多数の情報源から筆者作成)

 筆者の見立てでは、プーチンがウクライナへの圧力を強めるきっかけとなったのは、2021年3月25日にゼレンスキーが「軍事安全保障戦略」を承認する大統領令を出したことだろう。このなかで、「国家レベルでは、ロシア連邦は依然としてウクライナの軍事的敵対国であり、ウクライナに対して軍事侵略を行い、当面はクリミア自治共和国の領土とセヴァストポリ市を占拠している」と明記されている。優先順位の高い項目として、「ウクライナのNATOへの完全加盟」がうたわれている。

 これを機に、プーチンは2022年6月にスペインのマドリードで開催されるNATOサミットで、NATOの長期戦略構想(「戦略概念」)が策定されることを強く意識したに違いない。だからこそ、これ以上のNATOの東方拡大を阻止すべく動き出したのである。その手始めが2021年3月末から4月上旬にかけてのロシア軍の動きであったと考えられる。これは、ウクライナ政府に対する一種の警告であった。だが、それが9月以降のNATO演習に対抗するかたちで、よりNATO拡大阻止へと重心を移していったのではないか。

戦争をはじめたいネオコン

 ところが、そのプーチンの動き、すなわち、ロシア軍のウクライナ国境への集結を逆手にとって、ロシアによる全面的なウクライナ侵攻が目前に迫っているというディスインフォメーションをネオコンの残党、ヴィクトリア・ヌーランド国務省次官が流すようになる。「戦争好き」なネオコンはロシアに戦端を開かせてドンバスやクリミアでロシア軍を一敗地に塗れさせようと手ぐすねを引いているようにみえる。

 そのために、彼女は何度か「嘘(うそ)」をついてきた。最初の嘘は、

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