メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

戦争を「終わらせる」を困難にする人の心のありか

「プーチン支持」指揮者ゲルギエフの倒錯、「勝つ」に傾くことの悲劇

大野博人 元新聞記者

ゲルギエフは「犠牲者の側に立つ」と言った

 「私は、民間人を殺害させるような政治家を許せません。それは、軍隊と軍隊が闘う戦争とは別のことです。軍隊が戦車で子供たちを攻撃すれば殺人です。受け入れがたい。とりわけ、それを正規軍がやるとすればなおさらです。そんなことは政府の首脳であれば止められるはず。なのに、その首脳が、人々が眠る都市を攻撃しろ、と命じたとすれば、それは犯罪です。私は、犠牲になる人たちの側に立ちたい。私は黙っていることができない」

 熱をこめてそう語るロシアの音楽家に会った。世界的な指揮者、ワレリー・ゲルギエフ氏。最近ではない。2008年10月にロンドンでインタビューしたときのことばだ。当時は英国の名門ロンドン交響楽団の首席指揮者だった。

 世界中の一流歌劇場やオーケストラから引っ張りだこだった彼は今、プーチン政権によるウクライナ侵略への反対を明らかにしない姿勢を批判され、ロシア国外での演奏がほとんどできなくなっている。

ロンドン交響楽団の首席指揮者だったころのワレリー・ゲルギエフ氏

 14年前は、おもに同楽団の来日公演について聞くためだった。だが、その2ヶ月前、ロシアがグルジア(現ジョージア) からの分離独立を求める南オセチアの紛争に軍事介入。オセチアにルーツがある彼は、ロシア側の勝利を祝うコンサートでタクトをとった。演奏によるプーチン政権の軍事行動支持という「政治的ふるまい」についても尋ねないわけにはいかなかった。

 「私は政治家ではないのです。あれは人間としてのふるまいでした」といい、冒頭に紹介した発言を続けた。つまり彼が「側に立ちたい」といったのは、紛争でグルジア軍に攻撃された南オセチアの人たちであり、音楽で称えたのは、その人たちを助けたロシア軍だった。

 さらに「あなたはプーチン氏の友人では」と問うと、「支持しているだけです。親しい友人ではありません。私が彼の子供の名付け親だという報道もありますが、まちがっています」と答えた。

 ただ、そう言いながらも「彼は強くて優れた指導者です。大統領に就任したとき、ロシアの経済はとてもひどかったけれど、それを建て直した」と付け加えた。

苦しむ人たちへの思いと祖国の名誉の狭間で

 来日公演に向けて熱心に語ったのは、20世紀を代表する作曲家のひとりプロコフィエフについてだった。交響曲の全曲演奏などがプログラムに組まれていたからだが、音楽家としての自分の姿を重ねているようにも見えた。

 プロコフィエフは帝政ロシア時代のウクライナに生まれ、音楽家として若いときから注目された。ロシア革命が起きると、その混乱から逃れアメリカやフランスで暮らし活動していた。だがその後、新生ソ連に帰る。

 「革命後の祖国に戻ったとき、彼は深く苦しんだでしょう。なぜなら、彼の愛したロシアを見つけることができなかったからです。でも彼は作曲に専念した。クレムリンにいるのがスターリンだろうとレーニンだろうと、どうでもよかった。自分には作曲があると思ったのです」

・・・ログインして読む
(残り:約3534文字/本文:約4814文字)