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日本のウクライナ支援に妙案あり~領土問題で中国・ロシアにくさびを

ロシアを東部から脅かし得る唯一の存在である中国をどう動かすか……

柴田哲雄 中国現代史研究者

 ロシアによるウクライナ侵攻から間もなく3カ月。ウクライナに武器らしい武器を援助できない日本は、ロシアに対して経済制裁を科すだけだが、そのほかに有効な手立てはないものだろうか。

 そもそもロシアが西隣のウクライナに侵攻し得たのは、東隣の中国と緊密な関係を築くことに成功したからだ。目下、ロシアを東部から脅かし得る存在は日本しかない。それゆえウクライナに侵攻する前後から、ロシアは日本の近海で軍事演習を行っては、日本を牽制してきたのだろう。もっとも今日の日本は、核兵器を保有していないうえに、「敵基地攻撃能力」を配備しようとする段階に過ぎないことから、恐るるに足らずと言ったところか。

 やはりロシアを東部から脅かし得るのは中国しかない。しかし、習近平政権とプーチン政権の関係は緊密だ。中ロ間に多少なりとも楔(くさび)を打ち込む方策はないものだろうか。

会談するロシアのプーチン大統領(左)と中国の習近平国家主席=2022年2月4日、北京、AP

筆者の提言~ロシアに対する新たな要求

 筆者は楔を打ち込む方策として、日本が北方領土問題をめぐる対ロ交渉に当たって、日本共産党の主張の一部を採り入れることを提言するものである。志位和夫同党委員長は3月にテレビ東京のインターネット番組で以下のように述べている。

 これは私たち、かねてからこの問題の解決のためには第2次世界大戦のときの戦後処理の不公正をただすということがどうしても大切だということを一貫して主張してまいりました。どういうことかといいますと、第2次世界大戦というのは、領土不拡大を戦後処理の大原則にしました。つまり、戦勝国も領土をひろげてはいけないということを戦後処理の大原則にしたわけですね。にもかかわらず、1945年にヤルタ会談において、当時の(ソ連の)スターリンが(米国の)ルーズベルト(大統領)、(英国の)チャーチル(首相)に対して千島列島の引き渡しを求めるわけです。ソ連参戦と引き換えにチャーチルとルーズベルトがそれを認めてしまって密約が結ばれる。

 この千島「引き渡し」の条項に基づいてスターリンが千島列島全体を占領するわけです。その不公正がもとにある。その状況がサンフランシスコ平和条約の中でも引き継がれて、アメリカも拘束されていますから、その条項の2条C項のなかで千島列島の放棄が書いてある。ここに一番の問題がある(「テレ東ネット番組が特集『北方領土問題と共産党』しんぶん赤旗

 筆者の提言とは、北方領土の返還とは別に、志位氏の発言に基づき、ロシアに対して次のような主旨を承認するように求めることである。

 1855年の日露通好条約を経て、1875年の樺太千島交換条約によって、日本は平和裏に千島列島を領有した。しかしながらソ連は第二次世界大戦における日本の敗戦に乗じて、千島列島を占領した挙句、サンフランシスコ講和条約によって不公正に領有するに至った。以上の経緯をロシアは承認する。一方、日本はサンフランシスコ講和条約に基づいて、千島列島の放棄を再確認する。

 ここで整理しておくと、自民党はサンフランシスコ講和条約を全面的に受容して、北方領土は千島列島には含まれないという立場から北方領土の返還だけを求めてきた。また日本共産党はサンフランシスコ講和条約にまつわる「不公正」を批判して、千島列島全体(北方領土もその中に含まれるとする)の返還を求めてきた。一方、筆者の提言とは、サンフランシスコ講和条約にまつわる「不公正」を承認するように求めつつも、北方領土は千島列島には含まれないという立場から北方領土の返還だけを求めるというものである。

 無論のこと、日本政府が上記の主旨を承認するように求めれば、ロシア政府はにべもなく拒否するどころか、猛反発して、北方領土問題の解決はさらに遠のくにちがいない。しかし、安倍晋三元首相が歯舞群島と色丹島の二島返還に方針転換したところで、結果は変わらなかったのである。今さら解決が遠のくことを憂えたところで、無意味だろう。

Belus/shutterstock.com

「論座」では、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する記事を特集「ウクライナ侵攻」にまとめました。ぜひ、お読みください。

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中国とロシアの領土問題

 ところで、中ロ間で長年懸案となってきた領土問題の概要について、ここで確認しておこう。

 問題の起源は19世紀後半にまでさかのぼる。中国では列強から侵略された歴史はしばしば象徴的な数字によって強調されてきた。例えば、南京大虐殺の死者数は「30万人」、日中戦争の死者数は「3000万人」といった具合である。一方、清朝がロシア帝国によって奪われた領土の総面積は、日本の総面積の約4倍に相当する「150万平方キロメートル強」に達するとしばしば強調されている。

 「150万平方キロメートル強」に及ぶ失われた領土のなかで、最も重要なのは黒龍江左岸と沿海州だ。清朝は1858年に愛琿(あいぐん)条約を締結して、ロシアに黒龍江左岸を割譲し、沿海州を両国の共同管理下に置くことを受諾したが、1860年に北京条約を締結して、沿海州をロシア領に編入することを承認した。

 客観的に見て、両条約はまさに「不公正」そのものだと言える。愛琿条約は、英仏両国が仕掛けたアロー戦争の苦戦に乗じる形で、ロシアのムラヴィヨフ提督が清朝の皇族にして黒龍江将軍であった奕山(えきさん)に迫って締結させたものである。後に清朝はロシアに対して、愛琿条約の締結は奕山の独断によるものであると抗議したが、かえって北京条約によって沿海州を奪われてしまう有様だった。

 ソ連政府も両条約を継承している。ソ連政府は1919年から翌年にかけて、帝政時代に結んだ中国との「不平等条約」を破棄するというカラハン宣言を発表したが、両条約は「不平等条約」、すなわち「不公正」な条約にはあらずという立場を取っていたのである。

 このように見れば、日本と中国の間には共通点があることが明らかだろう。戦争の当事者とは言えなかったソ連・ロシアが、「不公正」にも太平洋戦争の敗戦に乗じて日本から千島列島を奪い、アロー戦争の苦戦に乗じて中国から黒龍江左岸と沿海州を奪ったのである。

中ロ国境の黒竜江。中国側の川辺から対岸のロシアの街並みがよく見える=2019年7月、黒竜江省黒河市

国境線に納得していない中国人

 では、「不公正」に千島列島を領有したという承認をロシア政府に求めることが、なぜ中ロ間に多少なりとも楔を打ち込むことにつながるのか。

 実は、かつて毛沢東もソ連との国境画定交渉に際して、それに類似した要求を提起していたのである。

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